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【コラム】コンピュータを誤解していた話

去年くらいから生成AI祭りが続いている。私もChatGPTを初めて使ったときは心底驚いた。このレベルのものができるなんて、完全に未来になったのではないかと。大昔に観た映画「エイリアン」に登用するノストロモ号のマザーが現実になったイメージ。キーボードで入力した自然言語を介して会話できているではないか。

大変面白かったが、1週間くらいで飽きてしまった。使っていくと粗が見えてくるし、シンギュラリティにはもともと冷淡な見方をしている。AIブームにあまり乗り気でないのは過去の経験によるところが大きいのかもしれない。


スーパーコンピュータの存在を知る

私が高校生や大学生だった頃、コンピュータは専門家かオタクが使うもので市井の人が広く使うようなものではなかった。自分も全く興味がなかった。

あるときテレビでスーパーコンピュータなるものを使うと人間には解けない複雑な流体の計算が出来るという特集をやっていた。計算結果をコンピュータグラフィックスを使ったアニメーションで表示していた。今では珍しくないシミュレーションとその結果の可視化だが、当時はこんなことが出来るのかと感心した。

紹介されていたスーパーコンピュータはCray社製のもので、こんなデザインだった。

Cray X-MP, Wikipedia

バビル2世に出てくるコンピュータみたいではないか! この外見から勝手に、スーパーコンピュータには人間を超えた知性のようなものがある、とイメージした。SFの世界を垣間見た気がした。


スーパーコンピュータを使ってみる

時は流れ、大学でスーパーコンピュータを使って微分方程式を解く必要が生じた。知性が宿るコンピュータが人間を超えた能力でバリバリ解いてくれると期待した。全部とは言わないが人間が紙と鉛筆で行っている作業を代替してくれるのだと思った。波紋を例にすると
 波紋を思い描く その1
 波紋を思い描く その2
 波紋を思い描く その3
 波紋を思い描く その4
の大部分を代替してくれるのだと。

完全に誤解していた。人間が紙と鉛筆で行っている部分は代替してくれない。全く別の方法でコンピュータが扱える手続きにする必要があった。その方法は有限要素法と呼ばれ、手続きはプログラムと呼ばれた。

コンピュータは現実世界にある連続したものを扱えないので、飛び飛びの位置の値で代替させる必要があった。これを離散化と呼んだ。コンピュータが扱える手続きは行列の計算に過ぎなかった。つまり行列の計算をするプログラムを人間が書いてスーパーコンピュータに実行させただけだったのだ。

行列の計算とは簡単に言えば連立一次方程式を作って計算することだ。中学校で習うxとかyを消すアレである。単なる四則演算で微分ですらない。

スーパーコンピュータなんて大層な名前がついているが、やっていることは単なる四則演算で知性の欠片も感じられない。xやyが数万~数百万ある規模の大きい計算を高速に出来るだけ。

この件でコンピュータにがっかりしたのと同時に、コンピュータで計算できる形にさえすれば強力な計算能力を活かして人間が解けない問題を解くことができる利点も実感した。紙と鉛筆で解けるのは限定がたくさん付く単純な場合だけだから。


多少は期待している

流行りのAIも中身は行列の計算だ。行列の規模を大きくしたり組み立てを工夫したら人間の思考を模倣できるのだろうか。発展させれば意識のようなものを獲得するのだろうか。たぶん無理だろう。

AIが主体的に動いて人間を代替するには幾重もの飛躍が必要で、現状とその延長では人間が使う便利な道具の範疇は越えないと思う。が、それなりに価値はある。

人間の代わりに課題を見つけ、解決策を提案し、実行するAIを生きているうちにみてみたい。ちょっと期待している。例えばロボットと組み合わせた介護用のAI。私の介護に間に合うといいな。

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