あの忘れ得ぬ二時間を~私家版・アルビレックス新潟、ルヴァンカップ決勝を斯く戦えり(後編)
※前編はこちら
5.恋に落ちずにいられない
代表の国際マッチはともかくとして、こういったタイトルマッチにおいて行われるものだとは意外に知られてないんじゃないか、と思われる一幕が、「国歌斉唱」だ。
何だかんだ言って筆者も決勝戦の舞台に立ち会うのが三回目ということもあって、当然のように立ち上がって帽子を脱いで、直立で斉唱した。
しかし、「君が代」はしんみり沸々と、唄っているとなかなかこみ上げてくるものがあるよなー。ノンポリに言わせれば曲調や後半に向けてグググーっと高い声に乗ったところで、最後スィーン……と静かに収まる、なかなかな名曲だと思うんだけども。
それはさておくとして、アルビサポにとって試合前に唄われ、サポーターと選手を高揚せしめる曲といえば当然"I can't help falling in love with you"であり、タイトルマッチだろうがなんだろうが、というよりこの大舞台だからこそ唄われるべき曲なのだろうけれど、今回ちょーっと、面白かったのは、選手入場のタイミングが読めずにかなりの長回しになってしまったことだ。
いやこれが通常なら3~4コーラスくらい、長くても5コーラスくらいなところ、何分唄っていたんだっけ?しかもコレオのペーパー掲げながら、だったから腕は疲れるし立ちっぱなしで声出しつつは………楽だったとは言わないけれど、結果的にはいい感じに喉の準備運動にはなったんじゃなかろうか。
それと、コレオといえば自軍のものは当然見えなかったのだけど、名古屋側のコレオは対面だったからよーく見えて、最初「あれ?こんなもん?」と思っていたのが二段階目があり、しかも最初に掲げてた部分も変化してとても綺麗だったように覚えてる。この辺り、流石大舞台慣れしてるビッグクラブだなー、と感心したものだ。
ただ、後で動画やSNSの写真で見た限り、我が軍も綺麗さなら決して負けてはなかったと思う。この写真の中に自分もいたんだなー、と嬉しくなったくらいには、よく出来ていたと思う。
ちなみに余談ではあるが、"I can't help falling in love with you"を唄う際、高いキーで唄うか低いキーで唄うか、特に男性は迷うものだと思うけれど、個人的には高い方で唄うのを圧倒的にお勧めしたい。
まー確かに、低いトーンで下から響かせるのもありではあるんだが、高い方で唄った方が明らかに気持ちのノリが違うと思うのだ。高音がきつい、と言ったって最初の"Take my hands"さえ乗り切ればあとは楽だし、力任せで乗り越えられる。
ゴール裏の常連さんがいつもどうやっているのかはさておき、普段WやEで唄ってる人も高いキーに挑戦してみてはいかがだろうか。
あとオーロラビジョンに歌詞を映すのも復活して欲しいなあ、と思う。声出し禁止期間前は普通に表示していたのだから。
6.そして試合は始まった
相手、名古屋グランパス。ついひと月程前に苦汁を飲まされた相手。ある意味、リーグ戦での戦いが狂い始めた試合だったと思う。現場でその試合を見た限り、正直「良かったところを探そうと思ったけど断念せざるを得なかった」くらいの酷い内容だった。今季あれより酷かった試合は、天皇杯三回戦で長崎に負けた試合くらいのものじゃないだろうか。
だから試合の入りにはかなり注目していた。冷静に、ボールを回して相手の隙をうかがい、そして稲村や舞行龍のパスで相手に後ろ向きの守備をさせる試合展開を行えるか、それに注視して………………………………………………………いたと思うかい?
そんなわけがあるか!
決勝戦、タイトルマッチのゴール裏だぞ!?
試合全体の流れなんか知ったことか!そんなもん後で見返せばええわい!
