0 長い助走(はんちくくーにゃん、dangdud、月刊マルコポーロ)
きっかけはなんだったのか、と、旅の話をしていると聞かれることがあるのだけど、答えるのが難しい。きっかけというより、ごく淡い、兆し、のようなものがふわふわ長い間にいくつか漂ってきて、ふわふわ、もやもや、だんだん形になってきて、そうして、ある日、旅に出た。そうしたら、あれあれわたし、旅するために生まれてきたのではないかしらというぐらい楽しくて(楽しくないことも沢山あったけど)止められなくなったのでした。
最初の淡い兆しは、学生のとき、特別講義の比較文学を選択したこと。講師は国立民族学博物館の君島久子先生で、今思えばなんと贅沢な講義だったのでしょう。君島先生のお話は毎回本当におもしろくて、中国にかぐや姫に似た「はんちくくーにゃん(斑竹姑娘)」という昔話があること、特に雲南省には日本の昔話と同じような伝承文学が散見されること、チベット民話のことなどを聞いて、ほぉぉ雲南省。ほぉぉチベット。いつか行ってみたいものやのお。と、ぼんやり考えたりしていた。
ぼんやりしたまま社会人になって、ある日。大阪は心斎橋、アメ村のタワーレコード(!)のワールドミュージックコーナーで手に取った、ど派手ジャケットのCDが「セレクシ・ポップ・インドネシア」。試聴して衝撃を受けた。買った。買って毎日聴いた。なんだこのポップな演歌は。知らないことは本で調べる時代だったので、どこかで探しあてた何かの本で、それがdangdudというジャンルの歌謡曲であることを知った。こんな音楽が流れてる国って、街って、どんなんだ。いつか行こう。と、へらへら考えたりしていた。
へらへらしたまま契約社員を続け、ある日、何気なく雑誌を買った。文藝春秋が発行していた月刊マルコポーロ。このnoteを始めるにあたって旅の日記を探していたら、何冊ものノートと一緒によれよれになったマルコポーロ誌が出てきた。 1993年5月号。ここに「青春発 墓場行き」という記事がある。サブタイトル「フォト・ドキュメント◉アジアで出会った旅人たち」、写真と文は小林紀晴さん。のちに『ASIAN JAPANESE』(情報センター出版局 1995年刊)という本になるのだけど、このときはまだ月刊誌の一特集だった。そして、そのモノクロ写真に映った旅人たちがカッコよくて羨ましくて卒倒しそうになった。
こんな被写体になりたい。
なろう。
そうして、カッコよくないけどとりあえず旅人になって、ずいぶん長くバックパッカーをやってしまった。思い出すことをぽつぽつ、ここに残しておこうと思った次第。
アルバムにみっしり詰めたままのアナログ写真も、ほんの一部だけど明るい場所に出せる。
古い友人が「バックパッカーやってた人って、語りたがるよね、旅」と笑うけれど、迷惑がられても語りたい。どの旅にも、面白いこと、不思議なこと、心ふるえることが必ずあったから。