もう一度会えたなら

私自身、この18年で両親と姉を亡くした。
三人とも突然死だった。

見送る事の出来ない死はある人の言葉を借りると『。』では無く『、』である。

終止符を打てない気持ち
18年前、母親に嫁を紹介した次の日に電話が鳴り母親は死んだ。

8年前、姉と電話で喧嘩をした数日後に電話が鳴り姉は死んだ。

去年、毎月16日に電話で話していた親父が数日後に電話が鳴り死んだ。

見送りその間に「さよなら」や「ありがとう」を言えない別れ

何でも無い日常に訪れる不幸
「えっ?」「は?」の感情を抱えたまま形式的に葬儀を行っても、別れやもういない感覚を理解は出来ない。

多分、もう一度三人に会えたなら自分は何を言うだろう?
色々な感情の最後は
「ありがとう、さようなら」
と言って三人の死に『。』を付け区切りを迎えると思う。

時間が解決する
本当にその通りだ。

最初は驚きと悲しみなどぐちゃぐちゃの感情になる。

それが段々、良かった思い出が出て来て感謝ばかりが頭を過る。

でも、それが余りにも善人だと感じた時に怒りや憎しみなど嫌だった過去を思い出す。

それが過ぎると善と悪が振り子になり、段々振り子の振りが大人しくなって来ると、「もういないから何を言っても意味はない」と感じる。

人間何だから死んだから善人になる訳じゃない、感謝しか出来ない訳じゃない!

それでも生きていたのだから思い出す

思い出は過去
生きてる人間はいつまでも過去にいる事は出来ない。

生きてる人間、残された人間が
「明日は何を食べようかな?」
と思えたらもう未来を歩き出している。

生き物は必ず死ぬ
わざわざ自ら命を捨てなくても必ず死ぬ

いつかは解らないなら、見送られる死に方が出来る生き方をするだけさ。



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