リスペクト+ディスタンス=リスペクタンス

以前、とある先生のご法話で、「リスペクタンス」という言葉を聞きました。
その先生は仏教学をご専門に研究してくださっているお方です。
とある学校で、PTAの方々を相手にお話をする機会があったそうです。
お話が済んだあと、学校の先生と話すなかで、「リスペクタンス」という造語を知ったとのこと。
いわく、最近の学校では、「みんな仲良くしなさい」という言葉が使いにくくなった。
多様性の時代です。
世の中には個性的なのが揃っていますから、それぞれに、気が合うひともいれば、どうしても合わないひともいる。
そんななかで、無理に「仲良くしなさい」と言っても、通用しない場面が出てくる。
そんなときに大切なのが「リスペクタンス」である、と。

リスペクタンスとは、「互いに尊重(respect)できる距離感(distance)を保つこと」だそうです。
これ、大切な心がけだなあ、と思うのです。
ぼくたちは、というよりも、すくなくともぼくは、合わないひとや、苦手なひと、嫌いなひとと一緒に過ごさねばならない状況に置かれると、イライラしたり、腹を立てたりする頻度が上がってしまいます。
面と向かってそのイライラや腹立ちを伝えることもありますが、どうしてもトゲトゲしい言葉や態度になりがちで、余計に相手との関係性を冷え込ませてしまいます。
もっと悪い場合には、直接相手に伝えず、周囲を巻き込んでそのひとの悪口を言って、やり場のないイライラや怒りを解消させようとします。
ひとの悪口はたのしいですね。
悪口を言い合っているときには連帯感めいたものが生じるような気がします。
しかしその連帯感は、悪口の対象となっているひとを排除した結果として生まれる連帯感です。
悪口で盛り上がることは、そのひとを孤立させることにつながるように思います。
どうも不健全なもののように思えてなりません。
そこでリスペクタンスの出番です。
こころよく思えないひととは、適切な距離を置く。
自分とは合わないけれども、敬意をはらうべきお方なのだ、と、相手を尊重するこころを忘れないようにする。
むやみやたらに相手を蔑ろにしたり、バカにしたり、傷つけたりして良いわけではないと肝に銘じておく。
これを心がけるだけでも、人間関係はある程度上手くいくのでは、などと考えたりします。
もちろん万能薬ではありません。
人間関係は複雑怪奇で、仲良くしたいひとと遠ざかってしまうこともあれば、ウザったいひとと距離を置くことができないことも多いでしょう。
それでも、相手に対する敬いのこころをどこかで持っておかないと、ぼくたちは、いや、ぼくはタガが外れてしまう傾向にあるように思います。

『無量寿経』という仏教経典に「当相敬愛」という言葉が出てきます。
「まさにあい敬愛すべし」と訓(よ)みます。
相手に対する敬愛のこころを忘れないこと。
これを実践するために、苦手な相手とは距離を置く、という解決法を示してくれるのが、リスペクタンスという言葉のように思います。
しかしたとえば職場や学校のクラス、部活動などといった、ある意味で閉鎖的なコミュニティのなかで、一緒にいて心地よくないひとと適切な距離を取ることができない場面も多いよなあ、と思ったりもします。
そのあたりのことは、ぼく自身いますぐに満額の回答を出せるわけではありません。
目の前にいるひとへの憎しみに凝り固まってしまったこころを解きほぐす言葉も、ぼくには紡ぎ出すことはできません。
しかし『涅槃経』というこれまた仏教経典にある言葉、「如来為一切、常作慈父母、当知諸衆生、皆是如来子」という言葉が、ひとつのキーワードになるかな、と考えています。
「如来は一切のために、常に慈父母となりたまえり。まさに知るべし、諸の衆生は、みなこれ如来の子なり」と訓みます。
「如来」というのは、仏さまのことです。
仏さまというお方は、一切の生きとし生けるものに対して、つねに慈悲深い父母となってくださる。一切のものは、仏さまにとっては大切な子どもなのだ、という意味です。
そんな仏さまの眼差しを意識して生きるということは、まず第一義的には、ぼくもまた仏の子であり、仏となるべきいのちをいま、生きているということです。
それならせめてそれにふさわしい生き方、人生への態度をできる範囲で貫いていこう、ということでしょう。
そしてもうひとつは、ぼくが憎いと思っている相手もまた、仏子なのだというところに肚を据えるということでもあります。
ぼくのええ加減な目線からすると、つまらん奴だ、どうしようもない相手だ、切り捨ててもかまわない、と思っているそのひとも、仏さまの目線から言えば、大切なひとり子であり、尊重すべきお方なのですね。
そんなことを意識すると、憎しみがただの憎しみでは終わらない。
なにかこころの視野がスーッと開かれていくような感覚があります。

「リスペクタンス」という言葉をヒントに、そんなことを思っている今日この頃なわけです。
今日のところはこのあたりで。

釋圓眞 拝
南無阿弥陀仏

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