団扇(うちわ)
これは2015年10月07日付でブログにアップロードした一文だ。
執筆日は最後に記している。
1991年11月20日だ。
しかしこれは加筆修正した年月日であり、この原文はもっと昔に書いていた。
1988年には骨子はできていたはずだ。
つまり今認めている「新遺詞集」の前の「遺詞集」時代の散文である。
それを1991年に手直しして完成させたからこの日付になっている。
それを再び2024年9月11日付けでNoteに掲載することにした。
無論、別の徒然書きと通じるからである。
※ ※ ※
団扇(うちわ)
死のうと思っていた。
心の冷えきった暑い夏であった。
四畳半の下宿を片附けた。
散らかしたまま死んでは恥かしいから。
それだけの理由で一晩を費やした。
廊下のつきあたりに窓がある。
そこは二階だから滝が望める。
絶えることのない川の水脈。
押黙る術をしらない滝の囁き。
いつのまにやら蟬の輪唱。
そこかしこにうっすらと滲みひろがる光の粒子。
見上げれば、すでに陽光が暁闇の色を漆黒から紺青に薄め始めている。
もう朝がやってきていた。
出会い頭の冷ややかな微風にパンの焼ける芳ばしい匂いが潜んでいた。
そうだ、死ぬ前に少しだけ空腹を満たしておこう。
背を丸め、伏し目がちに訪れたパン屋の、無機的に開く自動扉の向こう側に、思いがけなく白鷺がいた。
可憐な鳥であった。
トレパン、トレーナーに店のエプロンを纏って機敏に立働く彼女は、口紅すら引かない真剣な素顔のなかに、夢見るような澄んだ大きな瞳を耀かせていた。
そこには明らかに、恋する乙女の虹彩があった。
恥じらいを隠しきれない微笑を傾け、快く響く啼声ではっきりと言った。
「アリガトウゴザイマシタ!」
疑う素振りなど微塵もみせずに懐いてくれる彼女に何となく済まないような気がして、できるだけ心を交わさずに数ヵ月を過ごした。
ただ黙って彼女の啼声を聴くためだけにこの鷺宮に通ったのである。
わが内実に点した命の火影のか細さを気取られたくなかったから、その場かぎりの笑顔を作り、ちょっと頭を垂れて、冷淡な会釈を彼女に返す。
内心密かに呟いていた。
『ぼくは今生きようとしていません。あなたにあげられるものをなにも持っていません。ごめんなさい』
彼女から団扇を一つ貰った。
パン屋の屋号を刷り込んだ「粗品」の団扇を、彼女の手から受け取ったのである。
とても嬉しかった。
わが身を扇ぐたびに温もりが滾々と湧いてくる、何とも不思議な団扇であった。
四畳半の部屋に閉じ篭り、何もせずに畳のうえに寝転がって、団扇をぼんやりみつめているうちに、また夜になった。
廊下のつきあたりの窓から滝の啼音と夜風に身を委ねながら、まるでそっぽを向くかのように斜に身構える冷たいコンクリートの建物の一劃からうっすらと洩れてくる彼女の部屋の灯を、厭きもせずにいつまでも眺めつづけた。
あそこから白鷺が飛びたつまで生きていようと思った。
――1991,11,20――
<解説>
主人公男性は23歳。
白鷺と呼ばれた女性も同じく23歳。
ちなみに、これのオマージュでもある。
死のうと思っていた。
ことしの正月、よそから着物を一反もらった。
お年玉としてである。
着物の布地は麻であった。
鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。
これは夏に着る着物であろう。
夏まで生きていようと思った。
――太宰治「葉」 ――
※「鳴滝の散歩道」
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