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宗教


自分には必要ないと言えるほど、自分の望んだ人生を送れていないし悩みも尽きないし今の自分のままで良いとも全く思っていない。

親でもSの人でも、悩みを打ち明けたとき、親身になって話を聞いてくれて、明るく返してくれる。それにはすごく救われるんだけど。

それでも、最終的に言われるのが
祈れば変われる。理想の人生が送れる。

そこでいつも落胆してしまう。
あーあとなる。
やっぱりこれかよ、と。

悩みとかって、人に話せば多少楽になる。
まあ自分はそれで解消される程度のぬるい人生しか送ってないからかもしれないけど。

だから対話を大事な事だとして、会合で直接顔合わせたりして、すごく良い事をしてるのは分かる。私も、人と話したいから会合に参加してた。でも、根本に信心がなければ、結局何も話せなくなってしまう。
落とし所というか、大事な部分がこの人達とは違うのだから。
というか、解決策は結局題目だけなのだから。

母が言うところの、題目あげれは知恵が湧いて来るとか元気が出て来るとか
それで結果的に解決に導いたり、なりたい自分になれるとかね。分かる部分もある。
けどそれってやっぱり信仰心がなきゃ何の意味もない。
ただ唱えてて何か変わるなら、世の中どうとでもなってるよ。

間で揺れる。
どちらかというと、拒絶したい気持ちの方に寄っているのだけど、出来ない。

母は、必死で育ててくれた。家庭を守ってくれていた。
S関連で恨む気持ちもあるけど、とりあえず今は置いておく。
地元の人達も、圧が強くて苦手な人もいるけど、声をかけてくれる良い人達で。
Mさんも、引っ越してきて孤独な中、色々相談できて、良くしてくれて、心の支えだった。

それでもここまでSに染まれない理由はなんだろう?
考えても分からない。
いっそ染まれたら楽なんだけど。

宗教に限らず、信じるものって自分で決めるべきだよね。
めちゃめちゃ当たり前のことなのに、それを奪われているんだから、それは性格歪んでしまっても仕方ない。と、全てをSのせいにするのはダメだと思うけど...

と、ここまでスマホのメモ書きに書いたものを載せました。
Sは祖父母の代から入信している宗教です。バレバレですが。

人に読んでもらう文章書くのって、難しい。
思春期の頃からずっと、自分だけしか読まないノートにぐちゃぐちゃと書く事で頭の中を整理していたけど。

Twitterでもなんでも、反応気にして書かなくなったりしてたんですが、なるべく気にせずどんどん書いて行きたい。

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