路上水族館
街の一角を活用して個人が営む園芸活動を「路上園芸」と称し、好き勝手に見守っている。
玄関先、建物と道の境界や、室外機の上。建物が密集している街中では、ちょっとしたスペースに鉢植えが溢れ出し、即席の「庭」が生み出される。
庭がないから。なんとなく置いてみた。様々な理由があるだろう。車の衝突防止やゴミの不法投棄防止といった、実用的な意図を伴う場合もあるようだ。
路上園芸は、家と公共空間との境目に存在するもの。それゆえ、半分はそのおうちの方のものでありながら、半分は街にも開かれている。公と私を緩やかにつなぐ存在だ。鉢植えの状態や装飾には生活や趣味趣向がちらりと漏れ出ている。
信楽焼の狸をはじめ、様々なキャラクターのオーナメントが鉢植えに添えられた家。通るたびに花の種類が変わる、見事なプランターの「立体庭園」が道に面して置かれた家。「子どもに野菜が育つ様子を見せたい」と、通学路に面した駐車場の一角で季節ごとの野菜をトロ箱に植えている家。
そして時折、鉢植えの傍らに水槽や火鉢が置かれていることがある。中を見ると、金魚やメダカなどがゆらゆらと泳いでいる。
「路上水族館」と呼んでいる。
つい先日も、とある街の路地を歩いていたら、玄関先に水槽が並ぶ家があった。スチールラックや木の板などをうまく組み合わせて、大小様々な水槽が10個ほど立体的に配置された、集合住宅状態。香港あたりの複雑なビル街の裏道のような雰囲気である。
水槽の中には、金魚のほか、メダカ、カエル、ウーパールーパーまでいる。
水槽の傍らで家主が椅子を出して腰掛けていたので、話しかけたところ、金魚は、地元の祭の金魚すくいで売れ残ったものを引き取って育てているとのことだった。水槽の蓋の上には、お子さんが好きだという恐竜のフィギュアが並んでいた。ちょっとしたテーマパーク状態である。現に私の前にも先客があり、水槽の前で足を止め、金魚の様子を見守っていた。
路上園芸の魅力の一つは、それぞれが単独の鉢植えや置物といったパーツでありながら、その組み合わせによって変幻自在かつ唯一無二の立体空間が生み出されることだ。水槽があることで、路上の一角にぽこっと水辺の風景が加わる。
鉢植えの植物も水槽の金魚も、自然界とは切り離されているという点では似ている。都市に生きる人間も、もしかしたら同じような存在かもしれない。
それゆえ、限られた空間を創意工夫で自在に使って営まれる園芸や、鉢を乗り越えはみ出し住処を見つける植物の姿には、どこか勇気をもらえるのだ。
文責: 村田 あやこ