厳しい
最近好きでよく配信を見たり、書く文章を買って読んだりしている人がいる。
その人が新作の書籍の刊行を記念して配信イベントを行なっていた。
クリエイティブで食べていくことへの自信と自覚が強い方であるとは発言の数々から感じていたが、配信での話題は先日炎上騒ぎになった、女子高生を主人公にした漫画の広告に及んだ。
この問題を取り上げたウェブ媒体を引用し、不快であると感じる人を想定して、そこへの配慮などしていたら文化など生まれないといった論旨の発言であった。
その主張に関しては理解はできるものの、この炎上案件は、その指摘のみならず、もっと幅の広い問題を含んでいると私は認識している。
未成年の女性を性的な視線で見ることと、広告媒体の立場に適切な関連性があったのか。など。
引き合いに出して自身のクリエイティブへの思いを打つ題材とするには、あまりに視野が狭いと感じざるを得ない発言だと思った。
同席のゲストは同調しつつ、最後まで中吊り広告であったと勘違いした(あるいはそうであったかのようなミスリードを誘うような)発言をしていた。
つまり、彼もまた自分の主張に沿うように、語られるべきテーマを見ようとしなかったと感じた。
あるいは、初めから視界にも入っていない。
先ほどTwitterを開いたら、テレビにもよく出る著名なタレントが不倫スキャンダルによって廃業しようとしているという話題があった。
擁護するツイートがたくさんある。中絶は女性の意志で行ったもの。被害者でこそないが加害者でもない。など。
自分の無責任な性行為に起因する望まない妊娠に対して(この時点で「最低」以外の何者でもない)、中絶を強く要望するなど身体的加害に他ならないですよ。
でもまぁ、どうもやっぱり、世論は男尊女卑ズブズブなんだなと思うよ日々。
現在広く浸透している社会通念が割と根底から間違っているだろうと思っている人間なので、本当につらい気持ちになる。
これがひとつの建築だったとして、基礎の部分から作り替えなければならない、基礎が腐ってる以上は、無理やり増改築したとて上物が歪になっていることは直せまい。
やはり、この建物をアップグレードし続けたい人々は、その現実を見て見ぬ振りをしているか、あるいは本当に建物の形が歪んでいることに気付いていないのだ。自分の見栄えをよく、自分が見る景色をよくしたいと天にも届かん高さまで無責任な増築を繰り返したのだから。
神の怒りを買い、もう二度と対話ができなくなる前に、人間の手で塔を解体するべき時が来ているはずだと思う。
先日深夜ラジオを聴いていたら、多様な社会の在り方の実現を主張する人は、多様でない社会の在り方を望む人を排除している。それらもまた多様な在り方の一つであるはずなのに。といったネタが読まれていた。
私としては当たり前ではないか、と思う。
多様でない社会を望むということは、社会へ参加することに障壁がある全ての人々の権利を否定したいということだ。私はマジョリティ側だから、そうでない人と交わりたくはない。
そんな主張が認められる社会があっていいはずがないだろう。
好きなタレントが出ているトーク番組を見れば、司会者は女性はこういうのが好きらしいな、なんてことばかり。
才色兼備の美女と「多様な」個性を持つ女性の対立を煽り、男性の司会者はその様子を面白がったり怖がったり。
なんかなぁをたくさん抱えて生きている。考え過ぎと言われても、うーん、考えないでいる方がつらい、と私は思う。
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