「丈夫な私たち」を聴いて(長い!)
ハンバートハンバート「丈夫な私たち」を買った。
聴いた。最高だった。
ちゃんと文章として残しておきたくて感想を記すことにした。やはり、大好きなものは大好きと言った方がいい。
同人かぶれだった頃、自分の描いたものにコメントをもらえたことがすごく嬉しかった。それは間違いなく私の励みであった。
どんな言葉であろうと、好きは伝えるべきだ。
私は専門的な音楽知識も、文学知識も何も持ち合わせていない。ただハンバートハンバートが大好きなしがない大学生である。だからここに書く諸々はすべてどこでもいるような大学生の独りよがりな感想にすぎない。それでもどこにでもいる大学生の好きが届くことを祈りながら、好きが波及することを祈りながらここに残したい。
うちのお母さん
軽快なフィドルで幕を開ける。楽しさと愉快さがこれだけでわかる。ライブで聴くと楽しそうだ。
漫画の中に出てくるようなちょっとお節介で愉快なお母さんの歌。この生活観が羨ましく愛おしい。
この曲がきっと漫画だとしたら、中学生くらいの息子視点で描かれているだろう。
このお母さんはサザエさんとか、あたしンちのお母さんみたいなお母さんだ。
息子が家に帰る。
「ただいまー」
「おかえりー」
と当然のようにお母さんが連れて帰ってきた諸々が返して息子が
「また連れて帰ってきたのかよ」
という一連の流れがあると思う。
5話目くらいで多分得体の知れない宇宙人とか連れてくる。メトロン星人的なやつ。知らんけど。
と、私のくだらない妄想はさておき、この曲のお母さんみたいな人って見ない。
防犯だのなんの、通信技術の発展だのなんの。人は狡賢くなったし街も物も便利になった。その弊害か、昨今人との繋がりというものが本当にない。地域社会の繋がりが希薄化してしまっているからなのか、そういったものはもともと幻想だったのか。
いや、幻想でなく現実であってほしい。
遊穂さんがラジオで仰っていた。
「まず人を頼るところからはじめればいいんじゃない?」
つい図々しいのではないか、気にしてしまって頼れない人は多いと思う。私もそのひとりである。
人は人の上に成り立つことを忘れちゃいけないな。
たくさん人に頼って、それを還元したいものだ。
もうくよくよしない
ブルーハーツのような雰囲気を感じる疾走感あふれる1曲。前回の愛のひみつの「レンタカー」を彷彿とさせられる。
この曲中の男女の関係は長く続いたカップルなのか夫婦なのかはわからないが少し私は深読みをしたくなった。
この曲の主人公が「レンタカー」の『あなた』だとしたら?
『でもそれと同じくらい いやむしろもっともっと ひどいことをぼくもした』
不倫をしてそれがばれたのか、家族に嘘をつき続けることが耐えられなくなったのか、きっとそれが原因で別れたのではないか。
『君と別れてから2年が経つ 長いのか短いのかぼくにはわからない』
偶然か否や愛のひみつがリリースされたて2年が経つ。
そしてどちらも2曲目である。
つい深読みをしてしまう。こういうのが楽しくて好きだ。
こういう深読みをしてしまうのも同じ人たちの曲を聴き続けているからだ。そういう喜びがある。だからやめられない。
ふたつの星
真髄を見た(聴いた)。素直にそう思った。馴染み深い民謡か童謡、あるいは子守唄。
これに何か対して上手いことを言いたくても何も出てこなかった。
例えば、昔から馴染みの手放せない対して可愛くないぬいぐるみのどこが好きなのかを聞かれているような感じ。
いや、違うか。
最後のふたりのユニゾンが好きだ。
もう遊穂さんは女神とかの領域に達しているのではないかと思う。
あまりにも美しい。
くれぐれもこのあとにMC集なんて聴いたらだめだぞ。
君の味方
ハンバートハンバートは私にとってのヒーローでもある。この曲はそれをより強固なものにした。
だめだ、しんどい、逃げたい、逃げたくても逃げられないと言う気持ちを肯定した上で大丈夫と言ってくれる。
「小さな声」は『逃げたらいいんだよ』と逃げることを肯定した。
何度も逃げたくて、嫌になった時この曲を聴いて何度も泣いた。
大学の友人との関係が上手くいかなかったとき、ブラックバイトの餌食になったとき、大学の研究室で毎日のように怒号を浴びたときこの曲を聴いて何度も泣いた。
『それはまずいよって誰か言ってよ』『笑うくらいしかできないんだよ』というフレーズに共感して、泣いた。でも私は反面逃げたくても逃げられなかった。
その時点でハンバートハンバートは充分私の味方ではあった。しかしそれを上回ったのだ。
『いやになってやめたら 何ひとつ残らない 生きてるって本当に難しいことだね』
逃げたくても逃げられない、そんな私までハンバートハンバートは救ってくれた。
ハンバートハンバートはどこまでも優しくて、たくましく、味方だった。
庭Tubeシーズン3もお待ちしてます。
恋の顛末
私のようだ、と思った。
ドラマのために書き下ろした楽曲だが、曲は曲、ドラマはドラマで個々として成り立っていてるのだと思う。ありがたい。私はドラマを観ていないので。
『こんな時間はいつか終わる 始めた日からわかってたから』
わかる。20数年しか生きていない小娘が何を言うか、という話かもしれないが。
大学1年の冬、野球部の男と付き合った。付き合ったその日に、何故か別れを想像していた。
彼は将来について熱く語っていた。私はそんな、非現実な。続くかだって不確かなのにと思った。
そしてそれは程なくして冷めた。仕方ないね。
そういえば、その彼とは正式に別れましょうと言う前に違う人と付き合ってしまった。仕方ないわ。
