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積極的な苦の受け入れ方、菩薩行と受代苦と迫害

積極的な苦の受け入れ方、菩薩行と受代苦

どうもこんにちは!

世の中には素晴らしい人なのに迫害や困難が襲ってくる人も沢山います。

私が最近勉強している日蓮さんでも度重なる迫害にあっており自分が何故このような迫害に遭うのか思考を巡らせています。

一つに、罪業苦(ざいごうく)がありますがこれでは納得出来ない部分もあります。

罪業苦は分かりやすく過去の自分が犯した罪の償いであります。

しかし、罪業苦では納得出来ない部分もあり他の考えに日蓮さんは至ります。

それは「代受苦(だいじゅく)」です。

菩薩行をする人に降りかかる苦難を示している。
つまり、菩薩行をする人には様々な苦難が降りかかることを記載されています、そしてその苦難に負けずに菩薩行をすることを誓っているのです。

常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)は迫害にも負けずに布教したことで有名ですが、それが理想的なモデルケースで、菩薩行をする人は苦難に遭いそれにも負けずに利他行をすることを求められています。

それが大乗の教えで、人を救いたい、世の中を良くしたい、と願う人はその本願を叶えるために通る試練なのかも知れないです。

罪業苦は消極的な捉え方で、
受大苦は積極的な捉え方です。

人から迫害されているなかで、人前に出て活動することはとても勇気がいることです。そこに楽な道はなく、精神の向上がある。

仏が生まれる時は世の中が汚れている時に生まれるとされています。それは仏に限らず精神性が高い人ほど困難な時代に生まれてきます。

それは為さねば成らぬ仕事(使命)があって生まれてきています。

もう一つにアートマンが望んでいる可能性もあります。つまり、魂が乗り越えるべき試練を求めていることがあるのかも知れない。

カルマとは別に、自分の魂が自分に苦難と課題を与え、それを乗り越えることを望んでいる可能性がある。

安穏に幸せに浸ることが大事なのではなくて、自分の魂に課題を与え社会をキレイにするために奮闘していくことが人のあるべき姿なのだと思います。

このブログを読まれている方の中にももしかしたら迫害を受けていて縮こまっている外に出る勇気のない人もいるかも知れません。それで外に出ろとは酷な話なのも分かります。自分の環境で社会の為に出来ることを考えて利他行に励んで下さい。

自分が例えば殺人を犯して刑罰に遭うなら分かりますが、世の中には言われなきいじめ、差別、迫害があります。これを自分の過去の罪だからと受けとるのは消極的なのです。ではなくて、人々の苦しみを自分が受け止めていて、その苦しみを受け止めながら世の中の為に働いて世の中をキレイにしていくことこそ菩薩の使命なのです。世の中の為にと捉えると苦しみを積極的に受け入れることになります。

自分は何者なのか問うことが大切です。自分が何故かとは、自分は普段どのようなことを考えているを思考するのかです。苦しんでいる人を見て助けたいとか、そういう気持ちがあるかどうかです。

何かを与えるだけが徳積みではありません。人に馬鹿にされても笑われても誰かのために駆け付けることが深い徳積みなのです。善意を行動に移して与えることが布施なのです。いじめ、差別、迫害の中でそういった行動を取ることは勇気と忍耐が入ります。

最も重要なのは荒御魂で勇気と忍耐が重要なのです。

お読み頂いてありがとうございました

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