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平成生まれの私の胸を打った「昭和天皇」の御姿

こんにちは。
本日のメルマガを担当するダイレクト出版・政治経済部門の佐藤です。私は、平成12年生まれで、「昭和」という時代を経験したことがないのですが…
そんな私が、日本は本当にあたたかい国だな、と感動した昭和の「あるエピソード」を、今日はご紹介させていただきます。
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あなたは、この写真に見覚えはありますか?

私が感動したエピソードとはこの写真で知られる「昭和天皇」のお話。
学生時代、「昭和天皇」といえば歴史の授業で目にしたこの写真。“マッカーサーの隣に立っている人”という印象しかありませんでした。弊社に入社し、さまざまな先生の講座で「昭和天皇」は国民にとって特別な存在だったと耳にしても、
「天皇が国民の心の支えだった」
「天皇と国民が手を取り合った」
という状況は想像がつきませんでした。

私の中で、「『天皇』は国民から遠く離れた存在だろう」そう思っていたからです。しかし、あるきっかけによってこの思い込みは、大きく崩れることになります。 

昭和天皇が戦後に日本全国を回られた「御巡幸」の本を復刻することになったのです。そこで私は初めて「昭和天皇の御巡幸」を知りました。終戦直後の、まだ日本に焼け野原が広がっている時に昭和天皇が全国を巡られたというお話でした。

それも、なんと、3万3000キロという距離を8年半という年月をかけて。
日本で1番偉い天皇陛下が、直々にこんなにも大変な思いをされて国を回られたということに衝撃を受けました。

ですが、私の胸を打ったのはそれだけではありませんでした。御巡幸が始まったのは1946年。まだ国内は敗戦ムードにつつまれ、国民には元気も生活の余裕もないはず。そんな時に、国のトップがやってくる。人々は「どんな顔して…」と思ってもおかしくなかったと思います。

実際、日本と同じ敗戦国、イタリアでは指導者が民衆の前で処刑され、死体が蹴られるという悲惨な最期を送ったと聞きました。

きっと日本人も同じように、心のどこかで天皇を憎む気持ちはあったのではないか…私はそう思っていました。しかし、その予想は大きく裏切られました。

“その御姿を一目拝もうと、7万の大衆が集まり昭和天皇のスピーチが終わると、会場には地響きのような万歳三唱がこだました。”

“大群衆は感激の涙に濡れていた。人々は日の丸を打ち振り、陛下は何度も何度も御帽子を高く高く振られた”

(1947年12月、広島市にて)

今の時代、全国でこんなにも国民を集め熱烈な歓迎を受けるような国の指導者はいるでしょうか。日本を占領していた、敵であるはずのGHQの1人も、今の私と同じように、この状況に衝撃を受けていたようで、「天皇を怨むものは一人もいない。どこへ行っても、民衆は歓喜して天皇を迎え、熱狂して万歳を唱え、涙を流す。特に、恨んでいるのではないかと思っていた被爆地ですら、たくさんの人たちが集まっていた」という言葉を残しています。

外国人から見ても、“敗戦国で、トップが歓迎される”という状況は異常だったのでしょう。これは、後にも先にもきっと日本でしか見られなかった光景だろうな、と
私は感銘を受けました。

受けてきた教育の名残から、これまでは「天皇制」「皇統」というとどこか少し、強い思想だな、と敬遠する気持ちを抱いてしまっていたのが正直なところなのですが、そういった思想とは関係なしに、純粋に、天皇の存在というのは日本が大切にしてきた、心温まる伝統なのだな、と感じました。戦後の日本や、天皇という存在について「国民とのかかわり」という切り口で学ぶとても良い経験になりました。

p.s.
私が「御巡幸」を知るきっかけとなった本。それが、復刻版「昭和天皇の御巡幸」

戦後日本のあたたかい記憶がつまった1冊。この機会にぜひご一読ください。

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<今日のメルマガを書いた人>

ダイレクト出版・政治経済部門 佐藤 祈(さとう いのり)

2000年生まれ。千葉県館山市出身。就職を機に大阪へ移住。

2023年4月に新卒で入社し、医療・健康・政治や歴史など人生を豊かにする情報を幅広く学びたい、そんな気持ちを胸に政治経済部門へ。

現在は北野幸伯先生や伊勢雅臣先生を主に担当する。

趣味は
悲しい結末の小説を読むことと、
美味しいものを食べること。

今週末は
人生で始めて北海道へ。
お寿司とジンギスカンを食べてきます。


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