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自己紹介・部活動外部指導員の動機・これまでのキャリアと学び

はじめまして。
私は世間で中学部活動の地域移行化を推進していることも影響し、2024年9月より地域部活動支援員として活動している者です。種目は野球です。

私は今後のキャリアにおいて野球指導者として圧倒的な成果を上げたいと考えており、ようやくそれに向けた一歩を踏み出すことができました。

noteを始める目的として、最初のうちは野球指導者として活動する中で日々感じたことや学びなどをメインに自分自身のメモ的にも書いていこうと思います。
(自分にとって今しか感じられないことも多いであろう貴重なタイミングを逃したくない)

その他、私は地方の中小企業に所属している身でもあり、野球に拘らず広い意味での組織や、キャリアなどについても感じたことや学びについて書くこともあるかと思っていますが、記事の中身については出来る限りリアルで生々しい現場の葛藤や努力に対して感じたことや学びを書いていこうと思います。

初回は自己紹介がてら自分自身を振り返っていこうと思います。

1.自己紹介と部活動外部指導員の動機

私は1991年生まれ岡山県在住です。

いわゆる野球一家に生まれ育てられて、特に父親は私が幼い頃から社会人野球のコーチをしていたため、今私が描いているキャリアに大きな影響を与えてもらったことは間違いありません。

そんな私ですが学生時代は本当に野球しかしてこなかったと言っても過言ではなく、小学生1年生くらいから高校野球にハマり大きな憧れを抱き、岡山県代表のチームが甲子園で優勝する姿を見ること、そして自分自身が甲子園でプレーすることが自然と夢になりました。

幼いときに抱いた夢に関しては、まだ岡山県代表のチームが甲子園で優勝するところは見れてませんし、残念ながら自分自身が甲子園でプレーすることはできませんでした。

このあたりが私が野球指導者として部活動外部指導員になろうと思った動機にも多少なりとも関わってきます。

動機については正直いろいろありますが、要素として強いのは、野球選手として、また1人の人間として圧倒的に成長できる環境を作りたいということです。

先ほど私は甲子園でプレーできなかったと書きましたが、もう少し具体的に晒すと学生時代に野球しかしてこなかったのにも関わらずプレーヤーとして全く実績を上げられませんでした。
高校時代は当時18人のメンバーにも入ることができず、これが自分にとって初めての挫折となります。
ただこの挫折が自分自身を客観的に見る貴重な機会を与えてくれます。
当然野球で結果を出せなかったのは基本的に自分自身の問題であることは前提ですが、一方で当時を振り返るときにいつも思うのが、あの時の自分は“頑張っているつもりだった“ということです。

ここの部分で環境の大切さを身に染みて感じ、自分と同じような道を辿ってしまう子が今もいるのではないか?と考えると、一生懸命に頑張っている選手に「正しい努力」や「成長につながる考え方」などを自信を持って伝えられる指導者になりたい衝動が湧いたというのが一番の動機です。
※当時の指導者批判したいわけではなく、むしろ当時の監督は誰にも真似できない強いリーダーシップを発揮し、泥臭く選手に向き合ってくれていたと感じていますので、いまだに感謝の気持ちでいっぱいです。
この時代だからこそもっとアップデートできるところはあるよねという問いは常に持っています。

実際に部活動外部指導員になったのは手段にすぎないのですが、それでも私にとって野球は小さいころ内気だった自分を自己表現できる貴重な機会でしたし、またその後もいろんな出会いなどを通じて人生を彩ってくれたものだと感じています。
だからこそ子どもたちにもそういった貴重な機会が維持されることを自分自身も望んでいるので、まずは外部指導員という形で指導者としての一歩を踏ませていただこうということになりました。

それでは、社会人になってからの学びなども振り返らせていただきます。

2.社会人でのキャリアと学び

 社会との接続をしてくれた先輩からの問いかけ

私のキャリアは大学卒業後、金融営業を7年、ベンチャー企業で法人営業を3年、現在は従業員数約500名の中小企業に所属し、部活動外部指導員としての活動を行っています。

