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モンゴルと家系ラーメン

不甲斐ない形ではあったが、2023-24シーズンが無事終了した。

約半年戦い続けた体には、疲労と痛みが蓄積している。
僕はそれをリセットするために2週間程度の休息が必要だと思う。
(それを考慮しない日本代表はそのタフさ故に日本代表なんだと思います)
ただ2週間何もしないのも勿体無いので、思い切ってモンゴルひとり旅にいくことにした。

幼い時、父型の祖先に北の海を渡って来た人がいると聞いた。
この話をすると確かにモンゴルっぽいと言われることが多く、異国の血が混ざってるかもしれない事実に幼いながらワクワクした。
今回の旅は自分の遺伝子のルーツを肌で確かめるのが目的だ。


成田空港から直行便で約5時間、降り立つはチンギス・ハーン国際空港。
日本よりもずっと涼しく、それでいて寒くない気候に肌が喜ぶ。
草原のど真ん中にぽつんと建てられたこの空港は、2021年開港の新しい空港で、最低限の綺麗な設備が整っているこじんまりとした空港だ。
本日宿泊するホステルのおじちゃんが空港のロビーまで迎えに来てくれていた。がっしりとした体格だが温和そうなおじちゃんと二人でウランバートルまでドライブ。
空港を出発してすぐ、辺りは緑一色の草原に囲まれる。
ウランバートルまで続く高速道路と、所々に点在する遊牧民のゲルと家畜達。それ以外には草原しかなく、さながらWindowsXPの壁紙だ。

飛行機の車窓から


30分程車を走らせ、草原の真ん中に人口建築物の集合体が見えてくる。
モンゴルの首都ウランバートルは、インフラがまだ十分に整っておらず、どこも常に渋滞している。1車線に2台も3台も車が割り込みあい、譲り合いの精神は皆無で、逆走してまで追い越そうとする車も少なくない。
そんな車と焦燥でごった返した道路を、おじちゃんは煽り、割り込み、攻めに攻めた運転スキルでグングンと突き進んでいく。日本だとヒヤッとする瞬間が5分に1回訪れる。勘弁してほしい。

馬の方が快適に移動できそう

冷や汗びっしょりでホステルに到着した頃には空港を出発してから2時間半経過していた。モンゴルの日没は22時ごろなので、まだ周りは明るかったが、観光欲よりも疲労感が勝り、次の日に備えて早めに就寝した。



今回僕は2泊3日のツアーを申し込んでいて、
翌日の朝、ホステルまでガイドさんが迎えに来てくれた。
小柄なハリウッドザコシショウ似のガイドさんは日本語堪能で、「バイサ」と名乗り、ツアー客は僕ひとりだと教えてくれた。
他のツアー客がいないことにラッキーと思った反面、初対面の人と3日間一緒か…なんて考えていると、さっそく行きましょうと車に乗せられウランバートルを出発。

バイサさんはモンゴルの日本語学校を卒業した後、日本の群馬に2年間出稼ぎに行っていたので日本語が話せるそうだ。
今では2人の息子を持つ4人家族のお父さんらしい。
目的地までの道中、バイサさんはいろんな話をしてくれた。
子供のことや、私生活のこと、環境や政治のこと。
よくよく聞いてみると日本と対して変わらないようで、
良くも悪くも大きな争いがなく、平和が続いていて、奥さんはやっぱり怖いらしい。

中でも興味深かったのは歴史の話で、
かのモンゴル大帝国は最盛期にはヨーロッパまで侵攻を進めていたらしい。
その土地毎に子孫を残すので、世界中の人種に蒙古斑があるのだと。
彼らは遊牧民であり、物心つく前から馬に乗り、草原を駆け、獲物を狩り、大地の上で寝た。生活そのものが訓練なので、いつどこでも戦えたのだそう。
そんなモンゴルの領土が小さくなった一つの理由に仏教の浸透があるらしい。仏教の教えから、無駄な殺生を禁じ、争いを止めたことで今の国土までだんだん縮小していった。
教えの一つで争いがなくなって平和が訪れたのはすごいことなんです。だからモンゴル人には仏教徒が多いんです。とバイサさんは言った。


