声が通らない人生

 私は接客の仕事をしている。お店に来たお客様に声をかけて、商品を買ってもらう仕事だ。しかし、私はこの仕事において致命的ともいうべき欠点がある。それは声が通らないことだ。

 私が務めるお店では、他メーカーの販売員の方が7人ほどいる。日常品のように頻繁に買われる商品を扱っているわけではないので、お客様の数はスーパーと比べると格段に少ない。よって、販売員によるお客様の取り合いが店内で起きているわけだが、そこでは最初にお客様に声をかけた者が接客の権利を勝ち取るという暗黙のルールがある。そのため、いかに早くお客様に声を掛けられるかが重要になるのだ。

 しかし、このお客様に声をかけることが私は苦手だ。声をかけても「えっ」とお客様に聞き返されることがよくある。また、脳内で思っていることが上手く声に乗らず、歯切れの悪い会話になってしまう。これらの経験があって、今回も声が届かないのではないかと怖気付いてしまい、声をかけられない。そのうち、他の販売員の方にお客様を取られてしまう。

 声の通らなさを解決しようと、これまでにいくつかの策を試みてきた。例えば、お店に入る前にあるYouTuberの動画を見ながら発生練習をしている。また、寝るときに口閉じテープを張って寝ている。口の中が乾燥すると、声が出にくくなるからだ。同じ理由で普段の生活でも鼻呼吸を意識している。

 これらの策が功を奏することもある。そのときは、やっと声のコンプレックスを克服できたと、これからの人生に胸を弾ませる。しかし、効果が表れない日もある。その時の絶望感は何度味わっても割り切れるものではない。

 昨日は仕事があったが、効果が出ない日だった。朝に社員さんに「おはようございます」と挨拶したときに、声の調子が悪いと察した。案の定、接客をしているときも全然声が出ない。お客様との会話も弾まない。表情には出ないように努めていたが、私の心はブルーになっていた。もし誰も近くにいなければ「なんでやねん」と叫んでいただろう。

 仕事を終え(できていない)、意気消沈しながら三宮を歩いていると、楽器隊が歩いていた。楽器隊の陽気な音楽に合わせて、周囲の人々は手をたたいたり、頭を振ったりしていた。「やっぱり音楽は良いな」と私も楽器隊のノリに心地よさを感じていた。

 楽器隊の後ろをついていると、横にいた20代くらいの男性に、「お兄さん、ヤバいですね」と声をかけられた。その人は九州の田舎から引っ越してきたらしく、神戸の明るい雰囲気にテンションが上がっているのだという。面白い人だなと思い、私は彼に「神戸は騒がしいときもあるけど、大丈夫ですか」と尋ねた。「えっ」と聞き返された。薄れていた声のコンプレックスが蘇った。その後もリズムの悪い会話のやり取りが行われたあと、楽器隊が止まったときに私は逃げるようにその場を去った。

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