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48 マリ、遠いマリ (後編)

 いやぁお母さん、わたしもう旅人やめようと思ってるから・・・
 思ってたけど、せっかくなのでそれでは、と計画を立て直した。もう西アフリカ横断、みたいな派手な旅じゃなくていい。マリだけでいい。

 バンコク→モロッコ→マリ→モロッコ→バンコク、これでどうだ。
 あまり大々的に準備すると、また身内に何事か起こりそうな気がしたので、アフリカ行きがバレないように(誰に?)さらっとバンコクへ飛ぶのだ。
 旅行会社Hでバンコク発券のモロッコ行きを予約しておいた。

 2004年。「今度は辿り着けよ」と励まされ(呆れられ)つつ同じ会社を同じ理由で辞め、すかすかのリュックを持って出発した。要るものはバンコクで買えばいい。

 そうしてタイ到着の翌日、さっそく H バンコク支店へチケットの受け取りに行った。
 ところが、なんと担当者は退職しており、しかもわたしのモロッコ、カサブランカ行きはキャンセルされていた。数日前にメールでやり取りしたばかりなのに。
 そんな。そんなこと、ある?
 もうバレてる(誰に?)。

 宿に戻り、考える。アフリカ大陸はわたしには無理なのだろうか。
 でももうちょっとだけ頑張らせてください。カオサンの旅行代理店で相談してみると、エチオピア航空でアジスアベバまで行けば、西アフリカ各地へ安く飛べるらしい。じゃ、それで。
 というわけで、バンコク←→アジスアベバのオープンチケットを予約。旅の日用品も買い揃えていった。歯磨き、ボディソープ(ジョンソン&ジョンソンの、シャンプーにもなるやつ)、強力虫除けローション、下着類(タイのワコールはシンプルで丈夫で安くて素晴らしい)、マラリアの薬、寝袋などなど。
 行くよマリ。待っててね、マリ。バマコ、ジェンネ、トゥンブクトゥ。ああ、なんて魅力的な地名なの。

 そうして、エチオピアに降り立った。
 ゲストハウスで知り合ったイギリス人ジョンさんが西アフリカを回ってきたという。乏しい英語力全開で情報収集だ。マリ、どうでした?
 ジョンさん曰く、
「バマコはすごく汚い町だった。私もジェンネのモスクを見たかったんだけど」
 だけど?
「国じゅうでコレラが流行ってて、危ないから逃げてきた。残念だけど。今行かないほうがいいよ(意訳)」

 なんと。コレラ。まったく予想外。

 やっぱりわたしにマリは無理なのか。
 あきらめの青い空。
 降参。
 
 エチオピアの話はまた別の項で書くつもりだけれど、んんん・・・あんまり面白くなかった。
 で、早々にバンコクに帰り、もうアフリカ大陸に向かうことはないなあとしみじみ、屋台のぶっかけ朝ごはんを咀嚼したのだった。

 さて。アフリカ大陸はもういいけど、時間も予算も残っている。それで、まだ行ったことのないスリランカへ飛んでみた。こじんまりして、なんというか、インドに似てるのかと思ってたけど全然違って、全体にきちんとした感じだった。

 スリランカからふたたびバンコクに戻り、繁華街で買い物したり、バスでカンチャナブリまで行ったり、そして、ふと、もう、じゅうぶん遊んだわ、アホちゃうってほど遊んだわ遊びすぎたわ何年も何年も。と、初めて、ちょっと反省した。

 帰国して日本教師養成学校に入学した。いまさら何だが手に職つけるのだ。その学費と西アフリカ惨敗残高がほぼ同額で、無理なく受講費を支払えたというのがぞわぞわする。

 養成学校1年コースを卒業し、日本語学校で非常勤講師をやったりやらなかったり、ときどき短い旅に出たりした。
 家から通える範囲で学校を転々として、けっきょくいつでも何してても放浪者。

 マリ。行けるなら、いいタイミングでチャンスはやってくるだろうと思ううち、西アフリカの諸々の事情は危うくなる一方のようで心が痛む。

 2023年8月現在、夏休み明けの授業準備をせねばと焦りつつ、マリへの想いを思い出して、なんだか、カラダの芯がひりひりするよ。


 蛇足:エチオピアもスリランカも往路のフライトがエキサイティングでした↓


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