ピンチになれば声を張り上げ、チャンスになればもっと声を張り上げ、声をからしてチャントを唄い、腕を振り上げて選手の名前を叫び、周囲の誰一人として座って試合観戦したりもせず、ゴール裏は試合開始直後からそんなトップギアの狂乱状態に突入していた。
そしてそれが、1層から3層からまでに敷延した、熱気というより狂気だった。
試合前、SNSではゴール裏は2層目も3層目も立ち上がって応援しよう!という提言に、賛否両論だった。
そういう激しいのは1層目だけでいいんじゃないか、立ちっぱなしは難しいから2層目や3層目でもゴール裏は諦めた、という声もあった。
総論的雰囲気的には、結局その場にいる人の判断でやればいい、という空気だったと覚えている。
ところが、なんだ。
試合が始まった途端にこれである。
座って見て何が悪い?/ゴール裏は選手を鼓舞する場所だ!、なんてしょーもない争いがあったことなんか、どっかにとっちらかってしまった。あるいは、みんな忘れてしまっていた。
そういうアルビバカばかりが、結局ゴール裏にいたということなんだろう。違うことを考えていた人たちをも一緒に狂わせる何かが、その場の空気を試合していたのだろうし、違う事を考えていたと思われる人だって、結局はそういうアルビバカだった、ということだ。
そしてそんな中でも、マイチームのいつもの姿には盛り上がる。
展開など知ったことか、とは言ったけれど、ボールを回し、そして相手のプレスをかわして前進した時にサポーターが沸くのは近年のアルビの姿だ。
悩んで思い切って苦闘して、ようやく得た一つの成果だ。
それを無駄にしない、失わない。
そう信じて突き進むチームは……だが、ある意味ではそれがために、窮地に陥った。
前半31分、最終ラインでのパスミスを起点に、失点。
7.それでも、得たものを信じて進め
この試合、名古屋グランパスのプレスも尋常ではなかった。
前回のリーグ戦の時は、ある程度こちらに持たせて、パスの出口を封じて素早く正確なカウンターで仕留める、というやり方で3点を奪われたものだが、成功体験を繰り返すのかと思いきや、最終ラインにまで執拗な圧力をかけてきたのだ。
その勢いは凄まじく、後でテレビ映像やダイジェストを見返すと、これをかわして二度、三度と攻め入ったことが誇らしく思える程だったのだが、あるいはその圧はアルビの最終ラインに疲弊をもたらしていたのかもしれない。
このスタイルを続けてこられた柱の一本、ゴールキーパー阿部の、普段ならあり得ないミス。
ただ、これも普段ならミスにはならなかったかもしれない。ズレた、といえばズレてはいたけれど、普通の相手だったら、リーグ戦の中であったのならあるいは、という程度のものだったようにも思える。
けれどそれを待ち構えていたか、名古屋のスピードスター永井謙佑。
アルビの選手が一瞬ボールを迎えにいけなかった中であっという間にボールをかっ攫い、そこからのゴール。
今季、先に失点した試合の勝率は悲惨なことになっている。スタイルの隙を突かれての失点であれば尚更だ。
だが、チームは諦めなかった。育み、慣れ親しんだスタイルの遂行を。
失点直後からも変わらず最終ラインのボール回し、相手の隙を探して前戦に、相手ゴール前にボールと選手を届けようとするサッカーが続く。
それでも、初の大舞台に立ったアルビに対して、サッカーの神は残酷だった。
後半42分、今度は速いボールに崩され、またも永井謙佑のゴールで失点。2点差になる。
……正直に言おう。
この時点で、リーグ戦での悪夢的な敗北が一瞬脳裏に浮かんだのは事実だった。取られ方こそ違えど、こちらの良さをなかなか出せないままに、短い時間で失点を重ねた。
そして、一般的に言えば前半で2点差は試合が決まる状況だ。あとは、決勝という大舞台に恥じない「負け方」を出来るかどうか。そんな負け犬根性な考えが沸いたことを否定はしない。
ただ、である。
アルビレックス新潟が、苦しみながらも何かを積み重ねて得たものはスタイルだけだったのか?
