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EPR相関ペア
毎度の如く、"面倒くさい"私のオリジナル用語解説である。
今回はこれ。
「EPR相関ペア」
非認証Xポストの字数制限の関係で、表記に揺れがある。
「EPR相関ペア」「EPR相関関係ペア」「EPRペア」等。
すべて同じ意味だ。
私がこの語を使う場合の定義は、
「元型」上生得的に結婚することが予定され結婚する義務のある「唯一の異性」
を意味している。
すべての人間は一人の例外もなく「EPR相関ペア」の対を持ってこの世に生まれてきているがその関係には以下の性質がある。
①EPR相関ペアは、「同時に」この世に生まれてくる。
②EPR相関ペアが"命を失う"瞬間は同時である。
③EPR相関ペアは、死ぬまで相関ペアの関係を解消できず、その義務から免れることはできない。
④EPR相関ペアの組み合わせは、必ず「男と女」である。
⑤EPR相関ペアは、ペアの片方が自らと対関係にあるペアが誰かを発見した時点から封印が解け「量子もつれ」現象を発生させる。
私が述べる「正しさ」はすべて私が1988年3月5日に発見したこの「EPR相関ペア」を論拠としてる。
現象として「EPR相関」するペアが存在しているという事実に基づき、その因果から色々な副次現象や原理、法理が生じる。
「EPR相関ペア」を前提に体系化している、本来的に存在する「不変の法体系」を「自然法」と呼ぶ。
「自然法」は不変法である。
私が言うことを古いだの新しいだのと言っている時点でお笑いでしかないということだ。
EPR相関は「元型」である。
例えば②の「"命を失う"瞬間が同時」という性質から、歌舞伎や人形浄瑠璃の主題となる「心中」への憧憬が生じてくる。
好き勝手に惚れた腫れたの関係になった非EPR相関ペアの男女が、偽りの相手とEPR相関ペアにしかできない「同時に死ぬ」という一体感をほしがるところから「心中(情死)」という愚行が発生する。
情死というただの愚行を美しく素晴らしいもののように描く妄想が生じてくるのは人間に「元型」が存在しているからだ。
「心中物語」という主題イメージは「元型由来」(※注1)ということである。
以上が私が自らの語彙として使用する「EPR相関ペア」の意味であるが、その語源について若干解説をしておく。
EPR相関ペアの「EPR」はアインシュタイン(Einstein)、ポドルスキ―(Podolsky)、ローゼン(Rosen)という人物名の頭文字を一つずつとって並べたものだ。
理論物理学の量子力学で知られている「EPRパラドクス」を起こす量子のペアのことをEPR相関ペアと呼ぶ。
量子力学が扱う「EPR相関ペア」に関する説明は例えば以下のようなものだ。
二つの系の間に完全なエンタングルメントがあるものはEPRペア(EPR pair)と呼ばれ、特に二つの量子ビット(二準位系)の場合はベル状態(Bell state)と呼ばれる。
エンタングルメントとは二つ以上の粒子、または量子力学的系の振る舞いが、古典的相関や通常の複合確率で扱えないような状態の性質。
量子もつれ、あるいは量子相関、まれに絡み合いとも呼ばれる。古典論にはない概念であり、量子コンピューターや量子テレポーテーションにおいて不可欠となる概念。
https://imidas.jp/genre/detail/K-112-0006.html
こんな文字列を読まされても何のことかさっぱり解らないだろう。
物理学はこれらを「数式」によって書き記そうする学問だから、尚更わけがわからなくなる。
従って私は人間の「イメージする能力」を使って腑に落としてもらおうとするものである。
EPR相関もしくはEPR相関ペアとは何か?
