見出し画像

【コラム】習い事・勉強が続かない

生涯学習のオンライン講座を受講しているが継続が難しい。動画での受講なので好きな時に見ればよいのだが、頻度がどんどん減っていく。

生涯学習はある程度は普及してきたが、挫折する人はどれくらいいるのであろうか。この手のものを継続するのは「モチベーション」「興味」を持続させる必要がある。はっきりした目的がある、例えば仕事のために資格を得たい等の原動力をモチベーションとするならば、ここでは除外しよう。何かに関心を抱いて学習を始めるケースを考える。

外国語が面白そうとか、模型を作ってみたいとか、古典を読みたいとか、学びなおしとか、こういう実生活や仕事と直接結びつかないことは興味の持続が重要だ。これが難しい。今の私がまさにこれだ。

delo, pixabay.com

自分なりの理解だが、対象が難しすぎてやりたいことができるまでのギャップが大きいからではないか。山に登り始めて疲れてきたけど、未だ頂上が見ない、見えていても遥か遠くで嫌になってしまう感覚。

当たり前過ぎる理由だが、見落としている点があると思う。それは「世の中の大抵のことは難しい」ということだ。やっている人を見ると簡単そうに感じるが、実はそこに至るまでには大量の労力を投下しているはずだ。

多くの人は母語の読み書きができる。しかし基本的な読み書きができるまでには小学校に毎日通い、新聞が読めるようになるまでには更に中学校に三年も通う。なんと九年間も毎日学習しているのである。英語にしても日本では中高の六年間に毎日授業があって、それでも英字新聞を読めたり英会話ができる人は少数派だ。

文化部的なものでも体育会的なものでも、それを習得するまでに費やす労力を考えたら簡単なことなどないだろう。さように難しいことを数回から十数回程度のレッスンで獲得しようとすることに無理があるのではないか。

既に出来るようになっている人は自分の投下した労力をすっかり忘れて「誰でも簡単にできるよ」などと言うが、これは信用してはいけない。0から始める人にとって簡単なことなど殆どない。当たり前に使っているスマホだって最初は戸惑い、慣れるまでに数日はかかったはずだ。私は使い始めにはガラケーと比較してなんて使い難いんだとイライラした記憶がある。電話のくせに、電話としての使い難さに憤慨した。

習い事が難しくて興味が続かないのは、習得を目的としているのことに起因しているのではないか。教える方としては出来るようになってもらいたいし、情報は正しく伝えたい。至極当たり前の姿勢だが、ちょっと待って欲しい。少々やったくらいで習得できるようなものなのか? 少々やって出来るようになる範囲で受講者は楽しめるのか?

生涯学習は習得ではなく、まず体験する、興味を持つことを目的として講座を設計して、結果としてより強い興味をもった人が習得という次のステージを目指せばよいのではないか。小中学生に教えることから派生してできたようなものは無理がありすぎる。子供や学生は学びのプロであり、一見さんでもない。

料理を例にすると、包丁を研いだり、じゃがいもの皮を剥いたり、下ごしらえして一晩寝かしたり、といった面倒なことをせず、調理の一部と盛り付け等をして創作の工程に参加・体験し、ほぼほぼ上級者が作った立派な料理を食べて満足するというエンタメ体験だ。参加しても出来るようにはならないが、興味を持つ人が出てくるのであれば良しとする。

初学者にはお膳立てと体験とイメージに近いものを得られる満足感が必要だ。出来るようになるのはずっと後で構わないと思う。

いいなと思ったら応援しよう!