そう言われて、躊躇いなく「違う」と答えられるサポーターは少なくないのではないだろうか。
思い出そう。
2023年4月15日、J1リーグ第8節。ホーム、アビスパ福岡戦。
前半に2失点しながらも、後半の入りからFKで1点を返した。勢いにのって後半は押しまくった。だが福岡の堅い守りに遭って同点は遠く、もうすぐ試合が終わってしまうと思われた後半アディショナルタイム。
同点、そして逆転。
わずか数分間で2つの得点を重ね、伊藤涼太郎のハットトリックがビッグスワンを歓喜の渦に叩き込んだ、あの試合のことを。
2-0は危険なスコア、などという勝っている側の警句なぞ吹き飛ばしたあの経験は間違いなく、アルビレックス新潟のチームとサポーターに、反骨のメンタリティを埋め込んだ。
勝者のメンタリティ、ではない。敗北を受け入れて諦めるのではなく、絶対に追いつく、逆転する、諦めない、という「状況への反骨」だ。
だから、前半終了後のHTの時には既に、気持ちは切り替えられていた。きっと周囲のサポーターも同様だったと思う。諦めたようなことを言う人は一人もいなかった。
そしてここから、奇蹟にも似た死闘が幕を上げる。
8.走って蹴って、追いついて
「アイシテルニイガタ」。アルビレックスを象徴するチャントの一つ。
それは多くの場合、もうすぐ勝利を掴めるという場面で、あとひと息と、背中を一押しするために唄われることが多かったように思う。
けれどJ1に再び戦いの場を移してからはそんな場面も多くはなく、下手をしたらこれまでと同じように勝利間近を高らかに唄っていたら、失点して勝ちを失った、なんて結末を迎えることも一度ならずあった。
だから、というわけではないだろうけれど、クラブへの、チームへの愛を謳うこのチャントは今、苦境にあってそれに立ち向かうチームを奮い立たせるために謳われることが多い。
後半。アイシテルの叫びと共に、始まった。
前半はアルビの守るゴールがアルビサポの陣取る国立南側だったため、後半はアルビがこちらに向かって攻め込んでくる形になった。
ハーフタイム中に何かが整理されたのだろうか。それとも自分たち目がけてゴールを狙う形になったことでそう思えたのか。
どちらにしても、ゴールを狙う勢いは明らかに増したと言えた。
後日確認したのだが、前半スタッツ上はシュート数も上回り、チャンスがなかったわけではないらしい。ただ、実際にゴールを決めたか決めないかは、数字以上に勢いの違いを感じさせるものだし、だから「これは行ける!」「こっちに向かって攻めてこい!」という感覚以上の何かが、ゴール裏の応援の狂乱度合いを更に押し上げていたのだ。
しかし、積み上げたものが小さくないのは相手も一緒。長谷川健太監督の築いてきた名古屋の守備は、高く分厚い壁となってアルビの再三の猛攻を阻み続ける。
膠着した、とも思えた展開が動きを見せたのは、当然ながら選手交代からだった。
後半20分、いつもの時間帯に、宮本、太田、長谷川元希に替えて、星、ダニーロ、長倉を投入。
すると明らかに、ダニーロが上下動を繰り返す右サイドからのチャンスが迫力を増した。ダニーロにボールを預け、時に名古屋の左サイドを翻弄する突破からの決定機が続く。
盛り上がり、というより熱狂の度合いが更に増すスタンド。
勢いは明らかにアルビの方が上回りつつあった。多くの時間をアルビサポーターの前で過ごすことが多くなる。ダニーロの仕掛け、星の押し上げ、長倉のゴール前への侵入。交代で入った選手が加えた攻勢がそして実を結んだのが後半26分。一対一の2連戦に勝利したダニーロの上げたクロスに、待ってましたと谷口が頭で合わせる。
腕を伸ばした名古屋GKランゲラックの、その長い腕の届かない場所に、ついに突き刺さった。
歓喜の絶叫が響き渡るゴール裏。
だがそこで終わるわけにはいかない。まだ1点差。強固な名古屋の守備を穿つべく、同点のゴールの直後更に交代の選手が入る。
同点ゴールを決めた谷口に代えて、小見。前半から攻守に渡ってチームの前後を繋ぎ続けた小野に代えて、奥村。
