最期の時期を迎えるを考える
次の診療予定日にはお会いできない気がする。。。
訪問診療で医師に同行した時に、そんなふうに感じることがある。
癌であっても、癌でなくても。
特に高齢者は一旦体調が崩れると、元には戻らないのがほとんどだ。
少しずつ寝ている時間が多くなり、食事が取れなくなる。
癌を患っている方であれば、あらかじめ最期をどこで看取るのかを話し合うこともあるが、癌でない場合は話し合いを提案するタイミングが難しい。
訪問診療が介入となっても自宅看取りの選択肢があることを理解している方は少ないように感じる。
半年ぐらい前にもそんなことがあった。
体調を崩して、自宅で点滴が開始となった。週ごとに体力が落ちていることは明らかだったが、家族は看取りの時期が近付いていることは考えてもいなかった。結局、最後となってしまった診療時に主治医から自宅看取りの選択肢を選択された。
施設を探すには遅すぎる時期だった。
すべてが後手後手だったと今となっては反省している。
大事な人の看取りをどのように過ごさせてあげるのか。考えるには時間が短すぎたのではないだろうか。
人は老いも若きもいずれは死を迎える。自宅以外での生活に舵を切るタイミングは難しい。
日頃から、どのような身体状態になったら施設に入りたいのか、それでも自宅で最期まで過ごしたいのかを考えておく必要があるし、そのことをきちんと投げかけておくことも訪問診療には求められている気がする。
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