【デュエプレクロニクル所感】ゲーム外から、拝領する
リリース日からデュエプレを触りつづけている人間として、クロニクルパックの所感を記す。まずはさすがにこれである。
本記事の内容は半ば予測できるだろう。「ゲーム外から」を考える記事である。
叡智の光=ホーリー・スパークを、外なる存在から受け取り、「アルカディアス」に至る、まことにわかりやすいデザインである。アルカディアスには、さらに上がいて、それは「叡智」のキーワードにてたびたび記される「サファイア・ウィズダム」なわけだが、
その外なる「叡智」を、デュエプレの歴史のはじめたるアルカディアスの格を損なわずに示唆する点で、すぐれたテキストである。
叡智そのものは、けしてゲーム内には存在せず、だからこそ「外から」、光として具現し、「ゲーム内」のアルカディアスを導く。
それは除外されず、光として、ずっとゲームに加わっているのもよい。不在によって、その在を示す。まさしく叡智とは、そうある営みだったろうか。
クロニクル的側面としても、スターマンについての言及があるのがすばらしい。
さて、他にも、「ゲーム外」の記載があるカードには、思いあたっておられると思う。まず一枚。
ルドルフである。「ネロ・グリフィス」である彼女が、アルカディアス騎士団を名乗っていたこと、あるいはアルカディア・エッグから出ることで、やはり「ゲーム外」テキストに深みが増す(あと、非常に重要なこととして、ネロ・グリフィスが女性騎士であるという共通認識、歴史は、まさしくデュエプレによって生まれたものである。既存のクリーチャーに新たな光を当てている、それもデュエプレクロニクルである)。
また、このカードは人気投票、すなわち「ゲーム外」から立ち現れたカードであることも、考慮に入れたい。クロニクルというテーマ自体、この文脈と不可分である。つまり、いままでの歴史に対して、それを踏まえた新たなゲーム外からのアプローチこそがクロニクルであるわけだ。従ってまた、ゲーム外から時にナイトの秘技として、時に叡智として差し込む光は、そのクリーチャーにやどる歴史と、それを知るプレーヤーの……。いや、さすがに飛躍が過ぎた。
もう一枚。
サガである。もとのカードというか、もとのコンセプトは、おそらく、善悪、あるいは光と闇を分かち、神の並び立つ世界をつくる創造神みたいな感じだと思う。
一方、
世界(ゲーム)の一部として、マナゾーンなどで単なるカード、装置として存在している神を、ゲーム外の事象によりバトルゾーンに神として現前させるというのが、デュエプレサガだ。根本のイメージは全く同じだが、ゴッドカードという仕様によって、ゴッドを出す能力にさらに味付けがなされている。
ゴッドカードは、参照時ゼロコストで、ゴッドが内包されている仕様であるため、ゴッドカードそれ自体はまさにカードとしてゲーム内に在るだけの存在である。そのため、サガが扱うゲーム外からの能力は、それらに内包された神を完全な状態で、カードではなく、神として価値づけし、降臨させる物語性をはらんでいるとすらいえる。破壊神は逆に、世界をすべて、たんなる事物(カード)として価値を奪い、遡行的に破壊していると考えられる。
自ら「ゲーム外」の力をふるい、世界に干渉できる彼らがすでに、「ゲーム外」的クリーチャーであるともいえるだろうか。
以上が、「ゲーム外」から発動する能力をもつカードである。これらは、ゲームにないものを、「外から」、あるいは「外なる存在から」導入している。いままで、その力は一時的で、すぐに除外されていたが、クロニクルのアルカディアスはそれを除外せず、光はずっと残り続ける。思えばデュエプレの歴史には、常にスパークの姿があった。おそらく、これからも、光は除外されず残り続ける。アルカディアスとともに。すくなくとも、そう信じている。