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性自認という概念がわからなくなったので理屈を捏ねてみた話
以下の文章は、「己の身体の性と性自認の不一致に困っている」あたりの話ではなくて、「性自認という概念自体がそもそもフワッフワだったわ!! だから理屈捏ねてみたんだ」という初歩中の初歩みたいな話です。
発端はこの診断結果。知らない言葉がいっぱいでてきたので調べました。
#anoneで診断してみたhttps://t.co/ote7fXjYY4
— パンがゆごはん (@breadyaketayo) January 15, 2020
知らない言葉がいっぱい出てきて調べた。 pic.twitter.com/6m4tgZf6bP
まずは恋愛指向から。
・パンロマンティック(好きになるにあたって性別が関係しない)(言い換えれば、すべてのジェンダーの人に惹かれる性質)
・リスロマンティック(恋愛感情はあるが、それを他者から向けられることをよしとしにくい)(両思いになるとか付き合うとかそういう発想が薄い)
次いで性自認の話。
・性自認は「Xジェンダー(ざっくり言えば、男でも女でもない)」
・立ち居振る舞いは「トランスジェンダー(身体的性と性自認とが一致しない、あるいは、性自認と周囲から見られる性とが一致しない)」
リスロマンティックはかなりその通りで、自分としては「とりあえずただ好きでいたい」みたいな感覚でいます。「相互的な繋がりを求めることがとにかく得意じゃない」あたりの感じです。極論、「恋愛の面で相互的な繋がりを必要としない」くらいのやつです。
そして、パンロマンティック。「性別が関係しない」という話ですが、ここで性自認の「Xジェンダー」が改めて立ち上がってきます。
不勉強を晒しますが、「性自認という観点がよくわからないな……?!」と気が付いたのはこのタイミングでした。
性自認という概念、いまだに雲を掴むような話なんだよね……
— パンがゆごはん (@breadyaketayo) January 15, 2020
身体には性別がある(身体の性)→わかる
己が男or女orそれ以外であると自認する(こころの性)→なんとかわかる
じゃあ、(身体以外の)何を以て男であるor女であると自らや他者を定義しているのか→全然わからない
そもそも自分は「身体の構造が女性だから性自認もまあ女性なのだろう」と何の疑いもなくこれまで思ってきたクチなのですが、 ここにきて「身体が女性のそれだからといって性自認が女性とかほんとか?!」というどんでん返しが発生。
「いや、性自認って、なんだ?」といきなり途方に暮れてしまったのでした。
「男であるor女である、とみずからを認識する理由が身体構造だけってのは根拠が弱すぎないか?」という。(たぶん、根拠の有無とかそういう理屈の話でもない……ことは承知しているつもりです)
恋愛指向や性指向が女に向いているから男(男に向いているから女)という括りは無理がありすぎる気も。なんというか、性自認は、恋愛指向や性指向によって決まるものではない気がする。そうなると、何を以て自らを男であるor女であるor両方であるorどれでもないって認識しているんだろう、という話。
— パンがゆごはん (@breadyaketayo) January 15, 2020
みずからの恋愛指向すらよくわかっていない身分なので、「女性or男性を好きになるからどちらかの性なんだろう」とすることもできず(そうした括り自体がもはや暴挙すぎるんだよな……)、「そもそも人はどうやってみずからの性自認を打ち立ててきたんだ……?!」とひたすら首を捻ってしまった次第です。
今そこにいる人々に対して、「男性の(女性の)身体を持っている人なんだな」「その多くはまあシスジェンダーなんだろうなたぶん」とは思うけど、「実際に自称されない限りはその人が男性であるか女性であるかそれ以外であるかなんてわかったもんじゃねえ」ってなる。
— パンがゆごはん (@breadyaketayo) January 15, 2020
その人の身体構造が男性だからといって、その人がみずからを男と自称するとは限らない。身体構造は、その人の性自認の証拠とは限らない。みたいなことをずっと考えているわけです。
だからXジェンダーと言われたのか。まあ、たぶんそう。そうなるとFtXというやつになるのですが、それ自体もどうでもよく、「セクシュアリティと恋愛指向と性指向の組み合わせはおそらく個人個人バラバラで、そのパターンはもはや無限大なのでは?」ということにワクワクしてしまったのでした。シスジェンダー(身体の性と性自認とが一致している)の割合がおそらくは圧倒的に多数だったとしても。
男という見地から好きにならなければならないわけでもなく、女という見地から好きにならなければならないわけでもなく。男として好かれたいのかもしれないし、女として好かれたいのかもしれないし。そこに身体構造との相関はあるかもしれないし、ないかもしれない。すごくない??
「女体を持っているからといって、女であるという性自認に必ずしもなる必要はないのでは?」ということに今さら思い至った結果、「身体の性別と性自認とに相関がなくてもいいのかもよ!」と思えたのは本当に大発見でした。
自分自身に「女であるという性自認を持ちたくない」という意識があるのは否定できないのですが、だからといって男でありたいわけでもなく、そもそも「性別を決定しなければならないそのことがダルい」みたいな感じ。身体の性別に則って(というよりは不可分に一致して?)生きることにピンとこなくて。
己は女である・女ではない・男である・男ではない、のどれもが自他にまず証明できないというか、しっくりこないというか、「身体の性別は確かに♀だけど、なんというかそれ以上も以下もなくない? ハードウェアの仕様の話では?」くらいの……。
男として生きる・女として生きるといった風に、性別の在り方をいずれか選択しなければならない「わけではない」というのも大発見でした。えっ自由でいいのか。決めなければいけないものでもなかったのか。そっか〜〜。
セクシャルマイノリティとは言うものの、マイノリティというか、「あり得ない指向やジェンダーやセクシャル自体がまず存在しない」みたいなイメージある。今となっては。たまたま少数派? なのかもしれなくても、それらの存在は「とくに不思議ではない」みたいな感覚がある。
— パンがゆごはん (@breadyaketayo) January 20, 2020
(とは言ったところで、女性トイレに入ることに抵抗はなく、男性トイレに入れと言われたら全力で辞退する。そうなると性自認は女性なのか? という疑問もないわけではないけれど、これは己の習慣の話だろうしなあ……)
そっと後日談。