神事ってよくわからんよねって話(藤守の田遊び)
3月17日。焼津市藤守にある大井八幡宮の「田遊び」を見にいった。田遊びは稲作の工程を模した神事で、豊作を願って毎年初春に行われる、らしい。ひょんなことで存在を知り、事前の調べもしないままに急ぎ車を走らせたわけだ。
神社の鳥居をくぐると焼きそば、じゃがバターのいい匂いがする。境内はそれほど広くはないが、お祭りらしく多くの人で賑わっていた。拝殿前には即席の舞台が作られ、舞台前には賽銭と書かれた大ぶりな木桶がでーんと置かれているのが印象的だった。
田遊びが初めて奉納されたのは平安時代後期で、現在の様式になったのは室町時代頃らしい。演者は中高生くらいの男子が主で、一様に派手な衣装を着ている。赤と青の帯が垂れ下がったようなたすきをかけ、ショッコと呼ばれる帽子には花や猿のお面など、飾り物がついているのが特徴的だ。なかにはわら納豆のような蓑笠(みのがさ)をかぶっている人もいた。
そもそもが見る人を楽しませるためのものでないからか、こういった神事は見ていてよくわからないことが多い。娯楽が今よりも少なかった時代には、一種のエンターテイメントとして楽しむ側面もあったのだろうか。笛や太鼓のシンプルな音楽に合わせて、単調な動きを何度も何度も繰り返す。子どもはもちろん、大人でも退屈に感じてしまうかもしれない。しかしぼうっと眺めているとトランス状態のような、不思議な落ち着きを感じるようになっていった。
現場に立つことで感じた場の雰囲気は異様で独特。必ず夜に行うという点には、神秘的な非日常感を作る狙いがあるようにも感じた。豊作を願うと同時に生まれる、何かの秘密を共有しているような奇妙な一体感。こういった祭事が作る普段の日常とは違った空気感は、人々の親睦を深めることにも一役買っているのだろう。民俗学者の宮本常一が、村公認の夜這いデーとなっている祭りを紹介していたことを思い出した(『忘れられた日本人』)。
演目は次第に華やかさを増してゆき、一番の目玉と呼ばれる「猿田楽」では、ショッコにつけた巨大な花飾りが舞台いっぱいに広がった。揺れる花、舞う花は桜を模しており、行き来し回り、しゃがんでは立ち、所狭しと動き回る姿から春の到来を喜ぶ気持ちが伝わってくる。この日は静岡らしい西からの強風がショッコの枝を揺らし花びらを散らせていった。それでも演者たちは踊り続ける。自分でもよくわからないままに、なにか胸に来るものがあった。「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行法師)