回心はいつも不思議。

宗教的回心というものはどうやって起こるのでしょうか。
そんなことを考えています。
結論的に言えば、それはいつも「不思議なご縁で」としか言いようがないかたちで起こってくるのだろうと思います。
人為によって起こすことはできない。
ひとの心を変容させるのは人間業ではないから。
現時点でのぼくの結論はこんなところなのですが、まずはなぜぼくが宗教的回心について考えているのか、それを書いておきたいと思います。
聞いてください。

ぼくが長くお育てをいただいている行信教校で研究発表会・学術講演会が行われました。
研究発表では多くのご発表に対してさまざまな質問、意見が出て、侃侃諤諤の議論がありました。
たいへん実りある時間でした。
学術講演会では、中西直樹先生から、行信教校の創設者のお一人である利井明朗和上についてのお話を聞けました。
たいへん意義深い時間でした。

さてその後は祝賀会です。
近所のホテル会場をお借りして、祝賀会が行われます。
今年は山本摂叡先生の喜寿のお祝い、天岸淨圓先生・山本摂叡先生が司教に昇階されたことのお祝いがありました。
どちらもぼくがたいへん尊敬している先生方ですから、うれしく思いながら、祝賀会を楽しんでおりました。
例のごとく、先ほどまで激論を交わしていた先生方も和気藹々と、ときには真剣に、ときにはにこやかに歓談をしながらお酒をいただき、たいへんたのしい時間です。
ぼくはノンアルコールでしたが。

その後の二次会。
例年でしたら行信教校にみんなで帰ってワイワイとたのしく過ごすのですが、今年はすこし事情が違いました。
ホテルからは駅に向かうバスと行信教校へ向かうバスの二本が出ます。
ぼくは行信教校で二次会をやるものだと決め込んでいたものですから、迷いなく行信教校行きのバスに乗りました。
しかしなかなかバスに乗り込んでくる方が少なく、おかしいな、と怪しんでおりましたら、なんと駅に向かうバスに乗り込む方々が大半でした。
どうやらみなさん三々五々、バラけてそれぞれ居酒屋なりバーなりに向かうつもりのようでした。
そこで行信教校に着いてから、なかよしの友人に連絡を取りました。
以前書いたこちらの記事で書いた、ぼくが行信教校にご縁を結ぶきっかけとなった、大学の学部時代からの親友です。

彼に連絡してみたところ、天岸先生と一緒に梅田の方に向かっているとのことでした。
これは行くしかない!ということで、同じく行信教校行きのバスに乗っていた後輩を誘って、梅田に向かいました。
お店に着いてからは、贅沢な時間を過ごさせてもらいました。
天岸先生を囲んで、さまざまな話を聞かせていただく時間です。
先生の問題意識は、回心の成立ということにある、と受けとめました。

先生からこんな問いが出されました。
ぼくの受けとめなので、先生の意図をしっかり受けとめられているか、甚だ心許ないのですが。
「①ひとの上に回心はどうやって成立するのか。
②もっと言えば、ひとが宗教的な問いを持ち、求道をはじめるきっかけはどんなものなのか。
③そして教化者としてではなく、ひとりの迷いの中にある凡夫として、そこにかかわりを持つために、ぼくたち浄土真宗の僧侶はどんなことをするのか」。
とても深い問題意識だと感じました。
その場にいるだれも咄嗟には答えることができない問いでした。
ぼくがしばらく考えて出した答えは次のようなものでした。
①不思議としか言いようがない。
②不思議としか言いようがない。
③仏さまがどんな存在なのか、どんなお方なのかを、わかっていない者なりに、自分の受けとめているところをお伝えするほかないのではないか。