例えば、一つの光源から発生する「光」があったとする。
光は「量子」である。
量子とは物質を徹底的に因数分解して、これ以上小さくすることができないところまで細分化した「最小のもの」のことだ。
元素の構造として知られる陽子や中性子、その周囲を回っていると言われる電子はすべて「量子」である。
その元素が結びついた物質(化合物)から化学反応によって光を発生させることができるが、その「光」も「量子」の一種であり視覚によって観察できる量子を「光子」と呼ぶ。
光源から光を発生させてみる。
人間の観察眼によれば、光を発生させればチカッと1つ光って見えた、という感じで知覚することができるが、現象としての光は一つの粒が光源から飛び出したわけではない。
光源から「球」を描くように光の"粒"が四方八方に向かって光速で膨らんでいくように運動するのが光の発生であり現象だ。
例えば、とても静かな池の水面に一つ石を投げ込んでみる。
すると1つの石が投げ込まれたポイントから、湖面に正円を描くように波紋が生じて小さい円から大きな円へと膨らんでゆく、という現象を見ることになる。
円を描いて大きくなる模様は「”波”紋」である。
海底で地震が生じると、その震源を中心に円を描いて「波」が発生して、波の円は大きくなってゆく。
波は震源から遠ざかるように動く。
その波の一部が陸地とぶつかると「津波」になる。
それと同じ現象だ。
上記した水面の事例は二次元で起きる現象だから「円」なのであって、光の場合は三次元だ。
「光子」という量子は時空を歪ませる「粒のような波(波束)」だから、波紋として水面に現れた「円」は三次元の時空では「球」になる。
光子という量子は、障害物がなければすべての方角に向かって球を描いて遠ざかる"波"として発生するわけだ。
光の速度は一定であり「光速」だ。
光速を超えた速度で移動する粒や波は存在しないと言われている。
これはアインシュタイン相対性理論の結論である。
話を元に戻すが、光源から光を発生させてみる。
光は光源から球を描いてすべての方角に光速で遠ざかる光子の運動として生じるものだ。
左方向に飛んでいく光の”粒”と、正反対の右方向に飛んでいく光の”粒が”同時に生じるわけだ。
この左右の光が「EPR相関」関係にあるペア。
すなわち「EPR相関ペア」である。
同じ光源から発生し正反対の方向に光速で移動する光の間には、物理現象としては光速の2倍の距離が生じる。
そのペアには「光の速度を超えるスピードで遠ざかる」「距離」があるわけだから、その間に情報の伝達はできないはずである。
仮に右方向に飛んでいく光子に何らかの変化を加えたとしたら、左右の光の状態は一致しなくなるはずである。
仮に一致するとしたらそれは光が発生した時点からその「結果」が決まっていたことになる。
仮にその光子のペアの間に、観測結果が一致する現象が起こったとすれば、その結果は最初から予定されていたことになる。
つまりそうなることが最初から決定していた「運命」だったということになる。隠された「変数」が存在していたことになる。
それが「EPR」が想定した結論である。
ところが、光速を超えて左右に遠ざかる光のペアを観察した結果は100%一致するということが実験で証明されたのである。
量子力学理論では、左右の光の観測結果は予測できない。
ランダムであり偶然であって一致しないはずだという設定(ベルの不等式)があった。
その設定の正しさを証明するつもりの、極めて誠実な実験学者たちが証明したものは、ベル不等式の破綻という逆の結論だった。
左方向に飛ぶ光に加えた変化が、瞬時に右方向に飛ぶ光に伝わったとしか考えられない現象が実験で証明されてしまったわけである。
EPRパラドクスと呼ばれ、物理学上あり得ないとされた現象の存在証明である。
実験をした3人の学者(ジョン・クラウザー、アントン・ツァイリンガー、アラン・アスペ)はその功績によって2022年ノーベル賞を受賞することになった。
「運命」として最初から決まっていたわけでもない、EPR相関ペアの量子の間の観察結果の「完全一致」だ。
そうなるメカニズムは何なのか?