まず新卒入社した金融業では、なかなか仕事へのモチベーションが見出せず、入社してから数年にわたって口を開けば会社の愚痴、「早く辞めたい」と言いつつ特に何の行動もしてないという思い返しても恥ずかしいほどに怠惰な社員でした。

その当時も「野球の指導者」というぼんやりした興味関心はありましたが、教員免許を持っているわけでもないなど、できない理由を探しては現状の外から出ることを嫌がり、それにも関わらず現状の内の文句ばかり言ってるというどうしようもない状況でした。そしてそんな自分で本当にいいのか?とも思っていた記憶があります。客観的に自分を見ているつもりで本質からは逃げていたなぁと今では思うことができます。

そんな時中学からの先輩と久しぶりに会った際に、「最近仕事どう?」と聞かれて私はいつものように会社への愚痴や退職願望などを口にしたところその先輩から、

「そんなに嫌なら辞めればいいのに。そんなこと言ってる社員にも毎月給料振り込んでくれる素晴らしい会社だと思うけどなぁ。」と確信のど真ん中を突かれ、すごく恥ずかしい気持ちになりました。

今振り返ると、その先輩自身も当時新卒で入った会社からフルコミッション営業に転職されたタイミングだったことから、自分で売上を作らなければ食っていけない環境で日々奮闘しているさなか私のような社会人を目の当たりにして憤りを感じて皮肉100%の言葉を投げかけてくれたのかなと思います。シンプルに“お前なめんなよ“ということです。

あの言葉をかけられてすぐに行動が変わることはなかったかもしれませんが、尊敬している先輩から言われたことでよっぽど現状の自分が恥ずかしかったのか、場面場面で「この状況、あの先輩ならどんな行動をするかな?」と考えるようになりました。
あれ以来少しづつ本質的に俯瞰した自分を見られるようになっていたと思います。自分のキャリアに対しても野球指導者に興味のあった私は外から高校野球を見て、現場の方の苦労や葛藤も理解せず、外野から評論家気取りで「もっとああすればいいのに、こうすればいいのに」などと言っていましたが、そんな自分が気持ち悪くなり、「まずは自分自身が体現者にならないと指導者になる資格はないかもな」と考え、行動にも繋がりました。

実際にその数年後に野球指導者になることを軸とした転職をすることができましたし、本当に行動が変わった出来事でした。

当時皮肉100%の言葉をかけてくれた先輩は憤りの感情の裏には「こいつ本当にこのままでいいのかな?」という私に対する愛情もあったのかもしれません。あの問いかけから行動が変わったという意味では私と社会を接続させてくれたものだと思いますし、内容的には程度の低い話かもしれもせんが、私にとって社会人としての強い危機感を植え付けられた出来事でした。

 「やるかorやるか」身を置く環境の大切さを教えてくれた上司

金融営業は7年間の勤務でしたが、最後の1年は会社のトップセールスマンの方が上司になりました。

少し一緒に仕事をしただけで分かる圧倒的な自分との差。どこでそれを感じたかというと顧客に提供する価値の高さでした。その価値の高さから顧客が経営に関することは何でも担当者である上司に相談する姿を何度も目にし、「自分は会社の中ではそこそこやれている方かな?」と思っていた考えが速攻で崩れ落ちました。
やはりどんな界隈でもトップに触れることができるのは本当に貴重な経験です。一時的に自己肯定感なるものが下がる感覚もあったかもしれませんが、あまりの差にショックを受ける暇もなく、「自分が今までしていたことは仕事のレベルまで達していなかった。早くあのレベルで仕事ができるようにならなければ」と思いました。

その上司からは当然目標必達についても厳しく求められました。
毎日の成果報告、案件ごとの進捗やその案件を自分はいつまでにどうしたいのか?の報告、目標とのGAPの確認やGAPに対する行動の明確化など、当然仕事上で必要なことではありますが、会社のトップの人の仕事のペースや深さを体感できたことは今でも財産です。

