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女性ブリッジプレイヤーのさきがけ ジョセフィン・カルバートソン

これまでに当方のnoteではブリッジ界の有名プレイヤーをご紹介してきましたが男性ばかりでしたので、今回は女性のブリッジプレイヤーを取り上げたいと思います。
ご紹介するのはジョセフィン・カルバートソン(ジョセフィン・マーフィー・ディロン)(1899-1956)です。彼女は、過去の記事でご紹介しているエリー・カルバートソンの妻として有名ですが、ジョセフィンはエリーの力を借りずとも、当時の男性プレイヤーたちを唸らせるほどの凄腕ブリッジプレイヤーでした。
こちらはgettyimages(画像素材の販売サイト)に登録されているジョセフィンの画像ですが、とてもおしゃれなファッションをした美しい女性だったようですね。

ということで、ジョセフィンがどんなブリッジプレイヤーだったのか見ていこうと思います。

ジョセフィン・マーフィー・ディロン(Josephine Dillon Murphy)はニューヨークの出身で、オークションブリッジの大家に師事し、若い頃からブリッジのプレイヤー・指導者として活動していました。そして、夫となるエリーと出会ったのはニューヨークのホイストクラブでのことでした。(※ホイストはブリッジの前身となるカードゲーム)ジョセフィンはその時まだ22歳になるかどうかの年齢でしたが、すでにブリッジの才覚を見せていました。
その後二人は1923年に結婚。1925年にコントラクトブリッジが登場すると、二人はブリッジ界で一世を風靡することになります。
(下記リンクはgettyimagesに登録されているエリーとジョセフィンの写真↓)

エリーは1929年に雑誌『The Bridge World』を創刊するだけでなく、ジョセフィンとパートナーを組んで数々の試合に勝利し、新聞などのメディアに取り上げられることで一躍有名人となります。1930年代のブリッジブームはまさにこの二人が中心人物でした。

下記のリンクはオーストリアのビクトリア州立図書館に所蔵されているブリッジの資料を紹介しているページです。ここにエリーとジョセフィンの写真があしらわれた本の画像があったのでシェアします。ブリッジブーム真っ只中の1933年に出版された書籍のようですが、当時の二人の人気ぶりが伺えますね。

そして、「ブリッジ界の世紀の一戦」と呼ばれるエリーとシドニー・レンツの有名な試合においても、エリーのパートナーはジョセフィンでした。
(レンツとの試合については過去記事参照↓)

その他、ジョセフィンはエリー以外のプレイヤーともペアを組んで試合に参加することもあり、国内外の選手権大会で優勝しました。

また、ジョセフィンはブリッジに関する書籍も執筆していました。海外のオークションサイトや古書店のサイトで見つけた商品ページをリンクしておきます。

このようにジョセフィンは1930年代を中心にしたブリッジブームの中で様々な活躍をしました。そして、夫のエリーと共にブリッジ史上に残る数々の業績を残しながらも、1938年に二人は離婚したそうです。

今回の記事を作成するにあたり、アメリカン・コントラクトブリッジ・リーグ(ACBL)のHall of Fame(ブリッジ界に貢献した人物を表彰する賞)の記事を参照しているのですが、そこでのジョセフィンのコラムには以下のような記述があります。

彼女は「現代の奇跡 − 最高の男性と互角にプレイできる女性」と呼ばれています。

Hall of Fame Member Profiles
https://www.acbl.org/awards/

2020年にNetflixで人気を博したドラマ「クイーンズギャンビット」では、1960年代のアメリカで、チェスの天才少女が男性社会の競技チェス界でトップを目指す姿が描かれましたが、それよりさらに昔の1920〜30年代において、ブリッジ界においても「女性は男性には力及ばない」という女性プレイヤーに対する偏見があったことは想像に難くありません。ですが、そんな中でもジョセフィンは男性のブリッジプレイヤーとも対等に渡り合い、評価を集めた女性でした。
今でこそ性別に関わらず盛んに楽しまれているブリッジですが、当時はジョセフィンのような女性はそう多くはなかったのかもしれません。そんな中でも自身の才能を遺憾なく発揮し、活躍したジョセフィンはブリッジ界の女性プレイヤーのさきがけと言える存在なのではないでしょうか。ジョセフィン以外の女性プレイヤーに関する話題があったらまた調べてみようと思いますーではー。

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