野村泰紀(※注2)という学者は「ワームホール」というインチキなものの存在を想定しないとこれらを説明することができなかった。
物理学という知能は、その「情報の伝達」の間に「距離」というものの存在を絶対視する。
その「距離」の間に何らかの情報伝達があった、というようにしか考えられないのが物理学者のポンコツ知能なのだ。
従って、そこには量子テレポーテーションというものを想定してしまう。
「量子テレポーテーション」とは、「"光の速度を超えるスピード"でやりとりされる情報伝達」ということだ。
量子テレポーテーションの情報のやり取りをする「量子のペア」は「量子もつれ(エンタングルメント・entanglement)」の状態にあると考える。
そうとしか考えられないのが理論物理学者たちだということである。
これら量子力学者どもが持て余す自然現象は、そもそも物理現象ではない。
「量子テレポーテーション」や「量子もつれ」という語そのものが現象の本質を理解しない人間の造語もしくは翻訳でしかないのだ。
EPR相関ペアの間に、量子テレポーテーションなどそもそも存在していない。EPR相関ペアの間の情報の一致は、量子がもつれているから起こるものではない。
それらはEPR相関ペアの「表」に起こった変化が「裏」を変化させたものであって"全く同じもの"だ。
光速を超えるスピードで情報が伝わったのではなく「同時」に起こったものに過ぎない。
「同時」である以上、光速を超えるスピードという妄想から発生する、光速を超えれば時間は過去に遡及するという設定もただの妄想にすぎず全く意味をなさない。
タイムトラベルだの、タイムマシーンだのというSFファンタジーもEPR相関の量子もつれ現象から演繹することなどできない。
「同時」に起こった現象に「スピード」はなく「時間差」も存在していないからだ。
光速を超えるスピードによる情報の伝達は少なくともEPR相関ペア量子の間には生じていないし「光速を超えるスピードで移動するものはない」というアインシュタイン相対性理論を反証するものでもない。
量子力学者たちは、EPR相関ペアの間に生じる「量子もつれ」を正しく理解するための知能と努力と誠実な科学者としての良識を欠いた、量子を科学技術利用しようとするだけの煩悩の亡者たちにすぎないのだ。
煩悩の亡者たちは、EPR相関ペア量子の"情報伝達スピードの速さ"を使って超高速コンピューターを作りたがっている。
従来のスーパーコンピュータが6億年かかった計算を200秒でできると言う者もいる。
それが実現すれば1990年以降ネット上に構築したネットワークシステムのセキュリティはすべて無に帰する。
そのような「量子コンピューター」開発に野心を燃やす一方、それから機密情報を守るためのEPR相関ペア間に生じる「量子もつれ」を利用した機密情報伝達システムの開発もしたがっている。
EPR相関ペアには「量子もつれ」によって、
⑥超光速情報伝達、超高速演算処理性
⑦情報伝達の機密性(量子暗号)
の二つの性質が技術利用できるのではないかと期待されているわけだ。
1988年3月5日午前3時40分に私が起こした「自然法司法試験合格」によって、⑦の情報伝達の機密性に関しては実験によって証明することができる状態になっている。
"光のスピードを超える"情報伝達は現象として生じてはいるが、それを実感できるのはEPR相関ペア同士の間だけで、第三者に伝えるにはデバイス機能の問題があって証明することは難しい。
情報伝達の機密性については、EPR相関ペアを揃えて実験すればすぐにでも証明が可能だ。
EPR相関ペアの片方をフランスに行かせ、日本にいるペアのもう片方から情報発信して正確に受け取らせるということが可能なのだ。
フランスと日本に別々にいるEPR相関ペアの間には地球という物体が存在するが、地球という物体に全く遮断も妨害も干渉もされずに隣にいるのと同様のクオリティのまま「声」が伝わるからである。
しかし、TBSによってそれを証明することを37年間妨害され私がしたノーベル賞100個分に値する「発見」は揉み消されている状態である。
私の知性は量子力学を超えているが、日本の最高学府を自称する官僚養成と社会不適合者収容福祉施設の機能しかない東京大学を卒業した無能なエリート官僚どもによって、闇から闇に葬り去られるのみになっている。
(※注1)「元型由来」
https://note.com/bright_bee106/n/n38a657d1a791
(※注2)「野村泰紀氏に対する反論」
https://note.com/bright_bee106/n/n04bbaac32c6c