私について③
アート活動 ・32歳
旅をしている間、ずっとやりたかったのが、畑や発酵食品など根付かないとできない生活のこと、地域での活動をすることでした。旅をしていると、本当にやりたいことだけで人と繋がれるけれど、生活の部分がつい疎かになってしまうので。そして、その彼と畑をしたり、古い工場をリノベーションして劇場を作り、そこで作品制作をしたり、海外からアーティストを招いてワークショップを企画したりし始めました。Chill Art Moon cafeというアートカフェも作り、運営を始めてそこでアーティストのコラボライブやパフォーマンスを企画したり、地元で自分の箱を持って活動するという、ずっとやりたかったことをやってみました。
その後、訳あってそこを出なければならなくなり、水の沸く土地に家を買い、田舎暮らしを始めます。家を買ってお金を使い切っていたので、家の中で寝袋で寝るとことから、薪ストーブを設置して、畑を作って、アースシップ建築でリノベーションをして、宿泊施設を作って、リトリート施設を作って、インドで制作した、ヨガマットや自分でデザインした草木染めの服などの販売もその家で始めます。
リトリートセンター作り ・34歳
日本に帰ってきてからダンスの教えの仕事は山ほどあったので、コンクールに出演したい子供達のための特別クラスや、プロになりたい人のためのプライベートレッスンなども含め、徹底的にしっかり技術を教えられるというところが口コミで広がり、学校などでの出張授業も初め、貯金は増えていきました。そのお金を施設にどんどん投資して行くことで、できることはどんどん広がっていきました。ヨガのクラスも生徒さんが溢れるほどで、多い時は1クラスに50人くらい集まってしまうほど。とにかく稼いでは場所に投資するということを始めました。
そこも日本中から人が集まる場所となり、レイキヒーリングの講習や、ダンスワークのシェア、音楽ライブやパフォーマンスなどを始めます。
出産・子育て ・35歳
ちょうどその頃、男の子を出産。ちなみに素敵な助産院での自然分娩でした。子供が産まれたこともあってアーティストとしての活動は妊娠中から少なくなり、場作りと教えの活動に専念し始めます。日本に帰国した上に、田舎に越したこともあって、ライブなどに出演する機会もなくしばらくは子育てと家事と指導の仕事に専念していました。あんまり表現のない世界に長くいられないので、冬はインドのオーロヴィルというエコビレッジに行ってアートやスピリチュアルが当たり前にある生活にたくさん触れて春に日本に帰る、という生活スタイルができてきたのも出産後です。
解放・39歳
施設を育てていくことと、アーティストの活動に専念していこう、という理由で、順風満帆だった外での出張クラスも全て辞めることにしました。外の仕事をやめた瞬間に、コロナウイルスのあの騒動が起こりました。
完璧なタイミングだったので、飄々と山に篭りストレスフリーの山菜生活。
アーティスト活動はストップしたまま、施設の運営もできないまま、のんびり山暮らし。退屈してオンラインのクラスを始めたら大好評。仕事が楽しくなってきたところでなんと、突然に家が燃えるということが起こりました。
まだ少し雪も残る寒い日の朝。家の外から出火しての不思議な火災でした。待てど暮らせど、消防車は来ず、家は、私たちの施設は燃えてしまいました。
「役割が外された」
旅から帰ってきた時、「社会の役に立ちたい」「繋がってみたい」と思ってたくさんの仕事をして自分の才能を世の中の人に提供してきましたが、どこか満たされていない私がいました。私は「スタジオで教える」とかこんな普通の仕事だけじゃ生かされ切らないんだ。もっと深いところを教えたいし、もっと深いところを伝えたいし、そこで人と繋がりたいんだ。アートの部分を人と共有したいんだ。子育てをしながら、公演をするとなっても、どうしても自分の負担が大きくなり過ぎてしまって年に一回が限界。家族に迷惑をかけるわけにはいかないし、私が我慢するしかない。火災は、そんなふうにちょっとずつ我慢して仕事に専念してきた暮らしから、もう役割を生きなくていいんだよ、と優しく肩の荷を降ろしてくれた感じでした。
「ダンスを踊ることであなたは一番世界に貢献できる」インドでも、日本でもオーストラリアでも会う霊能者みたいな人には必ず言われるけれど、田舎でなかなかその機会を作ることが難しい暮らしの中で、私に訪れた大きな解放の出来事でした。
新しい繋がり ・42歳
家が燃えた後、成り行きで連れてこられたのは沖縄。全然、住みたいと思ったこともないし、来てからも住みたいとは正直思えなかったけれど。沖縄を出ようとすると出られなくなるような流れがあって、運ばれてきた北の山原の森。ここにきて出会うのはシャーマンやご神事をされている方ばかり。ふわふわスピリチュアルヒーリングみたいなことをやっている方ではなく、本気で地に足つけて、革命の狼煙を静かにあげている方ばかり。海外からもメールが来たりするようになったのだけれど、どの人も見るからに覚醒している新しい世界を生きている人。あたらしい世界の価値観のを広げていく活動をしているアーティストやアートを通して神事をしている方ばかり。
今まで聞くこともなかったよう不思議だけれど紛れもない本当の話がたくさん入ってくるようになりました。
新潟にいるときは「イベントで踊りたい」と言っても見てももらえず、断られてばかりでしたが、沖縄に来てからは、本当に少しずつですが、声をかけてくれる方が現れ始め、踊りを通して皆さんと繋がる機会をいただき始めています。これは私にとって何よりの喜びです。
同時に、自分が踊るだけでなく、踊りが連れて行ってくれる深い世界をダンサーでない人にも体験してもらうために、今までのダンスクラスとは全く違う次元でのワークショップを開催し始め、それを南米のメディスンと合わせて、ダンスメディスンとして提供することも始めています。
こう見ると、私が世界で体験してきたけれど、新潟でいかしきれていなかったことを提供するために必要な出会いに沖縄に連れてこられたようです。厳しいようで優しい世界に絶対的に守られて、私はゆるくてはいけない世界に連れて行ってもらっている気がしています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
私の活動についてはHPから。
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