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長野県大鹿村 上蔵堰堤の遠望~土木学会選奨土木遺産
今回は橋ではなく堰堤のブログです。
土木学会選奨の土木遺産を見ていくと、一つのカテゴリーとして堰堤があります。昔からの治水の歴史の中で堰堤が・・・と語れるほど詳しいわけではないのですが。そんな中で、上蔵堰堤は土木遺産のページを見ていた時に気になった施設です。
上蔵砂防堰堤は、戦後に花崗岩切石の丁寧な練石積みにコンクリートを充填して全て人力で造られた大規模なアーチダム本堤とその副ダムの砂防施設です。
竣工年:
本堰堤:1954(昭和29)年
副ダム:1967(昭和42)年
国立国会図書館のWEBサイトで閲覧した資料を要約すると、
資料名:下記
天竜川流域唯一のアーチ式砂防ダム
アーチダムとしたのは、小渋川の川幅が狭くなる現地の地形と地質が理由
本堰堤:昭和26年着工、29年竣工
本堰堤:昭和34年および36年の水害で一部が損傷したため補修工事
副ダム:昭和42年に副ダムを嵩上げ
副ダム:昭和45年に第二副ダムを施工
引用元の資料
建設省中部地方建設局天竜川上流工事事務所, 中部建設協会 編『三十年のあゆみ』〔技術編〕,中部建設協会,1980.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11948326 (参照 2024-06-02)
さて、小渋橋の標高が約730m、源流となる赤石岳が3100mを越える標高なので、その差が2400mくらい。水平距離で14.5kmなので、平均勾配は16.6%。この勾配の流れが地区の近くまで来ているわけですから、流れを落ち着ける堰堤が必要なのもわかります。
アーチ式の堰堤ということで、文化遺産オンラインの写真では、堰堤の正面のほか上面側からの写真があり、その形がわかります。流れてくる土砂に対してアーチが抵抗している姿です。
上蔵堰堤への直接の歩道などはないようで、遠方からでも見えないかな?と思いながら小渋川沿いの道を進むと、ありがたいことに見えてきました。採石場の奥に、少し隠れながらも滝のような光景です。
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(拡大して見てください)
シャッタースピードを落としきれなかったので、白糸をひくような写真にはできず残念。
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GoogleMapには、お近くまで行かれた方の写真がアップロードされています。アーチ型のダム部(副ダム含め)は傷んでおらず、むしろすぐ下流のコンクリート部が破損しているかのような印象の写真でして、ダムの強さが伝わってきます。
遠目にも見られてよかったと思いつつ、雨の前の風を感じたので、再び小渋川沿いに下っていくのでした。
いくつか資料を見てみました。個人のメモ的ですが、リンク先を下記に。
国土交通省のサイトでの紹介
https://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/think/heritage/pdf/003.pdf
信州大学でのアーカイブ:建設当時の写真があります。
長野県のサイトでの紹介
堰堤の上流側で堆積した土砂を取り除く作業をされていることがわかります。
https://www.pref.nagano.lg.jp/sabo/documents/wazo.pdf
論文「歴史的砂防施設が有する広報的価値についての一考察―アーチ式石積コンクリート造である上蔵砂防堰堤での事例研究―」
大鹿村観光協会での紹介ページ