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美術に疎くても美術館に行った方が人生豊かになると思った話

先日のとある晴れた土曜日、子供達を夫に託しひとりでテートブリテンへ足を運んだ。

テートブリテンとはイギリスを代表する美術館のひとつ。イギリスを代表する画家、ターナーが多くあり、またラファエロ前派のミレイやロセッティなどの作品も展示されてある場所だ。

ラファエロ前派?

ラファエロ前派ってなんだかというと、イタリアにラファエロという神的に崇められていた画家様がいたのだけど、19世紀、イギリスの美術学校に通っていたミレイやロセッティは「そんなにラファエロがすごいか?」と懐疑的になっていて学校方針に不満を持っていたんだとか。「ラファエロ以前にも目を向けようぜ!」と生徒同士が同盟を組んでラファエロ前派が生まれたらしい。

私は先月ローマのバチカン宮殿内で、初めてラファエロの名作「アテネの学堂」をみて感動したばかり。

ラファエロ作「アテネの学堂」。真ん中に描かれているのはプラトンとアリストテレス


かつたまたまロンドンの美術館について記事を執筆していたところで「え、テートブリテンってラファエロに関係する作品があるのか」と俄然興味が湧いたのだ。

初めに言っておくが、私は美術の知識なんてまるでなくどちらかと言うと疎い方だ。
だけどこの時ほど「バチカンで美術館に行っておいて良かった」と思ったことはない。

そう、美術に疎くても美術館には行っておくべきなのだ。

素直に美しい

アートに触れるということは自分のなかの美意識が否応でも反応するということ。
ここでいう美意識というのは単に筋トレとかメイク術とか、見た目を気にすることだけじゃなくて、心のなかの「」。

美術館というある種日常から切り離された異空間に身を置き、美術に触れる。
ふーん、と思う中にもあぁきれいだなとか上手だなとか色が好きだなとか、美術館にいる間は何かしらその絵に興味を持ち、意識を向けると思う。

普段は意識しない美の意識がくすぐられるのは、美術館を訪れるひとつの良さだろう。
過去の巨匠たちが残した作品は時代を超えて何かしらを感じさせ、洗練された空間に身を置くことは自分の美意識を育てるのに、良くないはずがない。

世界との繋がりを感じる


有名な画家たちの絵は世界各国の美術館に点在している場合が多い。
例えばモネなんかはフランスのオルセー美術館、オランジュリー美術館をはじめ、イギリスのナショナルギャラリーやアメリカワシントンのナショナルギャラリー、また日本の美術館にも数点ある。
さらに期間限定で開催される”モネ展”など、ある画家にフォーカスされた特別展なども開催されることは周知だろう。
私はモネの”散歩”という作品を学生の時に六本木の美術館で初めて見たのだが、その後ワシントンを仕事で訪れた時、彼女と再会した。

ワシントンナショナルギャラリー「散歩、日傘をさす女」

そうやって図らずもまた出会ったり、どこかしらで繋がったりすることもある。
だから今旅に出られなくても、絵画を見ることで「フランスからやってきたのか」「アメリカからはるばる…」と思いを馳せたりすることで、世界を少しだけ近くに感じられないだろうか。

うまく言えないのだけど、要は世界を身近に感じるきっかけにもなるということだ。

人生が豊かになる

DX化やAIの台頭などデジタルな進化はこの先も続いていくだろう。しかし私たちの生活には切り離せない衣食住や、エンターテイメントとしての音楽や舞踏、アートなど人々を楽しませる分野は昔からずっと変わらない。

日々はあっという間に過ぎゆくけど、人生はたぶん意外に長い。
そして衣食住がある程度ととのったとき、人生を豊かにするのは音楽だったり、美術だったり、文学などそういった昔から変わらないものが心を動かし、豊かにし、人生に彩りを加えるのではないだろうか。

もし私はおばあちゃんになって足が動かなくなったとしても「観たい作品があるからあの国に最後行きたい…」と生きる糧や夢になるかもしれないし、「日本にあの作品がやってくる」とわくわくした気持ちが持てるかもしれない。

感性を磨くということは、心が豊かになるということ。
心が豊かであれば、人生は楽しくなるし満たされる瞬間でいっぱいになる。

そして面白いのは、いつどこで繋がりが生まれるか分からないこと。繋がっていく瞬間に人生の面白さや醍醐味があるではないかと最近思っている。

ちなみに表紙の画像はテートブリテンにも展示があるロセッティの作品のひとつ。
ニューヨークのメトロポリタン美術館にも作品があるのか。行きたい場所がまた増えた。

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