長野県 トレッスル橋脚の2橋(木曽町 巴橋、大鹿村 北向橋)+α
巴橋(長野県木曽町)
トレッスル橋脚を知ったのは餘部鉄橋をテレビで見たときでした。ネットで検索してみても、なかなか見に行くことはできないと思いつつ、道路橋でのトレッスル橋脚の橋を拝見しました。情報源のブログはリンク先のものです。
最初に見えたのは、橋のたもとにある「14トン」の標識でした。山間の道路で見かける、古いながらも地元になじんでいる橋の雰囲気を感じます。
駐車場が隣接されていて、そこから水面に近いところまで進めました。橋を見られるのはありがたいと思いつつ、こちらは巴淵という観光スポットとのことで整備されているようです。
橋脚の上には左岸側・右岸側で支間長が異なる2つの単純桁が架かっています。
柱部と横梁部は現場でのリベット接合になっています。一方で横梁の支持部は溶接のようですが、段違いになっていることの対処もあり、いささか複雑な断面構成ですね。
日義村(現在の木曽町)の村誌を見るとその経緯が記されていました。工事で使用されていた橋を解体して、現在の巴橋の位置に設置されたとのこと。かけ違い部をコンパクトにするのなら、確かに鋼製のほうが良いです。移設を担当された佐藤工業さんとしても製作・現場に反映しやすかったかもしれません。
もしかしたら長い側のスパンは移設された部分、短い側のスパンは合わせて作られたのかな。これは憶測として。
さて、餘部鉄橋や青梅線の奥澤橋梁の資料を見ると、側面から見たとして、左右それぞれ2本の柱が頂部で一つにまとまっていき、2つの支承線(支承はどんな感じなんだろ?)になります。橋脚の長手方向は橋軸方向です。連続桁?にも見えますが、その2つの支点が橋脚上にあるような設定です。
一方で巴橋は橋脚の長手は橋軸直角方向になっていて、橋脚上の支承線は1本です。これは大きく違います。
ここからは私の勝手な推測ですが、橋脚のコンクリート部分はH.W.Lを越える程度かつ、コスト・施工・工程の面で、渇水期に施工できる高さまでとし、その後に鋼製橋脚部分から上を架設したのではないかと思います。おそらく、施工年代と地域や規模から考えると、コンクリートを圧送していなかった(できなかった・しなかった)ことも背景なのかな?と。
北向橋(長野県大鹿村)
さて、このタイプの橋脚はほかでも見られました。写真は国道152号(長野県大鹿村)から伸びる村道の北向橋です。こちらも巴橋と同じく中間に橋脚はあるものの、連続桁ではなく4連の単純桁です。この橋は、もしかしたら三六災害の際に橋が損傷あるいは流出して、残された橋脚を利用して高い位置に橋を架けなおしているのかもしれません。個人的な推測ですが、橋脚コンクリート部天端の形やモルタル部、一番左(右岸側)のスパンが短く、護岸が段になっている(この段と橋脚天端の高さが同じくらい)といったことから考えた次第です。さらにはトレッスル部の補助的な部材が上に向かって広がっています。一般的には上に向かって平行または狭くなると思います。
大鹿村ではS36年の三六災害があったと伺い、見学の道中で大西観音菩薩様にもお参りしてきました。
石灰石輸送ベルトコンベア橋(富山県糸魚川市 明星セメント)
同じタイプのトレッスル橋脚としては、富山県糸魚川市にある明星セメントさんの石灰石輸送ベルトコンベア橋があります。名前の通り、道路橋ではありません。国道148号を北上して国道8号を西へと進む場合、街中を避けた抜け道な県道368号を進むルートがあり、このルートなら真下から見られます。コンベア橋の姫川を渡る部分は勾配は緩めですが、堤防を過ぎて西側の丘へ向かう範囲は急勾配になっています。ゆえに高橋脚になることから、重量や設置工程で優位となる鋼製のトレッスル橋脚になったのかもしれませんね。
コンベア橋の所在地はリンク先の管内図をご覧ください。
https://www.hrr.mlit.go.jp/takada/river/pdf/himekawa_kannaizu_a3.pdf
トレッスル(架台)について国立国会図書館で検索してみると、永久構造物ではなく、施工時の仮設的な構造としての活用がわかる資料もありました。
以上、ネットの検索でトレッスル橋脚として紹介される鉄道橋ではなく、地域の橋(+α)のお話として。
トレッスルとは「架台」の意味のようなので、一応、用語の使い方としては合っているのかな?と思いつつ。
余談ですが、橋の名前を調べるのには損傷データベースのサイトが良いのですが、道路橋の場合には管内図のほうが便利な時もあります(字が小さいけど)。
https://www.hrr.mlit.go.jp/takada/river/pdf/himekawa_kannaizu_a3.pdf