って私、結構どうしようもない人間だな。
たぶん姉ちゃんはそんな人ではないでしょうよ。
この曲はMVも好きなのでそれについても記したい。
ハンバートの2人はあやとりをしている。そのあやとりが完成しないところがすごく好きだ。
糸が縺れても模索し、諦めずに進んでいくさまが恋愛か人生かのようだ。
朝なんて来なければいい
なぜ男女は夜に逢瀬するのか。
織姫と彦星が逢えるのも思えば七夕の“夜”だったように思う。
夜は暗いから何かを隠すのにちょうど良いのだろうか。やるべきことを終えた後だからなのか。
私も夜な夜な布団に入りながら次の朝を考えては「朝なんて来なければいい」と思う。
何かと都合が悪いから夜のままでいて欲しい。
すごく好きなタイトルだ。
閑話休題
今回のアルバムは「追い求める」が共通項とのことだが、この曲が個人的にいちばん追い求めているように感じた。
『ぼく』は必死で『きみ』が行くことに必死に抵抗し争う。『きみ』といることを追い求めている。
『ぼく』はまさしくたくましくて、しぶとく元気だ。
一方、『きみ』は争うことを抵抗していない。
『何もかも捨てて僕と一緒に逃げようとそう言って手を握ったらありがとうって笑ったね』
『きみ』は『ありがとう』と笑うだけでイエスとは言っていない。
死に際の父を思い出す。きっと回復する、奇跡は起こると周りは信じていても、もう足掻く元気などなかったのだ。
元気な『ぼく』とそうでない『きみ』の乖離はあまりにも切なく胸を締め付けられる。
黄金のふたり
『でも今思うよ 今の方がいい』
すごいと思った。そんなこと思ったことなかった。
中学生の頃は無垢な小学生を羨んだし、高校生の頃は無邪気な中学生を羨んだし、大学生の今どんな可能性もある高校生を羨んでいる。
今の方がいいと思ったことなんて一度もなかった。
これはたぶん私だけではないと思う。むしろマジョリティだ。
今の方がいいと思える人の方が少ない。だからすごいと思う。
今が幸せでなければこんなこと歌えない。
多少なりとも私はハンバートハンバートのコアファンであるという自負がある。新曲は真っ先に聴くしアルバムは絶対に火曜日に買う。ラジオ出演も必ず聴く。行けるライブには足は運ぶ。
だからというわけでもないかもしれないが、ふたりが決して順風満帆に進んでいったわけではないことは知っている。
もちろん今も何かと苦悩は抱えているだろう。それでも、『今の方がいい』と言い切れることがすごいと思う。
4曲目で『どうか気を取り直して 雨はあがってるよ』と歌っていた。
気を取り直した先にこの『今の方がいい』と言える未来があるなら、また頑張ろうと思える。
お守りのような曲である。
私のマサラ
軽快なパーカスと手拍子からはじまる愉快な曲だが、歌っていることは諦観の境地に達している。
小さなことを気にして生きていてもいずれは死ぬし気にせず生きていこうぜ、自分のことを生かすことができるのは自分しかいないからね
ということだろう。
励ますでもなく、訴えるでもなくただ淡々と愉快に説教じみずに歌うのがすごく良い。
なんていうか、まんが日本の歴史とか修学旅行で聴く超大当たりの話の上手いお坊さんのお話のようなものである。
楽しく腑に落ちるお話をしてくれる、これこそ天神。わかりやすくてとっても楽しい学習システム。
ふざけすぎた。
あまり深く考えすぎず、自分に優しくやっていくためのメゾットみたいに思える。
「君の味方」で励まし「黄金のふたり」で未来を提示し「私のマサラ」で気の持ちようを教えてくれるような気がした。
この曲だけ昔に作ったとは思えないくらい馴染んでいる。ひょっとしたらこのアルバムに入れるため神がわざと上手く録音できないように仕向けていたのだろうか。
最大級の感謝を送りたい。
岬
爽やかにはじまるこの曲は夏の終わりを想像させる。
なんとなく、ハンバートハンバートは夏の終わりのイメージがある。静かな夏の昼下がりによく似合う。
この曲もそんな印象を得た。
軽快な四つ打ちも切なさを演出するピアノも、夏の苦いあれも苦くないこれも洗いながしてくれる。
個人的な感覚。遊穂さんの歌声は温度が高く主人公に寄り添うストーリーテラー、良成さんの歌声は温度が低めでリアルな表情をみせる主人みたいだと思っている。
良成さんがリードボーカルをとることで主人公のやるせ無さ、必死さがよりリアルに伝わってくる、そんな気がした。
隙自語をする。
わたしはなぜか人の死に際に会うの怖い。死の瞬間が怖いのかもしれない。
わたしは祖母も祖父も父の死に際に立ち会わなかった。父に至っては間に合わなかったのが正解だが。
ただ、その時も間に合わずなぜかほっとした。
ただそれは伝えるべきことを伝えていたからかもしれない。
『間に合わないだなんて 嘘だ 嘘だ ありえない』と歌うこの曲とは正反対なのだが、なぜかそのことを思い出すのだ。それだけである。
ハンバートのふたりがバスに乗り岬へ行くMVも印象的だ。
ふたりの視線が交わる瞬間が一瞬たりともない。ふたりでいるのにひとりのように見える。
これは意図的なのか、偶然なのか。
これに気づいたときぞっとした。
もう交わることのない曲中のふたりを表しているのか。恐ろしい。
旅立ちの季節
プリコネで最初この曲を聴いたとき、あまりピンと来なかったのが本音だった。
可もなく不可もなく……と思っていた。
(「それでもともに歩いていく」があまりにも好きすぎたのはあるかもしれない)
だが、アルバムを通して聴いて気付いた。あれ?!これめちゃくちゃいい曲じゃん!
