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美人のお隣さんと仲良くなったんだけど、なんか様子がおかしい件



これは俺が初めて一人暮らしを始めたころの話。

大学二年になり、ゼミが忙しくなったとか勉強に専念したいとかもっともらしい理由で親を説得し、実家を出た。


そのマンションは「ハッピーハイツ」なんてちょっとハズい名前だったけど、大学には通いやすいし、なにより家賃が手頃だった。
うるせえ親から離れ、自由気ままな新生活が始められると俺は舞い上がっていた。
彼女を呼んで(まだいないけど)あんなことやこんなこと……


両隣くらい挨拶しときなさいよと母さんから煎餅持たされて、引越し早々挨拶に行くことにした。

お隣さんが可愛い女の子だったりしたら超ラッキー、
なんて期待しつつまずは右隣へ。
ここは一人暮らしのサラリーマンのおっさんだった。ま、うるさいことも言ってこなそうだし、可もなく不可もなくってとこか。

そして左隣。出てきたのは色気のある美人。
30代前半ってとこか。
悪くない。

俺が煎餅を渡すと、「嬉しいわ。ちょっと待ってて」と奥へ。
やがて戻ってきた彼女はタッパを俺に差し出した。

「うち二人なんだけど、健ちゃん仕事遅いことが多くて、料理残っちゃうのよ。よかったら」

差し出したタッパには煮物が入ってた。

「や、そんな、悪いです」

「おすそわけなんて迷惑かしら?」

「いえ、そんなことは」

「だったら。せっかくお隣さんになったんだから」

てな感じで、結局おすそわけをもらって帰った。
美人のお隣さんは人妻かぁ。

まあ、そうだよな。
その晩はおすそわけの肉じゃがとビールで一人引越し祝い。
これが俺の一人暮らしのスタートだった。


次の晩、俺の家のチャイムが鳴った。

まだ友達にも教えてないし、新聞の勧誘か、めんどくせえなと玄関に出ると、お隣の人妻美女(十和子さん)が笑顔で立っていた。

「こんばんは。はい、おすそわけ」

この日は唐揚げとポテトサラダ。
俺の大好物だ。

それから十和子さんは、毎晩夜8時ごろ、決まっておすそわけを持ってくるようになった。
玄関先で一言二言話すだけだったが、俺はその時間が無性に楽しみになっていた。

大学の仲間にカラオケや飲み会に誘われても、断った。
それよりもお隣さんの笑顔に会いたかったから。

いつももらってばかりで何かお返しがしたいと思ったが、やたらなものをあげて、勘違いしてると思われても困るので、何もお返しできないままだった。


たまたま学校帰りに花屋のバイトを見つけ、柄にもないとは思ったが、そこでバイトを始めることにした。
これで十和子さんにプレゼントできる。

「俺、花屋でバイトしてるんで」って言えれば、
変に誤解されることもないだろうってね。


花を渡すと、十和子さんは少女のような笑顔で喜んでくれた。
この笑顔が見れるなら何でもできるって思ったね。

それからも、十和子さんは俺の好みを聞いては料理を作り、届けてくれた。
そんなハッピーな生活が3か月くらい続いたころ、俺にもようやく大学のゼミで知り合った同い年の彼女ができた。


彼女との時間が増えるにつれ、十和子さんと顔を合わせることもなくなっていた。
それでも、時々、ドアノブに料理が下がっていることがあった。

ある日、彼女が家に来た時、ドアノブに料理が下がっているのを見て、彼女は誤解した。
お隣さんだよと必死で言い訳し、「なら返してきなよ」と言われ、俺は渋々隣を訪ねた。

「ありがたいけど、もうこういうのは結構です」

そう言って俺がタッパを返すと、十和子さんは一瞬悲しそうな表情を浮かべたが、俺の後ろを見て、

「あら、彼女さん。ごめんなさいね、余計なことして」

そう言って部屋に入っていった。

俺が振り返ると、彼女が怖い顔で立ってたんだ。
俺はビビった。
この時この彼女とはダメかもなと思っちまった。

部屋に帰ってからも俺は十和子さんの悲しそうな顔ばかりが蘇り、彼女とあんなことやこんなこと、なんて気持ちはすっかり失せてしまっていた。


案の定、それからほどなく彼女とは別れることになった。

俺は彼女と別れた淋しさよりも、十和子さんを傷つけてしまったという後悔にさいなまれた。
だけど、今さらどんな顔して会ったらいい?

