酒と自分

 酒をあまり飲まなくなった。
 とはいえ、ここ数年は、ウイスキーのボトル三分の一位を毎日飲んできている。その前、体が元気な頃は、ボトルを一日一本の感じだろうか。肝臓が丈夫だったのかもしれない。

 最近は週に1回、飲まない日を作り出そうとしている。もう毎日飲む酒というものも卒業の潮時か。なにせ酔いが回るのが早くなった。少量の酒で酔ってくるのが自分で分かる。

 いろんな酒を飲み合わせるのは、酔ってしまうので良くないと聞いたことがあるけれど、そんなことは無い。
 量を多く飲めば酔うし、酒の種類など関係ない。ビール、ウイスキー、焼酎、ワイン、ウォッカ、カクテルなど、何でも飲んできたけれど、飲み合わせで酔いが加速するなど無かった。
 もっとも、これは自分だけの話かもしれない。

 体が酒を欲しなくなってから、十年くらい経つだろうか。仕事現役時代は、体が酒を欲する時があったし、日本酒が安い店に行き、小上がりに座ろうなら六合は飲んでいたみたいだ。それが限界だったし、なにせ記憶がおぼつかなくなっていた。
 職場の先輩には、俺は酒に助けられたと言っていた人もいた。悩みや嘆き苦しみを酒が救ってくれたのだろう。

 外では何でも飲んでいたけれど、家ではウイスキーを好んだ。
 一人で黙々と飲む、暗い飲み方だ。
 酒を飲みながら考え抜くとか、考えを振り切るとか、感性を研ぎ澄ますとか。
 まぁ、実際にそうはならなくても、そんな感じでそこはかとなく飲んでいたものだ。

 ウイスキーは、さらっとしていて、べたつきが残らない。他も酒も口当たりは同じだろうけれど、ウイスキーに飲みやすさを感じている。それと、水割りは今の自分に合う濃さを調整できる。水割りの水の量で濃度を調整して、今の胃に染み渡る水割りが作れる。
 これを覚えると、休みの日などは、昼間からウイスキーを飲み始めることとなる。身につけないほうがよい技かもしれない。

 酒が気持ちの逃げ場所になり、酒に溺れるという気持ちもわかる気がする。酔うと気持ちが楽になったり、気が大きくなったり、酒がやめられなくなったり、依存症になるのもわかる気がする。自分も依存症だったのかもしれない。

 自然と体が酒を求めなくなってきている。
 それに合わせてほどほどに飲む。
 これを実践するのは難しい。
 一回だけ、一瞬だけならできるだろうけど、一生となると、ものすごく高いハードルだ。最初から、挫折の崖っぷちに立っているようなものだ。自分の意思が弱いことは、認めなくちゃいかん。
 何事もほどほどになんて、やれてこなかった自分を知っている。けれど、自制することも一生の学びなのだと、自分に言い聞かせている。

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