2021/05/23 BR_音楽を聴く会
皆さんこんにちは。BR研F年(4年目)の松山です。同じくF年の高野君と一緒に、先日5/12(水)の夜に「音楽を聴く会」を開催いたしました。
今回は「日本のオルタナ・ロキノンに影響を与えたバンド」特集と題し、90年代から現在に至る日本のロックに影響を与えたイギリス、アメリカのバンドを特集しています。当日はYouTubeのライブ映像・PVを再生しながらライブ会場の熱量やバンドの特色を直接お伝えしました。楽曲は文脈やジャンルでまとめております。
(※参考:Guitar Magazine 2021年4月号)
以上のような文脈で曲を追ってまいります。日本のロックシーンを解釈する一助となれば幸いです。
M1 Gigantic
Surfer Rosa(1988)/Pixies/US
オルタナ黎明期に活躍したバンド、楽曲は1stアルバムより。静と動を意識したシンプルな曲構成、轟音で鳴るギターにポップなメロディーが乗るというグランジのお手本のような1曲であると言えます。
Nirvanaのカート・コバーンやRadioheadのトム・ヨークはPixiesからの影響を公言しており、特にNirvanaに関してはsmells like teen spiritはPixiesの楽曲(DebaserやU-massがよく候補に挙げられる)を参考にして作られたという説まであります。
M2 Theresa’s Sound-World
Dirty (1992)/Sonic Youth/US
ノイズパンクの雄としてグランジ/オルタナの歴史に多大な影響を与えた、N Y出身のバンド Sonic Youth。変速チューニングを多用するスタイルや「エレキ・ギターを聴くということはノイズを聞くこと(サーストン・ムーア)」というスタイルは日本のオルタナティブシーンの原動力となりました。(eastern youth)最初の繊細で流麗なアルペジオから一転、ドラムスの加速とともにリードギターはついに危険な領域に到達します。Sonic Youth特有のコードネーム不明な音の重厚感がはっきり現れた一曲だと思います。インディーズ活動が長かった彼らですが、このアルバムではメジャーの色気が出ていますね。
M3 God Save The Queen
Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols(1977)/Sex Pistols/UK
ロンドンパンクの代表的バンド。3コード主体のシンプルな楽曲構成にポップなメロディー、過激で反社会的なメッセージが特徴的です。音楽性以外にも、ジーンズに古着のTシャツ、革ジャンといったパンクバンドのアーティストのファッションも流行しました。
カート・コバーンやOasisのリアム・ギャラガーが影響を公言している他、甲本ヒロトがバンドを始めるきっかけとなったというエピソードもあり、日本のパンクの重要なルーツの1つとなっています。
M4 They Always Come
Bug (1988) /Dinosaur Jr. /US
オルタナ/グランジの実家、dinosaur jrの中でも評価の高い3rd(インディーズ時代)からの一曲。アルバム全体を通してはゆるゆるの曲展開+ダラダラ轟音ギターの緩さも感じられますが、中でもこの曲には美味しいリズミカルでポップな序盤から、キメを経て、最後は甘い詩的な世界に広がっていく対比があり、ドラムの手数の多さなどのパーツにも目が行き、ロキノンにも似た構造の曲を探してしまいます。
M5 Rollercoaster
Honey’s dead(1990)/ The Jesus & Mary Chain/ Scotland,UK
ギターのフィードバックノイズと甘いメロディを融合させたシューゲイザーの始祖。日本では、スーパーカーなど、UKロックとりわけシューゲイザーの要素を持つバンドに影響を与えています。(そもそもPixiesにも影響を与えています。)タイトルのローラーコースターにもちなむように、スピードとメロディはアップダウン。「この世はろくなものじゃない!」という内向的な歌詞に対照的なポップなメロディという感覚が日本のアーティストにも影響を与えていると思います。
M6 Breed
Nevermind(1991)/Nirvana/US
あなたにとってギターとは? -死んだ木。(1992年、Nevermind発売直後のインタビューにて)
言わずと知れたグランジの代表的バンド。楽曲はメジャー1stアルバムのNevermindより。メジャーデビューアルバムが全世界で大ヒットし、90年代初頭のメジャー音楽のシーン、ファッションなどの文化を80年代末の華美で派手なものから一気に塗り替えてしまうほどの影響がありました。
M7 Mayonaise
Siamese Dream(1993) /The Smashing Pumpkins/US
