非常に重たいテーマである。 自分の書いた論文を放っておいたのが悪いと思う、オープンソースの初期(1985年くらい)のことしか頭になかったが、今は、アップルのAPP等、雑誌の付録や箱売りをソフトウエアしなくなったので様子も様変わり。 目くじら立てて、Microsoftや、Bill Gatesの作ったものに反対するなんて、今の人はやらないわ。 APPもあるし、HPからダウンロードできるし、あの頃との違いは、検証していないが、PCが鉛筆や紙のように机の上に「普通」に置いてあることだ
2024年11月13日 ついつい、自分が自分の部の中で一番偉いと勘違いしてしまいがちだ。 人を管理するのではなく、部の中で人がいかに気持ちよく働けるかを、アイヒマンじゃないけど、上からの命令に服従することが第一なんて考えて、勘違いして。
2024/11/12 今日の朝食 天気 晴れのち曇り 出社する
梅雨の中休みを利用、上尾 → 桶川 → 鴻巣(北本) 懐かしい 群馬が近付いてくる。
随分と書くの開けたので、中山道の旅が随分と先に 行っちゃいました。もうすぐ 熊谷です。 大宮 上尾 大宮スタート もうすぐ上尾だ(日本橋から34km)
梅雨の時期は、辛いよ とはリハの先生。 確かに今日は辛いよ、東京は曇り空。 傾きがひどい。土日にて、嫁はんと中山道。 中山道チャレンジ No.3 蕨 → 浦和(距離短いので、大宮まで) 蕨駅スタート 結局、蕨〜浦和〜大宮 まで歩いたよ。 13km。ふー。
中山道チャレンジ No.2(板橋から、蕨駅まで) 梅雨が来る前に「高崎」まで、行きたいと願っています。 真っ直ぐ、川に向かうのだが山あり谷ありと非常に起伏に飛んでいた。 板橋の子供達が、強いのは納得ですね。 苦しかったが、無事蕨駅到着。橋を渡ってから 新道行ったみたい。 たぬきそばをいただきました。
だいぶんと体は元気となって来ましたが、脳はまだまだです。 週1回しか病院に通えないので、自主的にトレーニングを行なっています。 プールも行ったりして。 日本橋から、板橋まで歩きました(中山道にチャレンジです)。 天気は、良かったのですが結構 お江戸は坂がきついので、病人にはきついです。 日本橋 → 東大前 → 白山 → 巣鴨 → 板橋 今度は、板橋から、蕨です。
今日は、急性期病院での不思議な体験を書きます。 2022年2月XX日 変わった2名が、入院した。 1名は、誰かに頼まれてこの病院に入院したらしい、誰(看護師も医師)も知らなかった。 突然夜中に、吐き気を催し看護師に全てをゲロ(体の中からも一緒に出した)してしまったよう。その時点にてみんなが気づいた。 話によると院長先生だけには、依頼元からは話がいっていると。 ネットでの書き込みが、正しいか 反面調査をしているとのこと、この病院に担ぎ込まれるために、納豆のみを食べていると言っ
今日は、急性期の病院に運ばれるまでの事について書きます。 こうなるのが、必然なんだか感じていない。 目が覚めた時には、既に左がこんな感じで、別人のようだった。 どうしてこんなになったんだろう。 N市でも大手である とある会社から救急の病院に運び込まれたのが、2022年1月25日 だ。わすれもしない、3日前から前兆はあったのだ。 今日は、8.5km を歩いた。 体重は、64.6kg(前日比 +0.2)
昨日は、甥っ子2人が病気の自分を心配して駆けつけてくれました。 料理は、懐かしい『手巻きずし』。 とろ、ぶり、かつお、たい、しめ鯖、サーモン、お手製卵焼き、アボカド サラダに、冷しゃぶ(牛肉)を。 ビールは、甥っ子の1人と、ウチの今年20歳になった下のちび。 楽しいひとときを過ごした。 因みに、R橋まで往復。 M下まで カレーパン+ホテルブレッドを買いに。 都合 7km 体重 64.4kg
休んでます。 1月24日から、続いた入院生活も終止符。 4月14日からの自宅療養は、妻も仕事を家の中でやりつつ、自分の面倒・2人居る大学生の息子の食事の支度をしている。 左がまだ 不自由。 タイピングのaをコントロールキーを押し間違えてしまう。 どうも、病気前と退院後のタイプが一つづれるのである。これは、社会復帰する前に 治さねばいけぬ。 今日は、雨の中 歩いた(いつも走っている隅田川のコース+必死に買い物) 寒い。。