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エゴで、ひとと森が共にある、をつくる*自己紹介とやりたいこと

初めましての方ははじめまして。面識のある方、お世話になっています。安藤あかりです。今まで一つにまとめたきちんとした自己紹介を作ってこなかったので、経歴も含め、現在のビジョンも含め、私の軸を長々とここにまとめます。

《簡単に現在のプロフィール》長野県出身で大学から北海道へ。農学部森林科学科。4年の後期から1年休学して今に至る。

《これまで》人の価値観は人生で経験してきたことにしかよらないと気づいたので、長くなりますがここまでに起こったことを書かせてください。

長野県の山奥で育ちました。人口800人、村に一つの小学校は全校生徒が少ないときで27人。(今なんと人口600人台に)だからもともと自然は身近にありました。猫や犬や鶏を飼い、畑や田圃の手伝いをしろ、勉強より家の手伝いのほうが大事だそんなことを言われていやいや手伝って、学校が終わったら友達と裏山で秘密基地を作ったりして遊んでいた、そんな、幼少期。都会に自然はないんでしょ、自然のほうがいいな、と、身近にいる大人の言うことがそのまま自分の意見になっていました。

中高では部活に熱中して、勉強もそれなりにするのが当たり前だと思っていたからする、優等生だったと思うけれど、どんなに下手くそでも、運動神経がなくても、ひたすらに積み重ねればある程度までできるようになるという成功体験を得たときでもありました。

いったん自然にどっぷり浸かる生活から離れたことで動物好きだなあ、自然が好きだなあと思い始め、大学の中でも自然豊かそうで自然が好きな人が多そうな北海道に行くことを決めました。周りの大人の言うことがすべての世界から一旦自分で選択をしたと言えるように、遠くに行けば自立できるんじゃないかという気持ちもおそらく要因の一つでした。社会の仕組みや文化にも興味があったし、動物や生き物、生態学にも興味があったし、物理も面白いと思っていて、決めきれていなかったのもあり、大学1年の教養の授業を受けながら2年次に学部学科を選択する道を選びました。

好奇心旺盛でそれに振り回されるところは今も変わっていません。困ったことでも、嬉しい悲鳴でもあります笑

とにかく色々な教授、先輩に話を聞きまくった結果、「自然と人をマクロで見てみたい」と思い、行き着いた先が現在所属する農学部の森林科学科。

森がないと人間の生活成り立たないくらい大切な存在で、その中には生物同士の複雑な関係もあること、水の循環も担っていること、色々学び、自分たちが生きられている環境の本質を知ったようで、とてもワクワクしました。一方で、これは結局社会で何かに役立てられるのだろうか、学んで「面白いね、興味深い」で終わるんじゃないかという懸念が頭をもたげてきました。それは、日本では森に対してコストが高すぎて補助金なしでは整備も活用もされていないところがある、「林業の未来は暗い」と話す教授の話を聞き更に自分の中で大きくなっていきました。

鹿児島に実習に行き、森に関心を持つ多様な背景の人と関わったことも重なり、「自分から動いてみる」という選択肢が自分のものになってきました。自分は自然との暮らしの中での関わりを経験してきたからこそ、森と人が近い関係にあることがどんなことなのか想像がつく。生活のあらゆるところで自然と関わることを知っている人が減ってきている(山間部等の過疎化、一次産業従事者の減少)今、そこにアプローチできるのは私なのではないか。今やらないで誰がやるのか。そんな気持ちで、コロナの波の合間を縫うようにして、全国の大学生が子どもたちと自然の中で遊ぶキャンプを主催。経験もなんもないからグダグダの中よく多くの人が協力してくれたよなあと思います。周りの人が凄すぎてなんとかなってしまいました。遠くから来てくれた皆さん本当にありがとうございました。

イベントを通して、自分の周りには自分以上に森や環境に関心があったり知識があったり、大好きな人がたくさんいることに気づきました。でも、そんな先輩や同期は森での仕事につかずに、違う仕事に就いていく。私にはないものをたくさん持っている情熱ある人達が大学のサークルで終わるものと考えているのはとても悔しかったし悲しかったです。

その後、いろいろ迷ったけど休学を決めて、日本の地域の方、森に関わる仕事をしてる方、と関わらせてもらったり、その中で継続可能性=資本主義の現在で言うとビジネスも必要なのではと気づいてそっちを学び始めたり。