その1年間は上司についていくことに必死でがむしゃらに走り切っただけという感覚でしたが、結果的に年間の個人成績は今まででダントツで良く、会社の中でもトップ2の成績を収めることができました。
(ちなみにトップ1はその上司でした)

金融業はこの1年で最後でしたが、本当に濃く成長を実感できる期間でした。
上司から実際に言われていたわけではありませんか、まさに「やるかorやるか」という環境で、いい意味でやらざるを得ない環境だったからこそ結果も出たし、結果が出たからこそ最後まで走り切れたと思います。逆に言うと自分の場合は「やらざるを得ない環境でないと頑張れない」ということも身を持って理解できました。

一方で、当時を振り返っても本当に重要なことだと実感しているのは、上司はただ求めるだけでなく自分に対する期待や今なぜうまくいっているのか?なぜうまくいっていないのか?を日々のコミュニケーションの中で添えてくれていたことです。
具体的には上司から頻繁に「永峯はうちの会社の中でもこういう部分は突出しているから今回の案件はうまくいくと思うよ」「目標は高いと思うけどこいつなら大丈夫だと思って今の支店に配属されているのは俺が見ても分かるから絶対結果出ると思うよ」「この前よりヒアリングの内容がかなり良くなっているけど何か工夫したことあるの?」などといったコミュニケーションをしてくださり、自分ががむしゃらに頑張っただけではなく、上司のような第三因子があったからこそ走り続けることができたんだなと強く思います。

結局その上司も年度末には異動になり、私も翌年には転職をすることになりますが、転職をする軸として成長にこだわりたいからこそ、誰とどんな環境(やらざるを得ない環境)で働くか?ということを強く意識して次の会社を選びました。

本質的でレベルの高い仕事に触れ合い、そしてそのレベルを求められること、また求められるだけでなく期待を添え、ひとつひとつの成果に対してもきちんと科学的にフィードバックしてもらうことで爆発的に成長できた宝物のような1年となりました。

 当たり前の基準を上げてもらえたベンチャー企業勤務時代

私は金融営業職として7年間勤めた会社を退職し、社員数10名ほどのベンチャー企業へ転職しました。仕事内容は無形商材の法人営業です。

雇われている身という保全はあったものの、自分たちで顧客、売上、サービスなどをほとんど0から作っていかなければいけない日々は想像以上に鍛えられました。
そういった段階の組織でしたので、仕事に投下した時間もかなり増えたわけですが、私がいくら量をこなしたと思っていても経営者はその何倍も仕事をしているので私としても休んでいる場合ではないという感じでした。
他の社員の方も基本的に土日祝は休みでしたが、休みの日にも自己啓発やそれぞれが関心のあることに対して行動している方が多く、それはそれは刺激的な空間でした。
この会社では最終的に営業マネージャーへ昇格させてもらい、9割9分悪戦苦闘の毎日でしたが、圧倒的に以前の自分よりビジネス戦闘力は上がったと自負しています。

そんな日々の中で特に私へ熱心に指導してくださったメンター(関係性がやや複雑なため便宜上メンターとします)の方がいました。
その方からは、スーツの着こなしから、営業に行くまでの事前準備(顧客の徹底理解→仮説検証)、提案書の書き方、経営戦略など本当に幅広く、そして奥深く教えてもらいました。

メンターに対して印象的だったことはいくつもありますが、特にというものを2つほど振り返ります。

1つ目はモチベーションについての考え方です。ある日突然にメンターは私の仕事の進め方を見て、「“できること“もしくは“やりたいこと“を優先的に選んで仕事してるよね?できるかやりたいか分からないけど“やるべきこと“って絶対あると思うけどそれをやりまくらないと自分も会社も成長しないし、顧客にも価値は届かないよ。まずはそこから一緒に考えようか」と言われました。
当時私は個人的な営業目標を達成することに多くの時間を割いていましたが(=“できること““やりたいこと“)、いわゆる経営における会社としてどんな価値を社会に提供していくのか?営業チームで何ができるのか?また営業戦略として何が課題で具体的にどんな行動をしなければいけないのか?(=“やるべきこと“)といった高い視座が必要な行動については、「何から手をつければいいか分からない」から目を背けていたのは事実でした。

