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【映画 エッセイ】 その瞬間、時代を撃て!〈1〉

マイケル・チミノ ――① 映画史上唯一孤高の存在に迫る

 映画監督マイケル・チミノは撮影監督にこだわる。デビュー作品「サンダーボルト」(74)では実権をクリント・イーストウッドが握っていたためか、イーストウッドの前作「ダーティハリー2」(73)の撮影監督フランク・スタンリーに留まる。

 「ダーティハリー2」では共同脚本家としてチミノはジョン・ミリアスと名を連ねている。しかし、製作途中でミリアスが自身の初監督作品「デリンジャー」(73)の準備に向かったために、最終的な脚本はチミノが完成させたという。

*チミノは「ダーティハリー」(71)の脚本会議で活発に意見を出し、イーストウッドに認められたと伝えられる。
 
 ちなみに監督としても脚本家としても未だ無名のチミノが「サンダーボルト」(自らのオリジナル脚本)を創ることができたのは本人の弁によると、今作のアイデアをイーストウッドに語ったところ、週末の間に脚本にしてこいと、チミノは徹夜で書き上げ見事にイーストウッドに渡して、監督デビューが決まったとのこと。この逸話はあまり知られていないかもしれない。けれども、イーストウッドが自らの作品のスタッフを監督に抜擢するのは珍しくない。

*「アルカトラズからの脱出」(79)の脚本をイーストウッドに持ち込んだリチャード・タッグルは「タイトロープ」(84)の監督(オリジナル脚本も)に抜擢されたし、長年のスタント・コーディネーターであるバディ・ヴァン・ホーンも「ダーティハリー5」(88)・「ピンク・キャデラック」(89)と監督に、「ブラッド・ワーク」(02)以降に10作品以上もイーストウッド作品の製作を担当したロバート・ロレンツも「人生の特等席」(12)の監督に抜擢されている。

 チミノが伴った撮影監督は「ディア・ハンター」(78)・「天国の門」(80)では、ヴィルモス・スィグモンド(ハンガリー)。「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(85)・「シシリアン」(87)は、アレックス・トムスン(イギリス)。「逃亡者」(90)・「心の指紋」(96)には、ダグ・ミルサム(イギリス)という布陣。
 
 スィグモンドは言わずと知れた伝説の存在、名作は数多に渡る。
(「ロング・グッドバイ」(73)・「スケアクロウ」(73)・「未知との遭遇」(78)*アカデミー撮影賞受賞・「ミッドナイトクロス」(81)など多数と、70年代が黄金期で80年代にかけて気を吐いた)

 彼の名言は「(「天国の門」の際に)チミノというのはすばらしい天才だ。映画に確固としたストーリーなんていらないことを知っていたのだ」

*「天国の門」の膨大な量のフィルムを担う名編集者トム・ロルフ(「タクシードライバー(76)・「ライトスタッフ」(83)でアカデミー編集賞受賞)は、こう語る。この映画にはストーリー(物語)が少な過ぎた、と。そのため、映画として体を成す要素が足りずに苦心したらしい。

 ここで気がつくのは、チミノ&スィグモンドとロルフの間で作品に対する捉え方に隔たりがある。方針の異なりが作品の破綻を招いたのではないか。ロルフによると編集作業中もチミノからの意見は第三者を介してメモのようなもので間接的に伝えられた。
 これにはこれで「天国の門」騒動をご存じの方々はチミノが(製作途上そしてNYでの一週間のプレミア上映の際に批評家から一斉攻撃を浴びて挙句に「チミノは悪魔に魂を売った!」とまでに糾弾された)極度に追い詰められて神経質になっていたことも一因と判断できるのではないだろうか。

 しかし、「天国の門」(1980年)は現在(2024年)では、客観的な評価を受けて「傑作」として扱われていることを付け加えておきたい。
 
 スィグモンドはつづける。
「(映画で大切なものについて)映画の視覚的な質です。映画は視覚的な体験であるべきなんです。音が加わって映画は「撮影された演劇」になってしまった」

*「撮影された演劇」――キューブリックも同じ表現を使って、映画の可能性について語っている。
 しかし、僕も映画が「撮影された演劇」であることに慣れ切ってしまっている。この慣習の打破に挑んできたのは、ハリウッド映画界では少なくともキューブリック、テレンス・マリック、マイケル・チミノ、それに敢えてデヴィッド・リンチは挙げられるだろうか。けれども、彼らをしてさえも「物語」の枠組みから逃れづらい。
 「物語」についてヴィジュアリストのリドリー・スコットでさえ語る。映画で大事なものは物語、常に物語だ、と。
(ここには根本的な問題が潜んでいるように感じる。上述のキューブリック、マリック、チミノ、リンチは自ら脚本を書くことができる。が、スコットはフィルモグラフィーに脚本のクレジットがない。もしかすれば、彼は物語を創れない。他者の物語を具現化する。ヴィジュアル化することが傑出しているのだろう)

 では、僕自身の意見を述べようと思う。
スィグモンドの語る「映画に確固としたストーリーなんていらない」
スコットの語る「映画で大事なものは物語、常に物語」
 どちらの様式で創られた映画も、僕は好きだ。
キューブリックの危惧する「(映画が)撮影された演劇」
 それも好きだ。好きな俳優もたくさんいる。
 でも、僕の理想は、
チミノの作品でいうなら、
「天国の門」(視覚的)より「ディア・ハンター」(演劇的)だし、
キューブリックの作品でいうなら、
「シャイニング」(演劇的)よりも「2001年宇宙の旅」(視覚的)だ。
 つまり、映画は、面白ければ、それで、バンザイ!だ。

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