当然その前から準備はしていたのだろうが、この交代は間違い無くタイミングといい内容といい、最高の一手だった。
後半に入ってからは攻め続けていたアルビだったが、この一点目の前後はほぼ一方的に攻め続けていた時間帯であり、選手の交代はその勢いを更に増すことになる。
チャンスを作った選手、ピンチを救った選手へのコール。チームを奮い立たせるチャント。サポーターが待ち受ける名古屋ゴールに迫る度、興奮と狂乱が増していくゴール裏。一つになる、というよりもこの圧倒していた時間帯、そこは弾け飛んでいた。多くの人の意思が勝利というただ一つのことを核にして、集団のまま爆発していた。
だが、名古屋も試合巧者だった。交代選手の投入を図り、時に逆襲のカウンターを見せる。
しかしそれでも、反対側のアルビゴール前ではそれらを跳ね返していた。跳ね返し、こちら側の名古屋ゴールに迫り続けた。
クロスを入れ、ボールを差込み、このチームで得た全てを注ぎ込み続けて、同点を、逆転を掴もうと足掻き続けた…………だが、それでも名古屋の守備は、固かった。
このまま終わるのか……いいじゃないか、それでも。格好はついた。無様に点差を付けられたまま終えずに済んだじゃないか。ここまで来たんだから、来年だってあるんだから。
…。
……。
………。
あるはずがない。
このチームで、来年同じ舞台に立てるわけが、あるはずなどない。
諦めるな。攻めろ。走れ。蹴れ。追いつけ。俺たちは全力でその背中を押し続けるから。
いつの間にか、試合の状況など考えられなくなっていた。
見えたものに反応し、声をあげ、叫び、腕を振り、跳ね続けた。
そして、後半アディショナルタイム、もうすぐ試合が終わる……決勝での敗退が間近に迫った時。
何度目かの、ペナルティエリアへの侵入。
雨垂が石を穿つように、何度も何度も入り続けた名古屋のゴール前で、小見が倒される。
一瞬、プレーが止まる。何か違和感を覚えた。だが、そのままプレーが続けられようとしていた。
ゴール裏も、すぐに切り替えて次のプレーに集中していた。
けれど。
試合を止めた主審が耳のインカムに手をやる。
VARとやりとりをしているサイン。介入があった。
それに気付いたゴール裏の絶叫は止み、ざわつきはありながら何かを期待する空気と、少ない残り時間を考えて早くプレーを再開してほしいという焦りが相半ばする中。
ゴール裏からの射殺すような視線を受け続けていた主審は、四角く手を動かすジェスチャー示してオンフィールドレビューを行うことを宣告する。
沸き立つゴール裏。PKか?PKだ!
もちろんこういった場合はPKに判断が変わることが大半ではあるが、まだ決まったわけじゃない。特にアルビサポはVARによる介入で情勢の好転を受けたという印象をあまり持てていない。
だが、場内のビジョンに主審が確認中の画面が映し出され、何度かリピートされるその動画に、明らかに小見の足が引っ掛けられていた、という印象が強くなる。
ざわめきが次第に増していく。主審によるレビューが完了した。
新潟のゴール裏と、そして名古屋のゴール裏も恐らく固唾を呑む中、主審は………名古屋ゴール、ペナルティエリア内の一点を指し示した。
決まった。PKだ。
ゴール裏は歓喜を爆発させた。ただし、控え目に。当然だ。PKは獲得しただけでは得点にならない。キックして、ゴールに入れなければ点にならないのだ。熱心なサッカーファンは無論そのことを知っている。
だが、決勝戦の、1点ビハインドの、後半アディショナルタイムのPKだ。燃えないはずがないだろう。滾らぬはずがないだろう。
そしてそのPKを蹴るのは誰だ。アルビでPKに絶大の信頼があるのは鈴木孝司だが、彼はフィールドにいない。経験豊富な小野も既にピッチを去った。長倉か?
眼前のフィールドを見守るサポーターの視線の中、ボールを持ってPKスポットに向かったのは……PKを獲得した小見だった。
小見?小見ちゃん?