流麗なアルペジオから始まり、ギターにファズが点火される。しかし一貫してドリームポップ、ヘビーメタルという両極端な音楽のシナジーが展開されるこの曲では、ナードな歌詞、冴えるギターソロにまでわたってどこか物語的世界を感じさせます。また、Vo.ビリー・コーガンはSiamese DreamからはBig Muffを手に入れ、極めて荒々しい音像を手に入れています。
同世代のNirvanaと同じく内省的な雰囲気があります。ART-SCHOOLやアジカンなどより新しい世代にも受け入れられている感じがあります。
Smashing Punpkins、Weezerなど、GtVoがメタルキッズ上がりでギターソロまで弾いてしまうバンドもありますが、高い演奏力に裏打ちされた良いバンドが多いですね。
M8 Waiting Room
13 Songs(1989)/Fugazi/US
ワシントンD.C.のハードコア界隈の中心的存在、Fugaziの代表曲。タイトで緊張感のある演奏がとてもかっこいいですね。
主要メンバーのイアン・マッケイは元minor threat のメンバー。Dischord Recordsという地元のハードコアバンドのCDをリリースするレーベルを立ち上げ、D.C.のハードコア界隈の発展に大きく貢献しています。
bloodthirsty butchersやeastern youthをはじめとした札幌出身のハードコアバンドはD.C.のハードコア界隈から大きな影響を受けていると言われています。それらのバンドの音楽性はnumber girl に引き継がれ、今に至るまでの日本のオルタナ界に広く影響を与えています。
M9 Don’t Call Me White
Punk in Drublic(1994)/NOFX/US
メロコア(メロディックハードコア)の先駆け的存在。手数の多いドラム、メロディアスなギターが特徴的な楽曲を超高速で演奏するというスタイルはハイスタンダードなどに影響を与えています。
そのハイスタンダードはVans warped tourで試みられていた「パンクとストリート文化の融合」という発想を日本に持ち込み、Air Jamというロックフェスを開催、日本のメロコアの基礎を築いています。
M10 The Concept
Bandwagonesque(1991)/Teenage Fanclub/UK
そろそろ轟音にも疲れてきたところでポップス寄りの一曲。ティーンエイジファンクラブは英国のバンドだが、米国でPavement、Mogwaiらと同じレーベル(マタドール・レコード)からデビュー。UKの香りを漂わせながらも、パワーポップな泣きメロ、ノイズロックの轟音を残した本作Bandwagonesqueの中でもファンの多い一曲。主要メンバーの3人がメロディーメーカーということもありエバーグリーンです。
90年代の日本のバンドには少なからず影響があります。スーパーカー(1st)やアジカン、UKという文脈でのthe pillowsなどソングライティングへの影響は大きいです。(ちなみに、the pillowsからはBUMP OF CHICKENが影響を受け、彼らのスタッフであるUK ProjectからはART-SCHOOL、syrup 16g...など有力アーティストが多数輩出されています。)
M11 El Scorcho
Pinkerton(1996)/Weezer/US
Weezer好き。中盤に突然パンク調になったかと思えば最終的にはもとに戻ってしまう展開が面白いと思います。Weezerの影響が見られるバンドとしては、スーパーカー(1st)やアジカン、エルレガーデンなどがいます。
M12 Say It Ain’t So
Weezer(Blue Album)(1994)/Weezer/US
Weezer好き。つい先日van weezer というハードロックキッズの血も濃く出たアルバムが出ましたが皆さんはどう思われますか?( リヴァース・クオモの愛用ギターもヴァン・ヘイレン柄らしい)
まとめ
親たちが追いかけた白人たちがロックスターを追いかけた/か弱い僕もきっとそのあとに続いたんだ (1984/ファンファーレと熱狂(2010)/andymori)
このように、イギリスで生まれたパンクという火種がアメリカに根付き、徐々に熱量を増し、才覚ある若者がハードコア、グランジ、オルタナへと発展させ、それと呼応するように日本のロックシーンが醸成されていった、という歴史がありました。
今回は80-00年の付近を対象としましたが、その前、その後にも連続性を持ったシーンが存在しています。また、それらを取り上げる機会があれば幸いです。
※影響元、また曲の解釈については、個人的な解釈を多分に含んでおりますが、ご容赦ください。
謝辞
当日来てくださったBR研の皆様、曲選定と説明のドキュメンテーションをしてくださった高野君、企画を立案してくださった中川君、本当にありがとうございました。