奮闘する『きみ』を優しく見守ってくれていた。それが骨身に染みた。
アガペー(親の愛)である。
遊穂さんの慈愛に満ちた歌で聴くと説得力があまりにもすごかった(決して声優さんたちの歌がだめと言っているわけではない)。遊穂さんは改めてストーリーテラーだと思った。
ニッチかつオタク寄りの例えだがデリシャスパーティプリキュアのナレーションみたいな。
『やれるだけやりきったらあとは食べて寝て』
悲しいことや挫けることがあってもやれるだけやって。ちゃんと食べて寝る。
よく食べ、よく眠らなければ人は死んでしまう。
生きている間は毎日心の中の花に水をやるように、自分という体にも水をやるのだ。
いちばん大事なことだったのに。忘れていた。
返事を書こう
『やってみなくちゃわからない、わからなかったらやってみよう』
これは私が大好きなアニメのキャッチコピーである。
私はこの言葉を心の中で繰り返し唱えて様々な無茶をしてみたら結構楽しかったし、その無茶が私の進路まで左右していた。
でも、そのことを忘れている人は多い気がする。
『夢なんて見るだけむだなことさ そう君は言った』
『あのときもっと強く君を引きとめてたならば今ごろ』
『君』は夢を道半ばで諦めてしまったのか、あまり充実していない日々を送っているのか。それは『きみ』のみぞ知る。
半面『ぼく』はきっとうまくいっている人なのだろう。
『ぼく』はハンバートハンバート自身かもしれないし、カバー元の茅野愛衣さんかもしれないし、はたまた全く関係のない誰かかもしれない。
いずれにせよ、この『ぼく』はあまりにも眩しく、優しい。
道半ばで諦めた『きみ』を救うことを諦めていない。
どこまでも、丈夫でたくましい。
うまくいった人だって、うまくいかなかった人だって、努力はもちろんしている。でも、うまくいった人が努力していないなんてことはない。そう私は信じたい。
やってみなくちゃわからないから、だから私はやってみる。夢を見るし、しぶとく生きるのだ。
夢の中の空
古代では夢は神のお告げと言われていたり、魂が肉体の外で体験したこと言われている。その夢は本当に夢なのか、ひょっとしたら前世の記憶かもしれない。
そういった意味で昨年リリースされた「まなざし」を思い出した。
『覚えていないだろうけど 本当のことだよ』
『君がことばを覚えたとき君はぼくを忘れるだろう』
と「まなざし」では歌っている。
「夢の中の空」では
『みんなは忘れていく ぼくだってきっと忘れてく』
と歌っている。
得意のこじつけ芸であると思われるのを承知の上で、根本的なテーマは同じ「生」なのだろうと私は思っている。
バートハンバートは彼岸の曲が多い(ような気がする)。
桃源郷かのような、空の上のような神秘的なサウンドだが、これは「死」ではなく「生」である。
でも、仮に天から生まれたとすれば還るのもまた天である。転生輪廻である。すべてこれらは地続きになっている。
このアルバムは「生」で幕を閉じる。
そうだ、まだ私たちは生きてくのだ。しぶとく生きて、みんなで幸せになろう。
『この世界より、長生きしようよ』
今日も私は、散々な日々を送っている。
努力が全然実を結ばないし、全然思い通りにもいかない。
それでも、幸せになりたい。
しぶとく突き進んだ先に待っている未来が明るいと信じて進むしかない。
この12曲はこれからの私を救ってくれる。ただ、ひたすらにうれしい。
今日もやれるだけやりきった。だからよく食べて寝て、好きなことをして心の花に水をやろう。
そしてまた、続けよう。