ハーマンズ・ハーミッツを語ろうよ 第6回【1965年5月4日のHullabaloo】
ハーマンズ・ハーミッツが『ミセス・ブラウンのお嬢さん』によって1965年5月1日付のビルボード・チャートで遂に全米1位を獲得したのは前回にお話ししたとおり。
なので、次の記事では彼らの次作シングルの『ワンダフル・ワールド(Wonderful World)』を取り上げるべきなんだけど、その前に是非、天下をとった直後のハーマンズ・ハーミッツが出演したテレビ番組を語りたい。
NBC系列で1965年5月4日に全米放送された人気音楽番組『Hullabaloo』がそれである。
60年代中期のブリティッシュビートやアメリカンポップスを現在振り返るときの格好の媒体として、当時のアメリカの音楽番組の映像がある。
代表的なものがまずABCの『Shindig!』で、これは1964年の9月から放送された。当時のブリティッシュ・インヴェイジョンの隆盛を受けたABCが、イギリスのITVで『Oh Boy!』という音楽番組を成功させた若手プロデューサー、ジャック・グッドを招聘して作らせたもので、巨大なひな壇ステージに次々と人気歌手やバンドを登場させてメドレーでヒット曲を歌わせ、歌手のバックに専属のダンスチーム、ハウス・バンドやコーラス隊を配置するところに特色があった。バッキングに若き日のビリー・プレストン(マッシュルームカットだ)や、レオン・ラッセルがいたりして驚かされたりもする。
ただ、『Shindig!』は基本、1958年の『Oh Boy!』の番組構成を踏襲していて、構成的にやや垢抜けない雰囲気がある。また、あまりにも30分のショーの中に歌手を次々と登場させるので落ち着きがない。仕方ないんだけどね。ビートルズのような超A級から、チャートヒットを出してないようなC級のグループまでこまめに映像に残してくれてただけで有り難いんだけどさ。
一方、『Shindig!』の成功を受けて1965年1月からスタートしたのがNBCの『Hullabaloo』だ。この番組は『Shindig!』の番組構成をより洗練させたところにポイントがあり、エレクトリック・グループの時代に対応した作りとなっていた。特に、演奏するロックバンドのバックでゴーゴーダンサーの女の子を踊らせる、という60年代の各国を席巻したフォーマットをモノにしたのはこの『Hullabaloo』と西海岸の『Hollywood A Go Go』が最初といってもいいだろう。
そんな『Hullabaloo』の進行を大まかに言えば、①番組テーマに合わせて出演者を紹介→②その週のホストとなるゲスト司会者の登場→③出演者の歌唱→④ダイナーを模したセットでの最新ヒット曲のメドレーでの歌唱→⑤出演バンドによるゴーゴーガールをバックにした演奏でエンディング・・・・・・というものであり、これを30分で一気に見せてしまう。今観ても楽しいですよ。
さて・・・・・・。今回1965年5月4日の『Hullabaloo』をなぜ取り上げるかというと、我らがハーマンズ・ハーミッツが出演しているからだけではない。60分のスペシャル番組として放送されたこの回は、豪華な出演者の顔ぶれによって1965年のアメリカでの人気のトレンドが全て揃っているといっても過言ではないのだ。その証拠にオープニングからこの放送の出演者紹介を観ると・・・・・・
・・・・・・というわけで、今となればこの1965年5月5日の『Hullabaloo』の出演者が、当時のアメリカでのポピュラー音楽のトレンドをほぼ全て網羅していることが分かる。
つまり、チャック・ベリー(ロックンロール)、ヴィッキー・カー(スタンダードポップス)、フォー・シーズンズ(ドゥーワップがルーツのポップ・コーラス)、フレディ&ドリーマーズとハーマンズ・ハーミッツ(ブリティッシュ・ビート)、マーサ&ヴァンデラス(モータウン)、トラヴェラーズ・スリー(フォーク)、トリニ・ロペス(ラテン)。・・・・・・偶然とはいえ、凄い巡り合わせだ。
ハッキリ言って、映像で60年代のポップスを振り返るなら、この1時間のショーを観たらいいとでも言いたくなるほどの充実のラインナップである。興味がある方は是非DVDを探すか、もしくはYouTubeを検索してみて欲しい。
この番組でのハーマンズ・ハーミッツは大ヒットを3曲披露する。『ハートがドキドキ』、『シルエット』、そして『ミセス・ブラウンのお嬢さん』だ。このうち『シルエット』だけが口パクだが、『ハートがドキドキ』と、『ミセス・ブラウンのお嬢さん』の2曲は演奏だけ事前録音でボーカルはライブという、疑似ライブパフォーマンスを行っている。
人気が沸騰してきたハーマンズ・ハーミッツの魅力がふんだんに確認できる充実のシーンの数々だ。
しかし、ハーマンズ・ハーミッツが何故、ここまでアメリカで人気だったかはこの3曲とは別の部分から気づかされる。それは、この番組でのメドレーコーナーだ。
『メリー・ポピンズ』も『マイ・フェア・レディ』もイギリスが舞台の作品である。
実は1964年から1965年にかけて映画界でも『ブリティッシュ・インヴェイジョン』が起こっていた。オードリー・ヘップバーン主演の『マイ・フェア・レディ』は1964年のアカデミー賞で作品賞を受賞、『メリー・ポピンズ』に主演したジュリー・アンドリュースは同年のアカデミー賞の主演女優賞を射止めた。いずれも1900年代初頭のイギリスを舞台にした作品で、この映画史に残る傑作ミュージカル2作品によるレトロ・ムーヴメントが当時の映画界の一角を席巻していた。
ハーマンズ・ハーミッツが『ミセス・ブラウンのお嬢さん』で1位を獲得したのは、まさにそういう時期だった。アメリカとは違う純英国のユーモア溢れるナンバーが大ヒットする土壌は、2作の映画が暖めてくれていた「アメリカ人の異国情緒への渇望」という突然発生の需要のおかげでもあった。まだ海外旅行が一般的ではない時代、ハーマンズ・ハーミッツはそういった隙間をつくことに見事、成功したのだ。
当時、イギリスのBBCラジオでインタビューに答えているピーター・ヌーンは「『ミセス・ブラウンのお嬢さん』はイギリス訛りで唄うことに努めた」と語る。そして、「他のバンドがやらないジャンルをやる」ピーター達の成功はまだ、続いていくのだ。
【今日のオマケ】