更にざわめきを増すゴール裏。
当然だろう。小見は入団後公式戦でまだ一度もPKを蹴ったことがない。
カップ戦決勝の、これが決まらなければ間違い無く敗退という場面で、プロになって初めてのPK。しかも、ゴールを守るのは長く名古屋の守護神を務めた名手ランゲラック。
そして小見のPKといえば、独特の長いステップから蹴り出される不思議なもの。高校時代に何度も見られたあれが、この生きるか死ぬかの場面でプロ初のPKを蹴る。なんて強心臓だ……驚き、だが静まりかえるゴール裏。誰かがフラッグを振ろうとすると「止めろ!静かにしろ!」という声が響いた。
不思議な光景だった。試合が始まってから、選手が倒れようが失点しようが、一度たりとも静かになどならなかったゴール裏が、声を発するどころか身動ぎさえ抑えていたのだ。
そうしてただ一つのボールを蹴る選手に祈りを注ぐ。
オレンジの願いを背に始まる、小見の助走。
短く早いステップを繰り返し、キーパーを焦らすようにゆっくりとボールに迫る。
いつ蹴るのか、いつボールに足を伸ばすのか。
待つ……と思えたとほぼ同時に、小見の右足が振り切られた。
ボールは、左に飛んだランゲラックの逆を突き、ゴールの右隅に刺さり、そしてゴール裏は、この日一番の歓喜の絶叫に包まれた。
今度こそ決まった。遠慮も何もなくそこかしこでハイタッチだの絶叫だの抱擁だのと、まるで勝ったみたいな騒ぎだった。サッカーの一点というものがどれだけ多くの人の感情を動かすのか。その問いの答えがここにあるかのようだった。
9.死闘、延長戦
小見のPKから間も無く後半が終わり、2-2の同点。90分で決着がつかず、延長突入が決まった。
延長戦が始まるまでの間の空気はどうだっただろう。思い出そうとしてもあまり記憶にない。
このようなことは例がない……こともなく、アルビレックス新潟に反骨のメンタリティを植え付けたあの試合の、2点目から3点目の間が、実は今でも記憶がおぼろげなのだ。興奮もあまりに高じると脳の機能に影響でも及ぼすのかもしれない。
ともかく、後半が始まった。泣いても笑ってもこれから30分後には決着がついている……はずだったのだが、延長前半3分、失点。
これは自軍のミスだのなんだのではなく、完全に崩されての相手を褒めるしかない失点だった。
だからこそ余計に切り替えが出来たのだろうか。フィールドもスタンドも死ぬことなく、それぞれの場所での戦いをすぐに再開する。
名古屋は延長戦に合わせて二人選手を入れ替え、前戦からの圧力を増やしていた。それが実った、ともはっきり言う間も無い得点ではあったが、延長開始早々のこの得点はかえって名古屋にとって難しい判断を迫ったのではなかっただろうか。早すぎた勝ち越しにあるいは、ピッチ内の意思にズレが生まれたのかもしれない。
そして直後。点を奪うしかない白鳥は姿を消し、代わりに獰猛に獲物に食らいつく猟犬のようになる。
反撃の1点目を奪ったダニーロの突破、奥村のフリーランが名古屋の守備を掻き乱し、長倉が中央で受ける。
試合は90分を越え、互いに交代の選手を投入したとてスタミナは尽きる頃。
足をつったように引きずる選手も現れ、ゴール裏は1点のビハインドを跳ね返す気概に満ちていた。いや、個人的なことを言えばこの時既に、1点負けていることなど忘れていたように思う。
見えていた景色はよく覚えていない。これまで以上の声を張り上げ、それはゴール裏全体……試合を象るスタンド全部に波及していたのかもしれない。メインやバックのスタンド。無論、名古屋のゴール裏も。
延長前半終了。
間を置かず、サイドを替えて延長後半開始。
立ち上がりから名古屋の猛攻が始まる。一時的に押されたアルビだったが、すぐに勢いを取り戻す。
CKの度に噴火する"Get goal!!"の絶叫。ゴール裏だけはない。アルビレックスサポーターの陣取る、スタンドの至る所から響いていた。
怒号は双方のゴール裏からだけではなく、ピッチを囲むスタンドの全ての場所から熾る。
その中で、舞行龍からの長いパスをピッチ中央で受けた長倉が身を翻した。
前方に、ゴールに向かって駆け出す小見の背中があった。
きっと長倉には見えていた。今季、幾度か決めた鋭いスルーパスのどれよりも鮮烈な一本は、駆け込む小見の足下に収まる。
