Oldies
今日は大学時代の同期の結婚式だった。
この一年で4回結婚式にお呼ばれし、その4回とも式の中で流れるビデオに何らかの形で関わった。
もう業者。
という冗談は縦置き。置く向きはなんでもいいんだけど。
やー、なんか、一番心にグッときたな。
というのも、そのこれまでの3回の式は、みんな中学からの同級生の男たちのゲストで、みんなの奥さんとも面識があって。
なんかこう、結婚式という儀式を経なくても、全然これからも変わらない関係でい続けるんだろうなっていう、まぁ、無根拠といえばそうなんだけど、そんな確信があったから、そうだったんだよね。
今日は、大学の同期の女の子の式で、ほんとに短い期間だけど、いわゆる付き合ってたとかなんとか言われる時期もあったとかなかったとか。
なもんで、もちろん列席のみんなは勝手知ったる大学時代の仲間たちがほとんどだったし、そういうのも全部踏まえた上でめでたい席だったんだけとさ。
こう、儀式ってものが何のためにあるのか、というと、やっぱりその儀式をもって何か別の段階へ行くんだ、ということを自身も、周囲の人々も具体的に感じるための時間なのだろうと思うわけです。
今日はなんかこう、あー今日をもって決定的に関係性が変わるんだな、と、なんか、感じたわけで。
僕は式に出れなかった新婦側のご友人からのメッセージを取りまとめたりなんてことをしてて、その映像を編集してる時なんかさ、あーなんて幸せなんだろうか、とも思ってたし、もちろん今日の式の間も思ってた。
でもやっぱり、今日をもって決定的に何かが変わるんだ、って感じがしたんよね。
最近よく思うことがあって、もうすぐ30歳を迎えるところまで来て、なんかね、もう今後大きく人生の在り方が大きく上振れることもなければ、その逆も然りなんだろなー、みたいな諦観にも近い思いがずっとあって。
そんでさ、今日みたいな時に、たまーに、幸せのおこぼれに与って、あぁ、僕も嬉しいな、なんて思って、まだ、こういう瞬間があるのならまだ生きていてもいいのかな、なんて思うわけで。
新婦にはとても感謝の気持ちを伝えて貰ってしまってね。
ありがたい限りで。
そう、それで、帰り道にすごく好きな曲を聴いていて。
例えば未来が すでにあるとして
だけど僕は あがき進んでいくのだろう
時は人をなじって時に振りまわすから
すべて 笑い話になればいいな”Oldies”と
僕がその新婦と昔付き合ってたとか、もう笑い話だしさ笑、そう、もういいことないやって思うくらいなら、既にある未来に少しでも足掻いていたいって、ちょっと思えた。
まだ生きていられるなら、もう少しあがき進んでいくことも悪くないかな。
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