12年ですか
いやはや。
震災の年に生まれた子どもたち。
またその以前であっても、記憶にははっきりと残っていない人も多いよね。
かく言う私も、阪神淡路の時はまだ2歳になる前で、当然記憶なんてないしね。
そして子どもだった、今大人になる人たちは、人生に大きな影響があったことは間違いないよね。
そして僕は、あの日17歳だったんだ。まだ子どもだけど大人になる段階のような時期だ。
分かったつもりになって、何も分かっていなかったような。
12年の間に、本当に色々あったな。人生の経験の中でも、よく考えると色んなことあったんだなと思う。
今を生きる子どもたち、あれから大人になっていった人たち、あの日のことを抱えて前に歩んでいく人たち。12年の間に色んなことがあったんだな。
当たり前だけど人間の数だけ思うこと、その人にしかない経験、物語があると、日々忘れて向き合っていないけど、こうしてたまにものすごい現実として目の前に現れる。
たくさんの人から知られている個人にだって、それを見て楽しむ人だって、みんなに等しく同じ時間が流れている。
そんな中でふと、チラッとだけでも自分と同じだ。と思える存在に巡り会えた時、なんでこうも感情に呼びかけられるような気持ちになるのだろうね。
どうか幸せな人生をすべての人が送れたら良いのにな。
という気持ちも、まぁある種の道楽なのかもしれないよな。
みたいな、全然そんな気持ち届きようもない状況にある人がたくさんいることも分かってる。この国でも、そこから少し視点を外に向ければもっともっと。
でもなぁ、12年で大人になったね、の結論がそれ以上にはなりませんよ、じゃあんまりだよな。
もう一つ思い出したことがあって、書き足し。
高城れにさんが女川町を訪れたYouTube動画の中で、街に残る震災遺構を巡る場面で、案内役を務めてくださった観光協会副会長の高橋さんが、大人としては撤去しようということで話が進んでいたが、被災当事者の地元の(当時の)中学生たちから、残して欲しいという意見があり、そのままにすることにしたという話を伝えてくれた。
当時のことを思い出すため、あまり近づきたくない場所であるとも。
それでもこれから大人になっていく人の意見を聞き入れないわけにいかないということで、倒壊した交番を震災遺構として残しているという。
私も何度か訪れた場所であったが、より、あの場所の意味や景色について、理解が深まったように感じました。
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