
富士見沢橋 昭和6年竣工、架け替えへ
戦前の橋梁設計の教科書を見ると、橋脚の形状がバナー画像のように、円錐的に上に伸び、桁下に横繋ぎの梁があるタイプが載っていました。富士見沢橋の橋脚も、古い教科書で見かけたような橋脚の形状であり、調べてみると昭和6年(1931年)の竣工でした。
あと少しで100歳を迎える橋ですが、架け替えの話もありそうですね。
4連の単純桁であり、H鋼を使っているようです。

中間橋脚へ視線を移すと、リベットの痕跡が見えます。おそらく支点上補剛材が桁内側にあるものではないかと思います。ここ以外には接合の痕跡は見当たらないので、鋼材を現場で組み立てたのではないかと推察します。
橋座の円形部には、鋼製のバンドが施されています。

この構成のバンドって、締めこまれているんですかね?古い橋のコンクリ-ト橋脚で見かけることがあるので、施工方法と継続的な張力維持が気になっています。東海道本線の大井川橋梁の橋脚を見た時も少し悩んだところです。

余談なのですが、思い出すのは薪用の金輪。金輪の中に薪を入れていき、最後に張力を与えるために、薪を1本、打込むように入れることで締め付け状態になってきます。たぶん、桶などのタガも同じ考え方ですね。
話を戻さないと。
この鋼材の帯での補強も、施工されている橋脚と施工されていない橋脚がありました。後からの補強だったのでしょう。

さて、橋面を見てみると、一般的なガードレール設置とコンクリート舗装です。ガードレールは建設当時のものではないので更新されていると思います。ただ、建設時に地覆幅がこの幅(400mmくらい?)だったんですかね?前後の道路を見ると、地覆が内側に拡幅されて、ガードレールの設置対策になっているようにも思えます。

さて、対岸側から少し法面に降りていけたので、桁下を拝見。横繋ぎの部材が見えます。

橋脚部は、年月を経てコンクリ-トの表面部に骨材が見えています。

富士見沢橋の奥には中央道の高架橋が見えます。中央道も新しくはないですが、約100年前の橋と約50年前の橋のコントラストですね。

富士見沢橋は甲州街道から入る地区への橋でして、昭和初期に建設されたことを考えると、奥の地域には森林資源があったとか?なにか歴史めいたものがあるのかもしれませんね。
管理する大月市が架け替えの判断とのこと。