夏へのトンネル、さよならの出口
ジュブナイル作品とライトノベルの違いって何なんですかね、今日ちょっと調べたんですけど両者とも明確な違いは無いみたいな当たり障りのない回答しかなくてちょっと残念。コンプレックスの塊の僕は勿論青春コンプも持っていて、中学は部活一筋って言い訳も出来る程度には中身があったんですけど、高校以降はてんでダメ、何が楽しくて学校通ってたんだろうって今でも不思議に思いますね。
タイトルの「夏へのトンネル、さよならの出口」、笑っちゃいそうなくらいつまらなかったんですけどこの作品映画化もされてるんですよね、僕にしては珍しくスルーしちゃってたんですけど。そんな映画化される作品がつまらないわけ無いよなぁって思って、好みから外れてたのかなと思いつつも良く言えば王道、悪く言えば予定調和で平坦なストーリーに、深みを感じさせないキャラクターたち、でもそう感じるのって最近メンタル不調な自分の感性が少し歪んでるせいなのでは?みたいな考えに陥ってるんですよね。自身の感性にしっかり自信をもって生きてきたと自負していただけに、こんな簡単に揺らいでる自分に嫌悪感が。
創作コンプも拗らせてるので漫画家志望のヒロインの存在に無駄にダメージを受けたり、結局作品を通して嫌な現実、自身の現状を投影してしまう、小説というオアシスですら既に張りぼての楽園に過ぎなかったのかもしれません。
昨日読書家のニートが豊富な語彙、広い視野での物の見方を存分に投影したnoteの記事を読んだんですけど、でもこの人ニートなんだよなってフィルター掛けた瞬間とんでもない怪物に思えて来て、もしかした僕もこうなるのかもしれないとか恐怖しました。
本当に困っている人たちに怒られるんでしょうけど、精神病や鬱の人はそういう「肩書き」があって良いご身分だよなみたいな最低なことも頭をよぎります、病気か怪我でもして実家に帰りたいって思う心も確かにあるんですけど、健康体過ぎてその予定は一向に来る気配はないです。
苦しい時が一番生きてる実感が湧くみたいなこと聞きますけど、僕の今って虚無の割合が大きくて生きてる実感があまりないんですよね、耐えられることと耐えられないことの見極めも未だに出来ない未熟な身ですが、明日もなんとか生きていこうと思います。
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