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きのうのオレンジ

イヤフォンをして、通勤バスの中で文庫本を開く。
物語の扉を開けば、そこはもう現実ではない。
時々、本を閉じて現実世界にもどり、自分だったら?と考えながらページをめくる。

藤岡陽子さんの書かれた「きのうのオレンジ」は、
33歳の、目立たずとも誠実に生きた遼賀が、がんに侵されながらも懸命に生きようとする姿と彼を支える家族の物語である。

私は、誰かの母親である自分と
私の親にとっての子供である自分を行ったり来たりしながら
登場人物に自分を重ね、その世界の住人となる。

遼賀は同じ年の弟がいる。15歳の時、その弟と冬山で遭難したことがある。
遼賀が死と向き合うのはこれが2回目。その時の想いが闘病中の今と重なる。

雪山で気持ちが負けそうになった時、15歳の遼賀は母に会いたいと願う。
医師に胃がんを告げられた日、遼賀は母に会いたいとスマホを手に取る。

私の子供たちは困難に直面した時、私に会いたいと願うだろうか。
困難に直面した時、私は誰に会いたいと願うだろうか。

母の燈子は息子を想う。

 遼賀は神経が細やかで、たとえば庭を囲む垣根が壊れていたら、こっちが頼んだわけでもないのに修理をしてくれるような心遣いがあった。机の引き出しに菓子の空き箱を並べて文具を整理整頓し、物を大切に扱う繊細さがある。まだ小さな頃からあの子の身辺はなにもかも調和がとれていて、友達とのトラブルも澄子が憶えている限りは一度もない。周りの人から賞賛を受けるような目立った能力はなかったけれど、母親である自分は遠賀という人間の良さを十分に知っていた。
そのことを、あの子が子供の頃にもっと褒めてやればよかった。
 身の回りをきちんと整えられる九帳面さを。約束の時間に遅れない真面目さを。嘘をつかない誠実さを。物事の好き嫌いをむやみに口にしない慎重さを。自分の意見をあえて言葉にしない優しさを。 母親の自分がきちんと口に出して認めてやればよかった。

きのうのオレンジ 藤岡陽子

私は、子供たちに対してこんなにも観察する目を持っているだろうか。
そろそろ巣立つ子供たち。
一緒に過ごせる残り少ない時間を後悔のないよう過ごせているだろうか。

母親である自分は遠賀という人間の良さを十分に知っていた。
母親の自分がきちんと口に出して認めてやればよかった。

きのうのオレンジ 藤岡陽子

後悔のないよう、大切に日々を過ごしたいと強く思う。




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