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京都と私、とある一日

 修士論文を書き終えた次の日、いい天気だったこともあって、外に無性に出たくなった。でも、一人で行くのは…と思った、そのとき、妹から電話がかかってきた。「やっふ~、ひかりん!」と明るい声。ふふっと笑顔がこぼれた。
 「ひかりん、私のおみくじを代わりに引き直してきて!」 妹は大事な試験を控えている。初詣のときに引いたおみくじがあまり良くなかったらしい。「私のことを祈って引いてね!」とプレッシャーをかけてきた。
 京都での初詣は2024年になって初めて。ワクワクしてきた。学業の神様が祀られている北野天満宮に決まり。妹のおみくじを引きたい。2024年は辰年。そうだ、近くだから龍安寺にも行ってみよう。パワーをもらえるかもしれない。


 京都は町を見ながら歩くだけでも楽しい。音楽を聴きながらなんてもったいない。自然に耳に入ってくる刺激を味わおう。周りをきょろきょろ見ながら歩く。自然と口角があがる。にこにこしながら歩いていると、目が合った人が笑いかけてくれる。スーパーのタイムセールの前を通りながら、あっ、帰りに寄ろうと思う。(帰りのときには既に終わっていた…(笑))


 あっという間に北野天満宮に着くと、大勢の人で賑わっていた。まだまだお正月ムードが残っている。そうか、今日はセンター試験1日目だと思い出す。だからか、多くの方が時間をかけて参拝しているような気がした。あまりにも長い列だったので、今回は手を合わせるだけにして、私はおみくじを引きに向かう。先に番号を引いて、後からおみくじをもらうシステムだ。すごくドキドキする。神様、妹のためにお願いします!と祈りながら番号が入った入れ物を思いっきり振る。これくらい振ったらええかな…と思いながら番号のついた棒を見ると、「16番」 おみくじの結果は「吉」だった。学業について書いてある文章を読むと、何とも微妙なコメント…ここで「大吉」を引けないところがやっぱり私だと少しがっかり。「龍安寺でもう一回引けばいいか!」と龍安寺に向かって歩き始めた。気持ちを上げようとするのは難しくない。

 周囲を見ると、色んな人がいる。御利益を願いながら、北野天満宮に臥せている牛を撫でているおばあちゃん、大きな龍の絵が描かれた入り口でぎゅっと肩を寄せ合って写真を撮っている御家族、子どもの合格を絵馬に託すお母さん…見ているとこちらも元気になる。私も一緒に臥せ牛を撫でて願いを託した。


 龍安寺に向かう途中、ギャラリーという文字が目に入ってきた。私は、小さなギャラリーで開催される個展に導かれることが少なくない。今回も目に入ったアート作品に魅かれ、窓を覗いた。すると、カラフルな帽子を身につけた女性の方と目が合い、驚いた様子でドアを開けてくれた。なんと、初めてのお客さんだったらしい。「今回の個展は、親戚や友達の方しか来てくれないだろうと思ってたから、本当に嬉しい!」と言ってくださった。この方とお話ししたい。そう思った。
 彼女の作品から感じるエネルギーには様々なものがあった。優しいもの、エネルギッシュなもの、悲しいもの…そこに表された色や形から、作成者の心の在り様が想像できた。芸術は表現だ。内から溢れ出る表現が形になっているものだと思う。
 「どうして来てくださったんですか。」の一言から会話が始まった。話はどんどん深まっていき、もっと話したい、もっと聴きたいと次々に言葉が紡がれていく。女性の気持ちを想像することしかできないが、その想像に助けられながら私も言葉を紡ぐ。女性の話を聴いた上で作品を見ると、今まで見えなかったものが見えてくる。作品は女性の生きてきた道なのかもしれない。
 これも「御縁」だ。ふらっと引き寄せられたところで出会ってつながった。
 時間があっという間に過ぎてしまったが、自分の「したい」という感情に素直になって過ごせることは「一人」の醍醐味である。決められた予定の無い日だからこそできる過ごし方でもある。でも、私はまだまだ「一人時間」の楽しみ方を分かっていない。没頭していい環境ってあるようでない。「一人時間」というものを、もっと気を張らずに楽しめるようになりたい。いつかなれるだろう。ゆっくりでいい。

 さあ、次は龍安寺。また一歩ずつ歩き出す。

 龍安寺は厳かな場所だった。静かで、つい深呼吸をしてしまう。龍安寺におみくじは無かった。でも、ゆったりとした時の流れと穏やかな雰囲気があった。庭の石の数を数えたり、石の苔をじっと見つめたりする人々の背中を龍が見守ってくれている。
 雨が降り始めた。木々が青々と背伸びをしているようだった。屏風に描かれた龍は様々な表情をしていた。龍の壮絶な人生が描かれていた。龍にも山があって谷がある。私も龍のように少しずつ、でも、確実に前を向いて歩いていきたいと思った。

 京都でのある一日を綴ったのは自分のためである。

 京都という場所で学ぶと決めた私。
 京都という場所に慣れず、苦しんだ私。
 京都という場所から距離を置いていた私。
 京都で就職すると決めた私。

 これからは、京都ととの距離感をどうやって縮めていけるのかを模索していこう。どんな環境であっても、「私が私を生きる」ことを変えなければ、環境には少しずつ慣れていくはず。

 今までの私を支えてくれたものすべてを支えにして生きていこう。きっと大丈夫。

 京都の観光地を説明できるぐらいの距離感になりたい。そう思えるようになるまでに2年かかった。もう少し早いと思っていた。きっと、理想が高かったんだ。

 妹へのおみくじは期待していたものとは違っていたけれど、明るい未来への期待を少しだけ握っていけそうだ。少しずつ、ぼちぼちでいい。

 京都へ、これからもよろしくね。


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