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壊れた言葉に想いを乗せて
今、ハノイを離れ、赴任地であるイェンバイ省で暮らしている。本日は活動36/730日目。イェンバイ省は人口84.7万人であり、少数民族も多数住んでいる自然豊かな省である。その中でも大きな病院で活動を始め、8日が経過した。この1週間は激動の日々であり、人生の中でも一二を争う疲労の連続だった。歓迎会、私を置いていくJICAスタッフ、初めてのひとりぼっちの夜、通じないベトナム語、聞き取れないベトナム語、半年ぶりの臨床、少し落ちている体力、そして多くのお酒。。。一つ一つ思い出しても、鮮明に思い出せるほど、濃厚なものだ。
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初めてのひとりぼっちの夜は同僚と病院の控え室でご飯を食べるところから始まった。ご飯をよそってくれたり、「食べていいよ」とすすめてくれたり。思いもしなかったが、赴任直後はかなり情緒が不安定になっており、何度も泣きそうになった。言葉は少ししか分からないが、胸がいっぱいになった。優しさが胸に沁みる。
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その後は宿舎に戻り、硬すぎるマットレスと一夜を過ごした。畳に布を一枚纏わせたようなそんな硬さが私を断眠に誘う。眠れない。心臓がばくばくする。なんでばくばくしているか分からない。しかし、事実そうなっている。
私は、次の日は休息をもらい、自分の部屋で過ごしたのち、カウンターパートの家にお呼ばれした。奥様もいい人であり、豪邸でお昼寝までさせてもらった。近所の人にはカウンターパートより難しく速いベトナム語を浴びせられ、私の言っていることも理解されない。私は言葉を失っている状態と改めて気付かされた。ひたすらフルーツを食べ、お茶を飲むことしかできなかった。
翌日からは臨床に参加し、簡単な単語を使いながら、なんとか対象者とその家族とやりとりしている。語学訓練で習った時に口酸っぱく言われた発音のポイントはどこへやら。ブロークンベトナム語を並べて、相手に伝えている。ここで気づきが2つあった。1つはベトナム語を話そうが話さまいが、自分の考えが明確にないと話ができないということだ。いざ伝えようと思えば、Google翻訳があり、なんとかなる。しかし、思想や考えがはっきりとしたものが自分にないと、相手の反応もおのずとイマイチな気がする。
''何で''伝える
かではなく
''何を''伝える
のか、これが大切ではないかと。
2つ目は言葉は分からないが、1人ぼっちではないということ。輪に入れてくれて、仲間に迎え入れてくれたことが何より嬉しかった。
私の当面3ヶ月の目標は、呼吸をし、生きるということだ。
なんだその低い目標とツッコミを受けそうだが、少しの会話や活動でも今までよりはるかにエネルギーを消費するのだ。私は日本で何度も新しい職場で人と交流し、人間関係を作り、仕事を一緒にしてきたが、今回はその比ではない。カルチャーショックの連続であり、日本と比較し、疲れる日々。共通点を見出しつつも、優劣で日本と比較をしてしまう。現地の人にとって、その考えはとても失礼だと思う。同僚や対象者、家族が求めている力を発揮したい。現地で役に立ちたい。今まで、相手のことを尊重し現地で活動がしたいと思っていた自分の顔に泥を塗っているのではないか。しかも、現地の人たちは寂しい想いをさせないように、こんなにも自分をサポートしてくれているのに。
しかし、こう日本人らしくネガティブに振る舞いすぎるのはなるべく少なくしたい。相手はベトナム人。相手に合わせた行動や考えをするなら、彼らにいろいろ学ばせてもらえばいいのだ。この3ヶ月は相手を観察し、同僚の特性を掴むことに専念しよう。名前すらうろ覚えなのだ。本格的な悩みはこれからだ。
井の中の蛙、ようやく羅針盤を手に取った。