それ以来実際に手取り足取り我慢強く教えてもらいつつ、今まで以上に“やるべきこと“に注力する日々が続きましたが、取り組んだ結果、不思議と“できること“と“やりたいこと“の幅が広がった感覚がありました。

モチベーションについては、自分にとって“できること”や“やりたい“と思うことがモチベーションに繋がるのは一理あると思いますが、それでは「じゃあそうならないと何もしないの?」という事象にも繋がるリスクがあるなと思います。
とりあえず“やるべきこと“に取り組んでみることで、紆余曲折してでも何かしらの成果が出そうになってくるからやっとそこでモチベーションが出るものだなと、そしてモチベーションの本質はこっちなのかなと思うようになりました。

2つ目は人材育成とはどんな関わり方をすることなのか?ということについてです。
人材育成というと広義な意味になるので、その要素もあるよねという話になります。

ある案件をメンターに同行してもらい、私が作成した提案書の添削をしてもらうという営業であればごく普通の場面ではありますが、経験豊富なメンターレベルでかつ私の体の中から生まれる形での提案書を作成するために毎日夜な夜な壁打ちをしてもらいました。まさに提案書1000本ノックという感じです。
「それは顧客に何の関係があるの?」
「なんでそれが顧客の課題だと思ったの?顧客の事業とどう結びつくのかな?」
「この会社のこだわりってなんだっけ?その中でこの会社の社員の各階層の人たちはどんな葛藤があるのかな?」
などなど、いろんな角度から問いを与えてくれました。
なかなかお互いに納得のいく提案書ができず、私としては脳みそが燃えるような毎日でしんどさもありましたが、「ここまで顧客のことを考えたことないなぁ、こういう視点もあるのか」とワクワクしながら脳みそを燃やしていました。

最終的に顧客への提案後、先方の担当者から、
「提案書を刮目して見させてもらいましたが、うちのことどこかで見てました?震えるほど素晴らしい提案書ですね。」と言ってもらうことができ、脳みそだけでなく体中が熱くなりました。

その帰りにメンターから「頑張ったね」とひとこと言ってもらえたのですが、そのひとことですごく報われた想いになりました。
(顧客から評価してもらえたという成果があってこそかもしれませんが、逆にここまでやって評価されないことはないだろうというところまでやった自信はあったので仮に顧客からの反応が薄くてもそのひとことで嬉しかったと思います)

今の時代、「褒めて伸ばす」や「承認してあげる」ことなどが是のような風潮でフューチャーされている印象がありますが、私のこの一連の経験から言えるのは関わり方次第では「頑張ったね」だけで十分だということです。

私としては今後メンターの立場になったときに高い質の関わり方(幅広い視点を与えられるか、本人の意思を引き出せるような問いを与えられるか、全力で伴走し続けられるか…など)ができるように努力していかなければならないと強く思いました。

他にもまた他のメンバーの方からも様々なコミュニケーションや行動を通じて日々成長させてもらい、私にとっては正しい努力の仕方、成長につながる考え方を学ぶことができ、全てにおいて当たり前の基準が上がる3年間となりました。
本当にこの会社で働く選択をして良かったなと心から思います。

本当の意味で「いい経験だったな」となるように今後ますます努力が必要になると考えています。


とここまで長々と私のキャリアをピックアップしつつ振り返ってみましたが、経験したことやその時感じたこと、学びが整理されて非常にいい機会でした。

現在は3社目のキャリアを歩んでおり、環境を変えた理由については、1番はより自分がやりたい野球指導者としての時間を増やすこと、次に家族の時間を増やすこと(まだ子ども小さいということもありまして)が主です。現状にはすごく満足いっています。

このような選択ができたのも、ここまでトライしてきたこともそうですし、周りの方々にすごく恵まれていたなと感じます。

こうしてここに書いた方々だけでなく、たくさんの方から影響を受け、また環境に恵まれてきたからこそ指導者として関わる人たちが圧倒的に成長できる環境を作っていきます。

少しづつ記事を書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。

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