本書の解説で、東洋大学教授の高橋洋一氏はこのように書いている。
自由主義を軸として政治・経済の政策への提言がなされる本書。今ではもはや常識のようになっている内容もあるので、上記のように「書かれた時代を踏まえて」読む必要がある本だ。
ケインズの理論への批判が根本にあるという。私はケインズの理論を良く知らないのだが、そんな私でももうちょっとお手柔らかに……と感じてしまうほど徹底した自由主義支持の立場から、過去・現行の政策を批判し、市場に対し政府が介入すべきところ、してはならないところの線引きをする。70年以上たった今であっても「え、そこまで?」と思ってしまう部分もあるのだから、当時は超尖っていたのだろう。
少し長くなるが、序文にこの本の主張の根っこを端的に表すような文章があるので引用する。
思わず「なるほどな」と思ってしまう。
この思想をベースに、金融、財政、教育、市場独占、職業免許制度、所得分配、福祉、貧困などの政策に著者ミルトン・フリードマンが切り込んでいくのが本書の内容だ。
以下、本書の特徴的な主張だと感じた部分と、自分が興味を持った部分を取り上げる。
市場主体の活動を最大化する
「すべての場合に適応できるということではないが、なるべく市場で行われる範囲の活動を増やしていくべきである」というのが、各政策への提言の根本をなす主張だ(政府の役割を完全否定している訳ではないところもポイントだと思う)。
金融政策に関する政府の介入は余計なお世話
世界恐慌などを例に取り、国内金融政策においても、国際金融政策においても、政府の介入(もしくは政府が金融政策に対し多くの権限を握ること自体)が事態を悪化させたと著者は述べる。
例えば、世界恐慌の際の連邦準備制度の態度について。
著者は、見えていた崩壊の兆候に対し、連邦準備制度は全てを「傍観した」ことが主要原因であると述べた上で、このように締める。
「経済活性化のための公共投資」は正しいのか
このとめどない公共投資を行う「財政政策」への批判。皮肉が効いた文章が並び、著者の憤りというか……気合いが特に入っていそうな感じがする章だった。
毎年なぜか大赤字な国の財政に同じこと言ってやりたい。
何もしなければ無策と責められるからといって、行き当たりばったりは本当にやめてほしい。
──という私感はいったん置いておいて、フリードマンは、政府の財政管理の望ましい態度について「国民が民間より政府を活用したがっているのはどんなことかだけを考えれば良い。そして政府支出や税率の大幅な変動を避けるよう心がけること」という。
この理論の土台になっているのがケインズの理論。しかしその判断は経験則などからの直感的なものに過ぎず、十分なデータに基づいているとはいえないとフリードマンは述べる。
政府支出の拡大で確かに影響は起きる。しかしフリードマンの調査の結果からすると、それは景気向上の動きではなく、ただ付随して起こった名目所得の増加、物価高とそれによる実質ベースでの民間支出の減少だという。そして、逆の手を打てば逆のことが起こる。
実質は何も変わらない。
なのに政府が経済活動や生活に大規模に介入することが支持されるのはなぜだと、この章は不満タラタラな感じで締められる。
教育の平等を担保する制度
教育における本当の平等とはなんなのか。そして、社会全体に利益が還元されると考えられる「教育の質」自体も向上させるためにはどうすれば良いのか。
フリードマンはその回答として、バウチャー制度を提案している。
しかし保守的な風向きが特に強そうな教育現場に向けては超きつそうな提案だし、いろいろ付随して考えることや整えることが多そう。そのあたりのすり合わせが難しいから結局子育て系の施策は短絡的な「ばら蒔き」になっちゃうんだろうなあ。。。
企業のたった一つの責任
企業の社会的責任とは、「ひたすらに事業活動に専念し、利益を追求することである」とするこの説も、企業がESGやSDGsの目標をこぞって立てている現代においてとても面白い。
資本主義は悪いのか
本書の結論にある文章を見ると、一連の主張は「資本主義は人を幸福にしない。だから政治がより統制を強めるべき」という教養人を中心とした論調に対抗する論であったのかなと思う。
背景には下記で述べられているように、共産主義の勢力拡大があった。
だから共産主義の“失敗”を経て、再び時代の注目が経済へと向いた80年代以降、このフリードマンの説は社会に「民営化・規制緩和」という大きな影響を及ぼした。日本でも、民営化、金融自由化、などの政策が実施されている。
資本主義経済中心の社会が悪いのではない。そこに中途半端に政治が介入している状況が良くないのだ。と。そして市場メカニズムを経済活動が最大限自由に振る舞えるようにすることが、経済を活性化させることにつながると。その一貫した主張が「強いなあ」と感じた本だった。
で、それを受け入れる・受け入れないは、時代と状況が左右している。
そして、これはフリードマン自身も随所でふんわり述べているが、要は適時適用することが必要で、提案している策にしても今考えられる範囲での最善策でしかないということ。
どの時代の、どのような状況にも通用し、全方位をフォローできるような仕組みを生み出せるわけがないということを忘れてはいけない。