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私の履歴書

こんにちは。
私は今でこそ介護士として働いています
が、その前は大学を卒業してから29年間、
とある商社に勤めていました。
今日はそこでどんな仕事をしていたのか、
そしてなぜ商社を去らなければならなく
なったのか、この辺りの話をしていき
たく思います。

大学時代

その前に私という人間を知ってもらうため
に学生時代の話から始めます。大学は大阪
の関西外国語大学出身です。中学の時に
初めて聴いたビートルズの曲に衝撃を受け
英語が好きになり、本格的に学びたい!
と思ったのが入学のきっかけです。
ただし入試の時、4年制大学の方は不合格、
正確にいうと関西外国語短期大学で2年学
び、その後編入試験に合格、その2年後に
卒業という経緯になります。

短大時代の2年間は1クラス50人の中に
男子学生は5人ほど、履修する科目によっ
ては授業中男子学生は私ひとりなんて時も
ありました。そのような環境で鍛えられた
せいかどうかは分かりませんが、女性と話
すのに抵抗を感じたことはほとんどありま
せん(笑)

クラブは大学生活4年間ずっとアメリカ
研究部というところに所属していました。
アメリカの歴史の研究や黒人問題について
調べたりの活動をし、当時は毎年6月に
系統祭といわれる文科系クラブ全体での
発言の場があり、そこで日頃の活動の成
果を発表したりしていました。また留学生
との交流の場も頻繁にあり、飲み会やパー
ティーにもよく参加していました。短大2
年の時に講師の勧めもあって外大英語スピ
ーチコンテストにも出場、良い経験になり
ました。

3年生の時にクラブとは別にボランティア
サークル WITH というサークルに参加、
主に身体に障がいを持つ人の生活援助や
移動援助、イベントのお手伝いをしてきま
した。当時の活動メンバーとは未だに交流
があり、サークルの名称は変わったものの
現在も存続しています。私の今の介護の
ベースもここから始まったと言えます。

中学、高校時代の私はどちらかというと
おとなしくて目立たない存在でしたが、
大学に入って一転、誰とでもそつなく話せ
るようになりました。そのせいか、クラブ
やサークルの後輩からもよく話しかけられ
たり、悩みごとや相談ごとを打ち明けられ
たりしました。今から思えば若くて、一番
怖いもの知らずだった時代だと思います。
4年生になった頃、「英語を活かせる仕事
に就きたい!」「誰かの役に立ちたい!」
と本気で思うようになりました。

商社時代

大学卒業後は雑貨や食品全般を扱う大阪市
内の中堅商社に入社しました。こちらの
会社に私は29年間お世話になりました。
最初の5年は輸出課に配属、主にフランス、
ドイツ、イギリス、アメリカの商社のバイ
ヤーに商品を紹介、販売する仕事に就きま
した。毎年2月に開催されていたヨーロッ
パ最大の見本市Frankfurt Messeにも4回、
出張の機会を頂きました。

その後約5年、配置転換で新たなヨーロッ
パ有名ブランド洋食器販売部門を任され、
そこでの並行輸入業務の責任者、および
販売店の店長兼務を任されました。

その後約10年、仕入れ部門の責任者を
命じられ、代理店契約をしているブランド
商品の輸入業務に従事していました。

その後約9年、主に食品や健康食品の輸入
業務に従事、同時に食品の商品開発や製造
計画にも従事してきました。毎年3月、
東京ビッグサイトで開催されるFOODEX
JAPANにも何度か参加させてもらいました。

今までの人生で一番影響を受けたこと、経験

私の場合、やはり29年間勤めた商社時代
です。当時の社長(現在会長)から仕事の
1から10まで全て叩き込まれました。
仕事柄、社長にお伺いや相談、決裁を求め
にいくことも大変多く、叱られたことも
人一倍多かったと思います。叱られた回数
は父や母の比ではなかったと記憶していま
す。ただし厳しい中にも愛情を持って仕事
に対する姿勢や考え方、人としての在り方
等、多方面に渡って指導してもらいました。
褒める時には満面の笑顔で褒めてくれたり、
肩をポンと叩いてリラックスさせてくれる
時もありました。あとすごく感動、感激屋
でもあり、社長の【感動を創る】という
言葉は今でも私の心の中心にあります。

そして決して忘れてはいけないこと

そして私自身が生涯一番忘れてはならない
のがこの商社を退職するまでの1年間です。
ここに至るまで仕事に関して色々な業務に
おいて責任を持ってやってきたつもりでし
た。ただ当時の私は「何でも自分で解決し
ないと」のような完璧主義みたいなところ
があり、たとえ仕事上困っても自分だけで
抱え込んでしまい、人に相談できないタイ
プの人間でした。商品の在庫管理も任され
ており、退職する8年ほど前からある商品
の在庫も見るようになりました。その商品
はある別の商品に組み込む、言わばパーツ
的な意味合いの商品でしたが、1個、2個
と簡単に数えられるものではなく、バルク
扱いのイメージのものでした。

毎年社内で行われる年度末決算で初めの頃
は何の問題もありませんでしたが、その
商品の性質上、経年劣化やほころび等も発
生し、本来であれば在庫計上から落とすべ
き処理をしなければいけないものを、当時
の私は分かっておきながら誰にも相談でき
ず、その在庫を8年もの間正常にあるもの
として決算の数字に計上、つまり気がつい
た時には、

在庫の虚偽報告、粉飾決算

に手を染めてしまっていたのでした。

8年目に在庫が600万円近く合わないこ
とが発覚、それを知った時の社長は私を叱
責することはありませんでしたが、あの悲
しそうな目は今でも決して忘れることは
できません。8年間在庫が合わないのを
見抜けなかったのは経理、財務部署にも責
任ありとか、クビになって当然とか色々な
声がありましたが、結局責任をとる形で
退職しました。退職金は満額でした。
社長の多大な恩恵があったようです。

このことが無ければおそらく60歳の定年
までこの商社で働いていたと思います。
今やっている介護職にも就いていなかった
でしょうね。

2014年10月

上の数字、何だと思いますか?実は私が
29年勤めた商社を退職した年なんです。
今年の今月が退職してちょうど10年目
にあたります。今回の内容をnoteに書
いて公開するかどうか、正直なところ
かなり迷いました。私の生涯においても
最も大きな忘れてはならない汚点である
と同時に、たとえ名前は伏せているとは
言え、働いていた当時の商社の在庫管理
の在り方にも触れる内容だったからです。

でも当時の私みたいに一人で抱え込んで
悩んでる人があまりにも多い。私のよう
な失敗をしてほしくない。

悩んだり困った時は勇気を出して声を
上げ、信頼できる人に相談してほしい。

そんな想いが私に今回のnoteを公開する
決心をさせてくれました。商社を退職
してちょうど10年。もう時効ですよね。

仕事や人間関係になやんでるあなたへ

一人で抱え込んでると感じる時もある
かも知れないけど忘れないで。
あなたは決して一人じゃないよ。少し
勇気を出して誰かに話してみて。
共感してくれる人やサポートしてくれる
人は必ずいるはず。自分を大切に、無理
しないでね。大切なことなのでもう一度
言います。

あなたは決してひとりじゃないよ

最後までお読みくださり、ありがとうございます。
毎日のお仕事お疲れ様です。
お一人でも共感くださる方がいらっしゃれば
とてもうれしく、励みになります。

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X…@masabonfile
インスタグラム…masaya_hasshi

質問やご相談、いつでもお待ちしています。

これからもよろしくお願いします。








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