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EP.28 マジックおじさん

【BREAKIN DOCUMENT 挨拶】
 この度は、「BREAKIN DOCUMENT」~Learn for various bboys life~にアクセスいただきありがとうございます。こちらでは、日本中の多才なbboy(ブレイクダンサー)たちのインタビュー記事を掲載していきます。 
 私が出会った中には、サラリーマン・医者・農家・フリーランス・公務員など様々な方々がブレイキンというダンス・カルチャーを生活に取り入れています。彼らは、それぞれ美学をもちブレイキンをライフスタイルとして取り入れ、今もなお踊り続けています。
 私は、彼らが何を思い踊り続けているのか、ブレイキンが彼らの生活の中でどういった位置づけにあるのか興味があり、このプロジェクトを始めることにしました。 
 本ブログでは、ライフスタイルにブレイキンを溶け込ませ今も踊り続けているbboyたちに焦点を当て、彼らの生きざまを記録し、発信していきます。そして、購読者様の「bboyマインドの形成及びライフスタイルを充実させるための考え方の引き出しとなること」、「これからブレイキンを始めてみたい人たちのバイブルとなること」を目的とし、協力者様の貴重なインタビュー記事を掲載させていただきます。 
 この活動を通じて、関わってくださった皆様の生活が豊かになることを願っております。

※なお、活動で得られた収益は、「BREAKIN DOCUMENT」の活動・イベントに使わせていただきます。
※ 記事内で使用させていただいている写真に関しては、インタビュイー様から承認いただき、ご提供いただいた写真を使用いたしております。


1. プロフィール

・bboy名:マジックおじさん
・職種:会社員、ダンスインストラクター
・年齢:34歳
・ダンス歴:16年
・レペゼン:NUMBERZ GAME、Love Traffic Accident、1989ボンバーズ、おぶち平成、Bboy EXPO、瀬戸市

2.ブレイキンを始めたきっかけは?


 元々は中学3年生から高校1年生の初期まで地元のよさこい団体に入っていたんですけど、そこに当時高校3年生のお兄さんグループがいました。 
 その中の1人に近藤さん(Bboy道楽)という人がいて、彼が踊っているのを見て、初めてブレイキンという物の存在を知りました。なので、ブレイキンとの出会いは中学生の頃になりますね。 
 高校時代は部活を頑張っていたんですけど、3年生の時に、部活も引退したし、文化祭で友達とブレイキンをやってみようって話になって。それが本格的に始めるきっかけです。
 当時はまだ周りにダンスをやっている人も少なかったし、全然しょぼかったんですけど、友達から「かっこよかったよ!」ってチヤホヤされたんです。それで、いい気分になって、ダンスおもろいなってなりました。笑
 そこから、大学受験期間中もブレイキンを練習していましたね。志望校を決めるタイミングでどこに行こうか迷っていた時に、愛知学院大学が、どうもダンスが強いらしいという噂を聞きました。 
 その時に、「ダンスやりたいし、強いならそこに行こう」って志望校を決めました。でも、蓋を開けてみると、ダンスの中でもヒップホップが盛んなサークルでした。笑 
 当時は「ダンス」=「ブレイクダンス」という感覚だったので、全然ダンスのジャンルもわからなかったんですけど、スーパーチャンプルという番組の存在を知って、 色々なジャンルがあることを知りました。 
 どっちにしろダンスに力を入れているのならいいかと思って入学しました。でも、そのサークルは当時、練習日が結構少なくて、毎週金曜日に2時間だけとかだったんです。 
 もっと練習したかったので、色々な大学の練習に行くようになりました。毎週バイトがない日に、別の練習場所へ行ってを繰り返していると、愛知学院大学の道を挟んで、隣に名古屋外国語大学というところがあって、そこでMINIZ MADEのYUSUKE333さん(以下:YUSUKE)と出会いました。そこからがっつりブレイキンにめり込んでいきました。 
 当時名古屋といえば、MINIZ MADE最強時代でした。その時は、ダンスを始めたばかりだったので、あまり知らなかったんですけど、色々調べてみると 「めちゃやばい人やん!!」ってなったのを今でも覚えています。
 自分の中の最初のターニングポイントはこの時期ですね。YUSUKEさんとも仲良くなって、より濃い練習が出来るようになった気がします。

 スーパーチャンプルを見ていたこともあって、「ブレイクダンス」=「バトル」というのが染み付いていました。 
 なので、もうバトルに出たくて仕方がなかったですね。 大学1年の6月ぐらいに初めてバトルに出たんですけど、そのバトルはエントリーすると、くじ引きをしてチームが決まる形式で した。3on3でしたね。その時たまたま上手い先輩2人と組むことができて、2・3回勝てちゃったんですよ。
 そこからバトルが楽しくなって、さらにのめり込んでいきました。当時から名古屋では沢山バトルがありました。老舗の小さいソロバトルがあって、小舞踏会って言うんですけど、名古屋の若手bboyはそれにたくさん出ていましたね。 
 YUSUKEさんの元で練習するようになって、クルーにも加入していきました。まずは、NUMBERZ GAMEです。これは名古屋外国語大学にROUTE20というサークルがあるんですけど、そこに所属しているbboyたちを集めて結成しました。クルーというよりは、ファミリーに近い感じですね。
 そこからだんだん後輩が入ってき て、層が熱くなってきたので、チームとしてやり始めたんですけど、なかなかうまくいかず、結果的にチーム活動としては、あまり出来ていない感じですが、今では旅行行ったり飲み歩いたりする仲間ですね。
 自分が就職して何年か経った時に、 Love Traffic Accident(以下:ラブトラ)に入れてもらいました。今活動しているのは、ほぼほぼ第2世代のメンバーです。bboy Skyが唯一、初期の頃からずっと居る感じですね。
 元々初代ラブトラは、Skyを始め、僕と同世代の清栄メンバーが集まってできたチームでした。それこそ大学時代は、めちゃ活動していて、ラブ トラとバリスタという若手2大クルーが名古屋でかましてました。その中でラブトラも、みんな就職等々でだんだんと人が抜けていったみたいです。
 その後は、Skyを崇拝している若手のスキラーたちが集まって、ラブトラ2世代目として活動しています。そのタイミングで、Sky世代でまだ頑張ってる人たちを呼びたいという話があって、自分に声をかけてくれて加入しました。ちょうど20歳後半ぐらいですね。
 自分もそのころは30歳いく前にもうちょっとブレイキンをがっつりやりたいと思っていたので、いいタイミングでした。

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