並走していた奥村が小見から離れていく。それに引きずられて、名古屋ディフェンスとランゲラックの間に、小見のためのスペースが生まれた。
ランゲラックの脇の下にはスペースがある。
スカウトでそう聞かされていたという小見のシュートは、過たずそのスペースを穿つ。
後半6分。同点。
猛攻が実った。この日一番の狂喜が国立競技場の半分を覆う。
先制され、2点差をつけられ、一度は追いついたものの再び引き離された。そこで諦めず、更に追いついた。この大舞台で、これ以上に血の滾ることなどあるだろうか。
だが、ゴールを決めた小見は冷静に、自身が最後に触れていたボールを抱えると、小走りにセンターサークルに向かった。
まだ同点。優勝するためにはあと1点要る。
その事実を、自陣に戻る小見の背中で知る。
延長戦終了まで、残りおよそ10分。ここから先、1点を奪った方が恐らく勝つ。あるいは、1点を失った方が、敗れる。
それがためか、あるいはここまで死力を尽くしたからか。
双方共に攻撃の勢いはやや止み、だが疲れは確実に選手の足を止める。
延長後半9分。アルビの最終ラインで攻撃を跳ね返し、あるいは前戦にボールを送り続けていた舞行龍ジェームズが足をつり、トーマス・デンと交代した。
舞行龍を待ちピッチサイドに立つデン。その姿に、アルビレックスサポーターは最大級の鼓舞を送る。
彼の名を呼んだ三度のコールは、この日最大の迫力と声量をもって、国立競技場を揺るがした。
スタジアムを半ば染めたオレンジから聞こえたその声は、ここまでチームの背中を押す声をリードしてきたゴール裏のそれを、完全に凌駕していた。これほどの声を人間が出せるのか、と思った。
あと5分と少し。
新潟も名古屋も、選手サポーターの隔たりなく必死だった。
今何をしているのか、それさえ分からない数分が過ぎ、前後半90分、プラス延長前後半30分。合計120分に及んだ激闘は終わった。
優勝の行方は、PK戦に委ねられる。
10.君がいたからここまで来られた
ただの偶然か、そうでなければ試合展開のもたらした必然か。
ともかく、この試合のゴールは全てアルビサポの陣取る南側で決められていた。
だからということもあるだろうか、ペナルティエリア内の芝は熱戦を反映したように荒れており、PK戦は名古屋サポの待ち構える北側で行われることになったようだった。
国立競技場は陸上トラックも備えていることもあり、球技専用スタジアムよりも反対側ゴールが遠くに見える。加えてスタンドも巨大だ。こちらからは目を凝らして見ても、選手の表情は見えない。
不安を振りほどくように祈る。大丈夫、阿部は天皇杯北九州戦で、3本のキックを止めている。きっと勝てる。
オーロラビジョンにPK戦のスコアボードが表示される。アルビが先攻、グランパスが後攻。考えても仕方がない。ここまで来たら、決めるか、決められるか。それだけのことだ。
新潟、一人目は秋山。決める。この場面で当たり前のように決めてしまった。どんな心臓なんだろう。
名古屋、一人目は稲垣。決められた。
新潟、二人目の長倉。大丈夫。きっと決めてくれる。両手を顔の前で組んで祈った。だが………右に外した。遠目に見ても落胆してる様子は分かる。心配するな、仲間が決めてくれる。阿部が止めてくれる。側にいればそう声をかけたかった。
名古屋、二人目はまさかのランゲラック……つい先日もPK戦を自分で蹴って、「いや自分で蹴るんかい」と突っ込んだ覚えがあったが。決められる。
新潟、三人目はトーマス・デン。ついさっき試合に入ったばかりでフレッシュなデンは、危なげなく決める。
名古屋、三人目の山中。決められる。
新潟、四人目。星。ここで失敗して次決められたら終わってしまう場面。だが、いつも飄々とした風で熱い男は、決めてみせる。
名古屋、四人目。ユンカー。交代で入ったストライカーには、普通に決められてしまった。
新潟、五人目。小見。外したらその場で試合終了になるという一本。二度の同点ゴールを決めた強心臓の若武者は、後半終了間際に新潟を救ったPKと同じように蹴り……同じように決めた。
名古屋、五人目。山岸。昨年、福岡でルヴァンカップの戴冠を経験した選手。二年続けてその手に賜杯を握れるか。
オレンジに染まった北側のスタンドの全ての人が、祈った。
外してくれ。阿部、止めてくれ。
