被爆証言をホフステード6次元モデルで語り継ぐ その①
なぜ世界から戦争はなくならないのか
上の写真を見てください。
これは私の母が通っていた無得幼稚園の卒園写真です。1945年3月に撮影されました。現在の広島平和記念資料館が建つ、まさにその場所に幼稚園はありました。
この写真が撮影された5か月後、広島に一発の原子爆弾が投下され、市は壊滅状態に陥り多くの命が失われました。爆心地に住んでいた母の一家は、建物疎開で原爆投下のわずか1週間前に引っ越したため、命をとりとめることが出来ました。しかしこの写真に映っている母以外の子どもたちの生存は絶望的だと考えられます。
私は2008年からヒバクシャである母の証言活動を支えてきました。このブログでは私が異文化理論の実践者として感じていること、そして2023年11月に行なわれたFriends of Hofstede(異文化の専門家ネットワーク)における発表について紹介します。
ブログを通して、世界が直面する危機に異文化理論が貢献できる可能性をお伝えするとともに、より平和で公正な未来について考える「小さな種」になることを願っています。
トップ写真:「いのちのき」七宝壁画(田中稔子作 1990年 第22回日展 180x90cm)
被爆2世の私の想いと活動
私が広島の小学生だった頃、毎年のように授業で被爆者の証言を聞きました。原爆の惨状に締め付けられるような恐ろしさと、私が平和な姿しか知らない日本との大きなギャップが不思議でした。そしてテレビで遠い外国での戦争のニュースを見るたびに「こんなに悲惨なのに、どうしてやめることができないのだろう」という疑問を持ち続けてきました。
2008年、70歳になった母がピースボートで世界一周したことをきっかけに国内外で被爆証言活動を開始。私も陰ながら活動支援を始めました。
主な内容は、依頼元である海外NGOや研究・教育機関との調整、資料作成、翻訳・通訳、マスコミ対応などです。時には介助者として母に付き添って渡航し、被爆2世として発言を求められることもあります。
ヒバクシャの証言活動は、多くのNGOや財団、教育機関などの組織や個人によって支えられています。私個人の力は微力ながら、平和構築の第一線に関わる人たちの活動を「特等席」で見守る機会を与えられました。
人権の概念は普遍的ではない
2017年にクロスカルチャーの世界に入った私は、ホフステードの6次元モデルを初めとする様々な異文化理論に接しました。その中で何よりも衝撃を受けたのは、以下の一文です。
平和と民主主義を掲げる戦後教育を受け、「人権」は憲法によって保障される「当然の権利」と信じていた私にとって、まるで世界の「隠された素顔」を知ったかの衝撃でした。
ホフステードの2つの文化次元(個人主義、権力格差)を使って国をマッピングすると、グラフのように世界は大きく2つのグループに分かれます。
右下の象限には個人主義かつ平等主義的な価値観を持つ欧米の国々が並びます。政治、経済、学問など多くの面で世界を牽引している文化といえます。しかし実は世界的にみると非常に少数であることが分かります。
他方でホフステードの言葉にあるように、集団主義かつ階層的な価値観を持つ文化(グラフ左上)が世界人口の圧倒的多数を占めています。
この事実を知ると、私たちはしばしば「自分の価値観は絶対的に正しい。相手を啓蒙して変えなくては」という思いに駆られます。
しかし異文化理論では異なる見方をします。
文化次元の違いとは、人類が共通して直面する課題に対して、それぞれの文化が置かれた状況で最適解として出した平均的なアプローチの違いに過ぎません。
私たちは違いを「良い悪い」の視点で違いを見るのではなく、相手の視点を持つ努力をしながら、互いに協働する道を模索できないか。その違いをパワーにすることはできないか、と考えます。
国同士の争いに限らず、価値観の違いは家族、職場、地域、部族、人種、すべての違いにおいて、紛争のおおもとになります。平和構築するためには、文化を超えた対話のためのツール、異文化理論が不可欠なのではと私は考えるようになりました。
次回は、2023年11月に「平和のアドボカシーと教育のための6次元モデルの模索」というテーマで発表した経験と、母が被爆証言が大きな役割を果たしたケースについてお話ししたいと思います。
CQラボ
田代礼子