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27歳で乳がん。告知から数日間で私に起こったこと。

2023年1月、27歳で乳がんと診断されました。
告知までの経緯と、告知から数日間で私に起こったこと、そして気持ちの変化を記しておこうと思います。

がん告知までの経緯

職場の健康診断の乳腺エコーの結果が「低エコー域疑い。要精密検査」となったため、近くの乳腺科を訪問しました。

病院では、まずマンモ・乳腺エコーを実施。やはり乳腺エコーにがん細胞の可能性があるものが映っているということでしたので、麻酔をかけて、該当の組織を太い注射のようなものでバチバチっと採取する、生検をしました。

少し不安に思いましたが、先生は、「若いので良性だと思いますよ。あまり心配せず、2週間後に来てください」とおっしゃっていたので、「まあたぶん大丈夫だろう」と気楽に考えていました。

がん告知

2週間後、検査結果を聞きに病院に向かっている最中、病院から電話がかかってきました。

「検査結果が出たので、病院に来てください」

軽い気持ちで病院に向かっていた私でしたが、検査結果が悪い場合は電話がかかってくる、という情報をネットで見ていたので、悪い結果なのかもしれないという、焦りのような、恐怖のような感情を抱きました。

病院に到着するとすぐに、診察室に案内されました。

医師から告げられた言葉は、
「検査の結果が出ました。残念ながら、乳がんです。」というものでした。

私にとっては、人生で最もショッキングな言葉であるはずでしたが、取り乱すことなく聞いていたと思います。
受け入れたくないことは、一度脳が理解を拒否するのかもしれません。

その後、乳がんのタイプや今後の流れの説明があり、淡々と話を聞き進めました。

エコーで見る限り、腫瘍は約7mm、約3mmの2つ。
浸潤しており、乳管内の広がりも見える。

乳がんのタイプとしては、ホルモン受容体陽性(80%~90%)、HER2陰性(+1)、増殖スピードはゆっくりのおとなしいがん。

命に関わるようなものではない。

これから、病院を選んで、手術をして、5~10年ホルモン治療の流れになる可能性が高い。ホルモン治療の間は妊娠できない。

うろ覚えですが、そんなことを告げられました。

告知の直後

病院を出てしばらく、茫然と歩きました。
これは夢なんじゃないか?本当に現実か?そんな考えが頭の中をぐるぐると周っていました。

現実なんだ。そう理解した後に、まず浮かんだのは両親の顔でした。

一生懸命育ててくれたのに、恩返しができていないのに、病気になってしまって申し訳ない。どんなに悲しむだろう。

両親の顔を想像して、ただ泣きました。

大切な人への報告

パートナー

私は2年間交際している、一つ年上のパートナーと同棲しています。
最初の報告先は彼でした。

「お帰り。結果どうだった~?」

何食わぬ顔で聞く彼に、1分ほど何も言えませんでしたが、「乳がんだった。」と伝えました。

彼は最初、冗談だと思っていましたが、泣き出してしまった私をみて、本当だと理解したようでした。

医師から伝えらえた言葉をそのまま伝え、その後、別れを切り出しました。
彼は(私もですが)子供を強く望んでいるため、がんの上に、子供を望めないかもしれない私と一緒にいるのは、申し訳ないから。

つらかったのは、
「最近、どうやって指輪を渡そうかと、考えていたんだよ。。。」という彼の言葉でした。

大好きな人と結婚して、子供を育てる。
目の前にあるはずだった私の幸せが、塗りつぶされていく。

彼は別れを拒み、数日間、体に良い食事を作って、私を励ましてくれています。でも、まだ結婚もしていない彼を縛っていいはずがない。自由にしたほうがいい。

中学生のころ流行った「恋空」という小説を思い出しています。
ヒロという、末期のがんを患う男性が、交際している彼女、美嘉の幸せを願って、病気を隠して突然美嘉に別れを告げる。

きっと、私もヒロのようにふるまえば、彼は早く、自由になれたと思います。
でも私は、彼にそばにいてほしくて、病気のことを伝えたんだと思います。エゴですね。

両親

両親には、電話でがん告知を受けたことを伝えました。

泣きながら、医師に告げられたことを報告する私に、母は「大丈夫。絶対よくなるから。大丈夫だよ」強い言葉をかけてくれました。
やはり、母は強し。
父は、うろたえていたようでしたが、私の前で取り乱すわけにはいかないと強がった風で、子供とか、お金とか、どうでもいいから、生きていてほしい。そう言っていました。

想像ですが、母も父も、私に見えないところで、泣いているのではないかと思います。

そして、実家に戻ることになりました。
私のそばにいたい気持ちと、彼氏に面倒を見させるわけにはいかないという気持ちとで、両親から話があり、私も同じ考えだったので、それを受け入れました。

友人

友人に報告して知ったのは、つらい気持ちはだれかに共有すると軽くなることと、しかしながら、最後は自分で助かるしかないことです。

話すことは離すこと、とは言ったもので、つらさを共有し、自分を心配してくれること、これは本当に心が落ち着いて、こういうことも話せる友人が居て幸せで、ありがたいと思いました。

ただ、「何かできることがあったら言ってね。」思いやりとともに伝えられたはずの言葉は、なんだか冷たく感じました。

友人の立場からすると、何をすればいいのか全く分からないだろうし、友人には普段の自分の生活がある。逆の立場でも、同じ言葉を伝えたと思います。何も、悪いことじゃない。

なんだかんだ、納得して力になった言葉は、「人はみんな死ぬ。人生は質だから。輝かせていくしかないでしょう」という言葉と、登山を趣味にする友人が言っていた、「人間最後は自分で助かるしかない」という言葉です。

職場への報告

仕事は、手術が終わるまで休職しようと考えています。

理由は、私の仕事は比較的激務なので、ストレスでがん細胞が増えてしまうことと、もし転移していた場合は5年生存率も30%台なので、好きなことに時間を使おうと考えたからです。

休職の方向で話は進み、数日間は引継ぎを行いました。

現在の不安

不安として最も大きいのは、転移についてです。
乳がんは、遠隔転移していなければ、10年生存率が比較的高いですが、遠隔転移していれば、10年生存率は30%台まで落ち、完治の難しいがんです。

比較的おとなしいがんという医師の言葉はありましたが、転移しやすいリンパ節の腫れを感じていること、がんの近くの肋骨(転移しやすい)が痛むことから、遠隔転移の可能性があるのでは、という不安から逃れられません。

怖くて怖くて、一人になったり、夜寝る前は、ふさぎ込んで、泣いてしまいます。

しかし、不安に思っても、泣いても、良くなるわけではないので、日々を楽しむしかないな、と思っています。


起こったことと感情をつらつらと書いただけですが、お読みくださりありがとうございました。

病院選びのこと、妊孕性を保つためのこと、体に良い生活のこと、患者同士のコミュニティのことなど、20代後半で乳がんになったから考えたことを、また記そうと思います。




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