だが山岸の蹴ったボールは……時間の止まった錯覚などを演出することなく、無情に、最初から決められていたかのように無機質に、名古屋サポーターの待ち構えるスタンドを背にしたゴールネットを、揺らした。
試合終了。優勝、名古屋グランパス。
アルビレックス新潟の目指した「てっぺん」は、苦しみたどり着いた舞台の最後の最後で、手からこぼれ落ちた。
歓喜に弾ける向こう側のゴール裏をぼうとした目で見やり、僕たちはまばらな拍手をいつしか始める。
それは、2時間の死闘を越えて勝利を得た名古屋グランパスへの賞賛か。
それとも、諦めることを忘れたかのように最後まで戦い抜いたアルビの選手への労いか。
笑い、喜びに舞う名古屋の選手が次々に映し出されるオーロラビジョンに、いつしか号泣する長倉の顔が大写しされた。
その瞬間、それまで何も感情など沸かなかった自分の胸に、どろりとした感情が沸き、気がつくと自然に涙が出ていた。
その粘度の高く熱いものは何だったのだろうか。悔しさか。怒りか。いいところまで来たのだから、という喜びか。
よくは分からない。分からないけれど、泣きじゃくる長倉の顔を見て、思っていた。
泣くなよ。君のせいじゃない。君がいたから、ここまで来ることが出来たんだから。
……そして僕たちは敗者として、全60チームの2番目として、受けるべき栄誉を授かり、勝者へ穏やかな敬意を捧げるために、国立競技場で、あとのことを見届けたのだった。
終章.再び始まる継往開来
2024年12月。
アルビレックス新潟はリーグ戦の戦いで苦しみ抜き、どうにかこうにか残留を決め、来季もJ1で戦えることになった。
そんな日であっても、あの時のことを思い出すと鼻の奥がツンとするような感覚がある。
てっぺんを目指す、という監督の言葉に半信半疑だったシーズン当初。
出だしは悪くなかったリーグ戦とは対照的に、下位リーグのチーム相手に苦しんだルヴァンカップ序盤。苦しんだどころか、天皇杯ではJ2上位の長崎を相手に、1-6の大敗を喫して早々に脱落してしまっていた。
シーズンが進むにつれ、J1での戦いは苦しさを増し、チームは迷いを見せるようにもなってきた。
そんな中でもルヴァンカップは次第に調子を上げ、準々決勝では今季J1で台風の目どころか当時首位を快走していた町田を相手にまさかの快勝。続く準決勝でも直近で大敗していた川崎を2連破しての決勝進出。
そこから始まった約ひと月のドタバタは、今までのサポーター生活に無かった不安と緊張と称揚と最高の興奮をもたらしてくれた。
チームは変わる。クラブも変わる。
今年いた選手全員が一緒に、もう一度同じ舞台に立つことなどあり得ないけれど、サポーターは変わらずアルビレックス新潟を後押しし続ける。
継往開来。過去から受け継いだものを発展させ、未来を拓いていくこと。
始まったものは受け継がれ、決勝という大きな舞台に進出して今のアルビレックス新潟の姿を全国に示した。それを推し進め、未来において更に大きな成果を刻みたい。
一度味わったものは甘く苦く熱かった。
中毒患者のように焦がれる。知ってしまったのなら忘れろと言われても忘れられない。
秋雨の降り注ぐ中、立って叫んで腕を振ったあの時間を、未来の自分に。仲間たちに。
きっと時には落ち込みもするだろうけれど。今度はより大きな喜びと共に。
そのための時間は、またもうすぐ始まる。
追記
今さらになりますが、名古屋グランパス、選手、関係者、サポーターの皆さん。本当に優勝おめでとうございました。
正直、決勝の相手がグランパスに決まった時は憂鬱でした。だってすぐ前にあんな無様な負け方したんだから当然でしょ?!
……てなわけで、戦前はどういう気分で試合に向き合えばいいのか、多少迷っていました。本文には書かなかったけれど。
でもまあ、試合が始まってみたら、なんなのこれ。
もちろんどっちも勝ちにはきてましたけれど、それでも自分たちの持てる力をぶつけ合う、当事者としてみれば最っ高の試合でした。
破れはしましたが、決勝戦の相手が名古屋グランパスが相手で、本当に良かったです。
改めまして、優勝おめでとうございました。
……なんてお為ごかしで締めるわけねえだろ綺麗事で済ましてらんないくらい今でも悔しくて悔しくてたまんねえ次はぜってえ優勝してやる!!!!!(終わり)