それから、十和子さんには会うことはなかった。
思えば、十和子さんとはお互いの玄関先で会うだけで、マンション内や近所など、それ以外の場所で会ったことは1度もなかったのだ。


花屋のバイトは俺の性に合っていたらしく、その後も続けていて、店ではアレンジなんかも任せられるようになっていた。

家にはおすそわけのタッパがまだ残っていたので、俺は意を決し、自分がアレンジした花を持って返しに行くことにした。
隣のドアの前でチャイムを押し、十和子さんを待った。

今までのお礼と、無礼をしたお詫びと、それから……
何を話すか何度も何度も繰り返した。

ドアが開くと、顔を出したのは男性だった。
十和子さんのご主人?

俺は頭が真っ白になった。

そういえば、引越して4か月以上になるが、まだここのご主人には会ってなかったことに気付いた。

「あ、や、お、おれ、これ……」

焦って言葉が出てこない。
ようやく
「俺、隣の丸尾って言います。これ、お借りしてたタッパで」
というと、
「あなたがお隣さん?姉がお世話になっていたようで」
と男性は表情をほぐした。

え? あ、姉? ってことは……え、姉弟?
十和子さんが夫婦で住んでいると思ったのは、俺の早とちりだった。

弟の話では、十和子さんは極度の人見知りで外に出ることもなく、体も弱くほとんど人付き合いをしなかったらしい。
それが俺が引越してきてから、料理に夢中になり、明るくなったのだという。

自分からネットで食材を注文したり、どうしても使いたい調味料が足りなかったときなど、一人で外に買いに出ることもあったという。

みんなあなたのおかげだと感謝された。

俺は驚いた。
十和子さんは本当に俺のために一生懸命料理をして届けてくれていたのだ。
それなのに、俺は十和子さんの思いを踏みにじったのだ。

「とにかく、姉に会ってやってください」

弟はそう言って、俺を家に招き入れた。


どんな顔をして十和子さんに会ったらいいのか……
案内されたのは、仏壇の前だった。そこには十和子さんの写真があった。
俺は驚き、膝を落とした。

「嘘だろ?なんで?」

「あなたに料理を持っていくようになって、しばらくは明るく楽しそうにしてたんです。けど、1か月前くらいからかな、急に元気なくなって、料理の頻度も減ってしまって。ずっとふさぎ込むようになって、先月末に入院すると、3日後にはもう」


俺は言葉が出なかった。
俺に彼女ができ、おすそわけを受け取らなくなっていたころだ。

「葬儀も身内だけで済ませました。あなたにも声をかけるべきだったでしょうか」

俺は花を差し出し、

「あの、これ、仏壇にはそぐわないかもしれませんが、ここに飾ってもいいですか」

そう言って、十和子さんの写真の横に花を供えた。
初めて花をあげたときの十和子さんの笑顔が思い出され、涙がこぼれた。


あれから5年が経ち、俺はバイトしていた花屋の親企業に就職していた。
今では個人客だけでなく、ホテルやイベント会場でのアレンジも担当させてもらっている。
花を飾るときはいつも、十和子さんの笑顔を思い出している。

先日偶然に、あの時別れた彼女に会う機会があり、ちょっと話をした。

あの日、俺がお隣におすそわけを断りに行った日、誰もいない隣のドアの前で俺が一人話す様子を見て、彼女は怖くなったのだといった。


あの時すでに十和子さんは病床に伏していたとしたら、俺はいったい……?

だけど、病院にいたはずの十和子さんのおすそわけを俺は確かに受け取っていたし、確かに十和子さんと話をしたんだ。


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