映画『ノスタルジア』を観て...
これまで自分を映画好きだと称してしたものの、最近になり、映画ファンの中でいわる名作たる作品をあまり知らないと気づかされる毎日です。
昨日渋谷宮下ル・シネマでちょうどいい時間に映画がやっており、たまたま見たのが、「ノスタルジア」という、1983年に制作された、イタリア・ソ連の合作映画。
テーマは、故郷たるソ連への”ノスタルジア”ではあるが、その舞台はイタリア。
静止画が連続して映画を織りなしているような映画自体の映像の美しさもさることながら、その扱っているテーマも重厚でかつ難解。
まだ自分は、この映画を観るには未熟すぎるのではないかと思わされます。
ソ連への”ノスタルジア”への感覚は、それを経験した者にしか分からない事柄かもしれないが、映画を通して描かれる主人公の心情は、必ずしも人類全般にとって無関係でもないように思える。
映画の序盤で、大切なのは幸福になることではないと教会の者がいう。
映画を通して登場するヒロインは、自由=幸福=それがあるべき姿という考え方をもっており(これが世の基準的な人物像なのかもしれない)、それを主人公に押し付けようとする。
しかし、彼にとって、それがどのような感情を引き起こすものであれ、故郷は根本的な存在であり、それと無関係に生きることなど不可能に近い。
自由になることが、自分の根本をなすもの、そして自分を縛り付けるものとの断絶を意味するのであれば、それが幸福といえるのだろうか。
そして、他人が思う自由を与えるということによる”救済”は、果たして本人にとって真の救済になり得るのだろうか。
主人公、そして主人公の別人格的な存在を表すドミニコが死して終わったことは、必然的な結末であったように思える。
なんともいい映画でした。