絶対に正しいものはない、というたわごと

この世に絶対正しいというものなどない。
いつまで経ってもこの念仏に縋って生きる見苦しい人間を多く見かける。
大抵は利権を手に入れて楽に金稼いでオツムが成金化した日本経済の障害物だ。

「絶対に正しいものなどない」は自分の頭で考えて答を出す気のないのがよく言う戯言(たわごと)だが、これが正しい生き方だということが解らないなら解ってる人間にまず聴け。教えてやらあ。

人間はすべて二人で一つの生命体として生きている。
私は一つを二つに分割した片割れにすぎない。
物理的に距離が隔たっているから別々の二人にしか見えないそのもう一人の自分と、物理的にも一つに統合することが産まれて生きる目的だ。

それが判ればどう生きるのが正しいかなど簡単に判るだろう。

たった一人の命を共有している相手と結婚という完成を成し遂げるために生きているのだ。
だからそのたった一人にだけは好きになってもらえるように生きるのだ。
138.6万人に好かれようが37.3万人にフォローされようが、生れついたそのたった一人に反吐がでるほど嫌われる生き方をしていたら全く意味がないわけだ。

未だ悔い改められない正しくない側へ、自然法司法試験に合格しそのたった一人が誰かを知ることができた正しい側から直接声が届くようになる。
声が聞こえるのは聴かなければならないからであって、聴く価値のない声は直接聞こえない。
テレビやラジオや電話から聞こえる鼓膜の振動で知覚できる声など聴かなくていいただの雑音に過ぎない。
聴くべき声は直接脳に届くので、その声の主だけには嫌われないように生きなければならない。
そういうことよ。

誰からも声が聞こえないのは、間違った生き方をしているのであり、自分のたった一人の相手を自力で見つけたらその相手に自分の声が届くようになる。
自分のいうことが絶対に正しい証拠として、直接聴かせることができるようになる。
聞こえるようになった者は、その声の主の言うことを無視せず理解して、その人に好きになってもらうことのためだけに努力して生きる。
それが万人に共通の「正しい」生き方よ。

この世に絶対に正しいことは存在する。
そのことを認識するべきである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?