競争という本能と俯瞰という理性
生きていくには競争が必要だと最近思うようになった。人と比べても不幸になるだけと巷では言われているが、人が人であるためには競争が必要だと思う。狩猟採集時代、人間は集団で生きてきた、その中でチームの利益にならないものは集団から排除されてきたのではないだろうか、その中で生存する策は、他人と比べて高い能力を持つということであったのではないだろうか。巷では承認欲求をネガティブに捉える傾向があるが、この欲求も立派な生存本能であるのではないか。
何かに貢献し、役割を与えられることにより安心する。
貢献というのは偽善でもなんでもなく生存本能による自然なものなのではないか。アイデンティティを失っても今の社会では生きていくことができるが何かに自分の役割を認められないと本能的に不安になってしまうのではないか。
現在は過去より価値基準が一元化してるという問題は無視できないと思うが、過去の人も現在の人も同じような本能を抱えてるのだと思う。
しかし、理性によって俯瞰してしまうのも人間の性だ、俯瞰は競争と対立する。
いつもそうだ、理性は本能と対立し自己矛盾を引き起こす。
僕たちはその矛盾を背負って生きてかなければならない。
競争本能を否定することは人間を否定することで、俯瞰を否定することも人間を否定することだと思う。
矛盾は苦しみを引き起こすが、その苦しみこそが人間を人間たらしめるものなのではないだろうか。
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