①、②について、ぼくがそう考えた理路を説明します。
ぼくたち人間は互いに影響を与え合って生きています。
社会のなかで、共同体のなかで、言葉によって、行動によって、自分の考えを表現しながら生きることは、多かれ少なかれ、他者に影響を与えます。
しかし自分の言動が他者に与える影響をコントロールすることは不可能だと思います。
同じ話を、同じ口調で、同じ人物がしたとしても、その受けとめ方は相手によって千差万別です。
相手の生きてきた経験によって、培ってきた常識によって、思考の癖によって、さまざまに受けとめられることでしょう。
ひとの心を変容させることは、その意味で、人間業ではないと感じるのです。
そんな状況のなかで、ひとが宗教的な問いを持ち、回心という事態がそのひとの上に成立していく、というのは、まったく人間の手の届かない領域で起きている事柄なのではないか、と考えたわけです。
ぼく自身、いまは浄土真宗という宗教に帰依していますが、そこに到る道程は偶然性に支配されていたように思います。
偶然お寺ではない家庭に生まれ、偶然哲学というものに関心を持ち、偶然仏教に関心を持ちはじめ、偶然大学の同級生に浄土真宗のお寺の息子がおり、偶然うつ病になり、偶然例のお寺の息子が行信教校にご縁を持っていて、偶然お坊さんになりたいという思いを持ち、偶然よき師に恵まれ、偶然、偶然、偶然…。
あとから振り返ってみると必然であったとも感じられるさまざまな人生の歴史は、その渦中においては、まったくの偶然として出遇われていたように感じます。
ひとの上に宗教的な問いが起きてくることも、回心が成立することも、その渦中においては、やはり偶然なのだと思います。
老いや病や死といった人生のままならなさに直面した、だとか、他者との人間関係に疲れ果てた、だとか、より善き生き方を志した、だとか、目の前にいる困っているひとをどうにかしたいという志願を起こした、だとか。
だから回心という事態は、人間の手の届かない、不思議としか言いようのない領域なのではないか、と考えました。
親鸞聖人はお手紙において次のように示されます。

まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。

『親鸞聖人御消息』

親鸞聖人が京都にいらっしゃったとき、東国の門弟の方々に送られたお手紙です。
「みなさま方は、むかしは阿弥陀仏のご本願のこともご存知ではなく、南無阿弥陀仏とお念仏を申すこともおありではなかったですが、釈迦・弥陀のさまざまなお手立てによって、いま阿弥陀仏のご本願を聞きはじめていらっしゃる身になられましたね」。
おおよそこんな内容と言えるでしょうか。
「むかし」と「いま」が対比されるかたちで示されています。
その中間にあるのは、回心という事態であると考えられます。
その回心について、親鸞聖人は「釈迦・弥陀の御方便にもよほされて」と示されます。
回心には人為の介入する余地がない、ということではないでしょうか。
事実上はさまざまな機縁によって、人間同士のご縁によって起こってきた事態であったとしても、その裏に「釈迦・弥陀の御方便」を仰いでいく、という姿勢を示されたものでしょう。
実は親鸞聖人の書物のなかでは、回心について示される際には、決まって「釈迦・弥陀の御方便」と言われます。
結局、「回心は不思議」としか言いようがないと考えたわけです。

そんなことを考えつつ、先の天岸先生の①、②の問いに対して、「不思議としか言いようがないんでないですか」とお答えしました。
先生は「そうやな、不思議としか言いようがないわな」と言われました。
そして「それを踏まえたうえで、ワシらはどないしたらええと思う?」と重ねて③の問いを出されました。
ぼくは「仏さまがどんな存在で、どんなお方なのか、わからない者なりにお伝えするほかないんでないですか」と答えてみました。
すると先生は「ワシもそう思う。その上で、できることなら、仏さまに憧れを持ってもらえるような話ができたらええんやろな」と言われました。
たしかにその通りです。
仏さまというあり方を尊いものとして受けとめていただけるような話がしたいものです。
ぼくの能力では非常に難しいものがあるのですが、努力を重ねていきたいと思います。

その後もつらつらと回心について考えていますが、現時点では、やはり回心は不思議なものと受けとめるほかないのかなあ、と考えています。
そしてぼくたち僧侶がそこで果たすべき役割については、もうひとつ、なによりも大切なことがあります。
というか、それが前提となって先の話があるのですが。
それは、僧侶自身が仏さまを仰ぎ、その教えを尊いものと受けとめ、お念仏をよろこぶことです。
だいたい浄土真宗においては、僧侶とそうでないお方のあいだに差異はほとんどありません。
専門家か、そうでないか、という程度の差です。
魚屋さんが魚に詳しいように、お坊さんは仏教に詳しい。
その程度の違いです。
そんななかで、教化者意識が先行するとロクなことにはならないことは目に見えています。
宗教の布教にはよろこびの伝播という面が大きくかかわっていると思います。
その点だけは忘れないように、大切に持っておきたいものです。

ちなみに天岸先生を囲んだ会のあと、梅田から行信教校に帰りました。
食堂にだれもいませんでしたので、寮をウロウロしていると、床に就こうとしている後輩のお方を発見しましたので、食堂でサシで語らいました。
そのうちにチラホラと学生さんたちが帰ってきて、ご法義の話やしょうもない話や悩み事なんかを話しながら、宴は朝方までつづきましたとさ。

釋圓眞 拝
南無阿弥陀仏

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