見渡す限りの草原の中をスバルの旧式フォレスターで進み、
未舗装の道路に揺られ、途中チンギスハーン騎馬像に寄り道しつつ、
ウランバートルを出発して2時間半、ようやく目的地のゲルキャンプに到着した。と言っても何もすることはない。東京のようにエンターテイメント性に富んだ施設がそこらじゅうにあるわけではない。ただただ何もすることがない草原が広がっているだけである。
でも僕は3日間この何もやることがない大自然を満喫するためにここまできた。丘を登り、草の上に座って、ただ遠くをぼーっとみるだけで何かがゆっくり削ぎ落とされてゆく気がする。

ただ、ツアー的に何もしないわけではなく、いくつかのアクティビティを用意してくれていて、馬に乗って亀の形をした大岩を見にいったり、カラフルなチベット仏教の寺院を見にいったりした。2日目の午前中には現地の遊牧民のゲルにお邪魔させていただいた。観光客用のゲルとは違って、12畳程の空間に生活の全てが詰まっている。中央にはストーブと大鍋が置かれ、円形の壁面に棚やベッド、生活用品が整理されて配置してある。

実際行ったゲルの中

大鍋で羊の乳を茹で、表面の薄膜を乾かして作ったお菓子や、味が薄いサーターアンダギーのようなもの、それから馬乳酒をいただきながら彼らの生活について教えてもらった。

彼らは早朝から家畜のお世話をし、乳を絞り、肉を捌き、食事の準備をする。季節によって家畜や家を含めた自分の財産全てを持って場所を転々と移動しながら暮らしていくそうだ。
僕らの仕事や生活の概念とは違い、お金が発生しないので生きることに対してダイレクトに仕事が結びついている。
僕らのいう休日のようなものはなく、ただ毎日生きるために暮らしている。
僕らは仕事をしてお金を得て、必要以上の楽しみを享受できるが、そのせいでお金に囚われてしまうことも少なくない。
どっちの生活の方が優れているとかはないし、彼らの生活が今の僕にできるとも思わない。
映画を見にいったり、友達と飲みにいったり、この旅行に来れたのも仕事で得たお金のおかげだ。
ただ彼らの生活をみて、稼いだお金で最低限の生活以上の楽しみを買いすぎるのは良くないのかもなと思った。それは中毒のようで、行き過ぎると戻れなくなる気がする。
お金に振り回されそうになった時、ふと彼らのことを思い返せれば立ち止まれると思う。


2泊3日のツアーが無事終わった。帰国の便が早朝なので、朝4時にウランバートルでタクシーを捕まえなければいけない。どうしたものか悩んでるとバイサさんが快く空港まで送り届けてくれた。
ここには書けなかったが、ツアーの最中も終わった後もたくさんバイサさんによくしてもらった。お金を間に挟んだ関係ではあるが、それ以上のことをしてもらったと僕は思う。
空港の出国ゲートまで見送りに来てくれたバイサさんと力一杯握手を交わしながら、「バヤルララー」そして「バヤルタイ」と伝えた。
意味は、「ありがとう」と「また会う日まで」。
勉強したんですね、とはにかんで笑いながらバイサさんは言った。


今回の旅の当初の目的は自分の遺伝子のルーツを肌で感じることだった。
その点で言うと、多分僕のルーツはここじゃないと思う。
モンゴルの草原で風を浴び、馬に乗って遠くを見渡して、日本では味わえない心地よさを感じた。だが、とにかく食事が合わなかった。
モンゴル料理は肉中心だが、その肉の脂が日本とまるで違い、野性味が強い獣臭のようで残念ながらほとんどの料理が口に合わなかった。
モンゴルに来て一番美味しかった料理は帰りの空港で食べた家系ラーメンだ。空港のレストランの、しかもモンゴルの家系ラーメンなので期待していなかったが、日本のチェーン店の家系ラーメンよりもスープが美味しくて思わず「うめぇ…」と声を漏らしてしまった。
やっぱり自分のルーツは日本で、ちゃんと横浜育ちらしい。

撮り方が下手すぎる


帰りの飛行機の中、モンゴルの大草原を見下ろしながら、体を通り抜ける草の香りを思い出す。また1年が始まる。頑張ろう。
来年はどこに行こうか。エジプトなんていいんじゃないかな。


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