自然と関わっている人のところにこれからの森を活用していくヒントはあると考えてフィリピンの山岳民族のもとに滞在していたり。

そして今に至ります。

とにかく現実を知ろうと思い、リアルな世界をたくさん見ました。大切にしたいものが固まってきたし、実現させようと動いている人たちに出会って形が見えてきました。

《現時点での価値観とvision》

動いては立ち止まってを繰り返して、今見えている大切にしたいものと実現したい世界をここに残すと、「つながり、巡る。」そもそも、すでに世界はつながりでできているはず。食べているのは他の生き物の命だし、水は森がなければこんなふうには得られないし、世界のどこかで関わった人がいるからこのコーヒーが飲めているのだし、昔森を残した人がいるから、私達は日本は森林大国だと言えてその恩恵を受けられるのだし、逆に木を輸入したからインドネシアの森はなくなったと言えます。普通に暮らしていたら、私達はこのつながりを忘れて、いかにも自分一人の力で生きているかのように感じてしまう。それを思い出させてくれたのは私にとって森で、森と深く関わる人でした。

正直、人も好きだし森や自然も好き。目指したいのは地球と人が共生する世界。人も生態系の一部になる世界と呼んでいます。だけど残念ながら、クリーンな共生なんて言うものは存在しない。過剰な森林伐採や、フードロスを除いても、いくらベジタリアンになったところで、生き物を食べ、私達が生きていくにあたって、畑をつくり、山を開拓する。木を使うために、木を切る。鹿が増えたら農産物が全滅するから鹿を狩る。

言い方は悪いかもしれないですが、私は「森(や自然、地球)をとことん使い倒し、エゴに向き合って森と生きる」生き方をしたいと思っています。使い倒す、は森林伐採を進めていい、という意味ではありません。森との関わりを深くし、ポテンシャルを活かし、今だけのために使い倒すのではなくて200年とか1000年、もっと先までのスパンで使い倒すということです。共生、ということを願うのも、自分がその世界が心地良いからとか、結局自分に帰着していて、突き詰めると、自分の場合は「人が、未来も幸せに生きていく」ことに行き着く。これって、ただ、人間のエゴだなあと思う一方で、このエゴが人間らしいんじゃないかと言うのが最近の結論です。

食べること、暮らすこと、幸せでありたいと思うこと、これを成し遂げたいと思うこと。すべてエゴ。でも、それでいい。それがあるからこそ存在する自然との関係もあるし、それこそが、生態系の一部としての人間になるということ。ただ、普通に生きていると、エゴであることを忘れそうになる。人が自然をコントロールしている、だとか、自然のためにいいことをした、だとか。人間はちっぽけだから、すべてをコントロールすることなんてできないし、自然に対してするいいことは、私達基準で私達の未来のためにやっているに過ぎない。生きるために森から色々ともらっている、だから、未来の人のためにもらったものを次に繋げていくべく返していこう。こうして人と森が未来に少しづつ繋がっていったら、そのつながりが小さくともいろんな分野で、いろんな場所で起こっていったら、受け取ったものを、次に繋ぐ、とつながりが巡っていくと考えています。

まずは自分が森を知り、楽しみ、

小さく森と人を、未来に繋いでいく人になります。

でも、一人では絶対にできない。小さなインパクトは与えられるかもしれないけれど、森はいろんな要素が絡まり合っての森なのです。今私の周りにいるような、森や環境に思いがある人達の力を借りたいし、生かしたい。そんな仲間とともに、複雑だけど人にとって大切で、面白い、森を繋いでいく組織をつくります。森の魅力に気づいてくれた人が、想いをかたちにしていけるように。



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こうやって見るととがりすぎ。この時ずっとほぼ一人だったし、対話みたいなこと出来なかったし、色々期待してたところに失望してたし笑笑

今はもっと柔らかいはず
今の理念は「自分が死んだ先の未来に幸せな世界を残す」
ビジョンは「ひとと森がともにある、をつくる」

エゴを知り、エゴでいるっていうことは今も大切にしているけど、わからない、を知る。無知の知、わからないを認めて苦しいけど探り続けアップデートし続ける、これを大切にしたい。これも全部エゴから来てるとは思うので前に言ってたことも大切にしたいこととして変わってはいないけど。
というか、何も変わってないけど言い回しと、根本にあることの認識が変わってきているだけ

そして、今の自分がある程度理解者がいる状態で、ある程度生活に余裕がある状態で、これからの未来の幸せのために動けたら、きついかもしれないけど泣きたいくらい幸せである。その中で自分が出来てやりたくて熱量持てるところが、『ひとと森がともにある、をつくる』ところだと思った。何よりそんな世界が自分が死んだ後にでも実現されたら今涙が出そうになるほど幸せである笑何度も言う笑
具体的にそれが何なのか、もっと探っていかなくちゃならない。
もっと、自分のやりたい世界を実現することを貪欲に。


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